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プロムナード|私はナニジンに見えるのか|小石かつら

五線紙のパンセ|言論と作曲──言霊の道行|桑原 ゆう

特別寄稿|もののあはれと「あわい」の音楽――桑原ゆう個展「音の声、声の音」| F. アツミ

小人閑居為不善日記|デヴィッド・リンチでもあり、ドナルド・トランプでもある|noirse

パリ・東京雑感|明治の新しい女と「愛」の二つの傑作――有島武郎『或る女』と荻原碌山『女』|松浦茂長

安倍オーペル節子(1933-2021) ― 熊本からドイツ・バート・ゾーデンへ 演奏、通訳、文化仲介者としての生涯(3)|デトレフ・シャウヴェッカー

評論|三善晃の声を聴く(1)萩原朔太郎の詩と(前編)|丘山万里子 

プロムナード|唄は物語のように|秋元陽平

五線紙のパンセ|記譜と作曲──視えるものと視えないもの、聴こえるものと聴こえないもの|桑原 ゆう

小人閑居為不善日記 |イーストウッドの新しい旅立ち――《陪審員2番》|noirse

パリ・東京雑感|本当は怖い埴輪の顔|松浦茂長

ベトナム便り|~Art in the Forest|加納遥香

特別寄稿|ウィーン感傷記(3)フォルクスオパー|丘山万里子

特別寄稿|追悼文 安倍オーペル節子(1933-2021) ― 熊本からドイツ・バート・ゾーデンへ 演奏、通訳、文化仲介者としての生涯(2)|デトレフ・シャウヴェッカー

プロムナード|過ぎ行くもの|藤堂清 

五線紙のパンセ|音の声、声の音──生の死、死の生|桑原 ゆう

ベトナム便り|~ハノイの秋、から一歩飛びだして|加納遥香

パリ東京雑感|宗教戦争を生きのびるには ロシアが待ち望むアメリカの内戦|松浦茂長

小人閑居為不善日記|楳図かずお、奇跡の条件――《わたしは真悟》と《呪術廻戦》|noirse

特別寄稿|ウィーン感傷記(2)シュテファン大聖堂|丘山万里子 

特別寄稿|追悼文 安倍オーペル節子(1933-2021) ― 熊本からドイツ・バート・ゾーデンへ 演奏、通訳、文化仲介者としての生涯(1)|デトレフ・シャウヴェッカー

特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その3]|丘山万里子

プロムナード ― 対話を育む歴史研究|大田美佐子

特別寄稿|プロムナード『なぜピアノなのか?という問いに』から考えたこと [その2]|丘山万里子