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ベトナム便り│1950、60年代に想いを馳せる|加納遥香

ベトナム便り│1950、60年代に想いを馳せる

Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh) 

 

ベトナムで仕事をはじめて2年が過ぎた。2024年7月号の「ベトナム便り」第一弾で紹介した、街中に咲き誇る紫色のバンランの花が、今年もハノイの通りを彩りはじめている。

 

街中に咲くバンランの花(筆者撮影)

 

今回のベトナム滞在が3年目を迎えているのは、もともと任期が2年だったところを1年延長したためである。延長を決断した理由はいろいろあるが、一つは、今ベトナムが変革の真っ只中にあり、ベトナムに住んでいることで肌感覚をもってこの国の変化を観察できると思ったことだ。インターネットで情報が飛び交う今、日本にいてもどこにいても、ベトナムの最新の情報は時間差なく飛び込んでくる。ベトナムにいる知人たちといつでも連絡も取れる。それでも、部屋にこもって博士論文を執筆したり、新型コロナウイルスパンデミックでベトナムに渡航できなかったりした3年間に、現地に身を置いているからこそ得られる肌感覚の大切さを痛感した。だから、たとえ大気汚染がひどくたって、湿度が異様に高くたって、ベトナムにこのように長期滞在できるのは、大変貴重な機会である。

 

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さて、ベトナムは改革の真っ只中にあると上述したように、ベトナム共産党書記長トー・ラムが2024年に現職に就任して以来、「新しい時代」とか「飛躍する民族の時代」とかいうスローガンを掲げて、経済をはじめとするあらゆる分野でトップダウンでの改革を進めている。芸術や音楽も例外ではなく、2014年以来はじめての文化に関する包括的な方針として、2026年1月に共産党の中央レベルで、「ベトナムの文化発展に関する政治局決議」が採択され、文化を国の発展に欠かせないものと位置づける党の姿勢が明確化された。党や国家の文化に対する関心は多岐にわたるが、ここではオペラや楽団の話を紹介しよう。

トップダウンの文化政策の実行が強く感じられる一例が、昨年11月に「ベトナム便り ハノイにもう一つのオペラハウス!?」で紹介した、ハノイの一角におけるオペラハウスを含む「文化芸術テーマパーク」の建設である。昨年12月にタクシーで通りかかった際には抗議のポスターが隙間なく貼られているのを目にして心が痛んだ。10月に訪れたときにはほとんど見当たらなかったが、それはおそらく、10月初旬の着工式に先立ち公安が剝がしたのだろうと想像する。12月以降はしばらく寄り付いていなかったのだが、先日また、近くで用事があったので、久々に歩いてみようと心を決めて、足を踏み出した。

大通りから建設中のオペラハウスに向かう一本道の脇のエリアはすっかり更地になっている。上述したポスターも、今は見当たらない。右手に残る古くからありそうな家屋は今後どうなるのだろうか、ここに住む人びとはどのような気持ちで工事現場を見ているのだろうか、という思いが頭をよぎる。小道に入っていくと、あまり変化がないところも多く、少しほっとしたりもした。

 

大通りから開発地区に入る大通り (2026年4月25日 筆者撮影)

 

工事現場のすぐ脇に並ぶ家屋 (2026年4月25日 筆者撮影)

 

オペラハウスに関する動きはこれにとどまらない。というのも3月23日に、上記のオペラハウスに加えて、ハノイ市が市内南部ヴォー・ティ・サウ通りにもオペラハウスを建設することを計画しているというニュースが流れたのである。これは政治局決議80号に関するハノイ市の行動計画の1つとして示された計画であった。また同日には、軍隊文化芸術大学傘下に軍隊交響楽団が結成され、4月22日には、ベトナムの文化スポーツ観光省が「ベトナム国家民族楽団設立案を承認」するなど、楽団を設立する動きも加速している。

3月から4月にかけて、このようなニュースが続々と流れてきて、オペラハウスを作ることも、楽団を作ることも、悪いことでは全くないのだが、政治局決議の影響力の大きさに圧倒されるとともに、オペラハウスを乱立させてどうするのか、それよりも、既存の演奏団体の活動環境の改善や教育環境の拡充こそが重要ではないか、などと思い、半ばうんざりしてしまう気持ちもあった。

 

ベトナム文化スポーツ観光省公式Facebookの投稿。「ベトナム国家民族楽団設立案を承認」と書かれている。

 

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新たなニュースが毎日のように降ってくるなかで、上で触れた「ベトナム国家民族楽団設立案を承認」という文字がFacebookのタイムラインに表示されたのを見たとき、南北分断期に社会主義体制をとっていたベトナム民主共和国(以下、北ベトナムと記す)の文化政策を思い出した。私は博士課程在籍時、社会主義体制下のベトナムのオペラの歴史やそれに関する文化政策について調査研究を行なっていたのだが、そのときにベトナムの文書館に通って入手した公文書を読みこむ中で、ベトナムという国の意気込みと底力に感動してしまった。というのも、植民地支配からの独立を経て、南北が分断されてから間もない1950年代後半、60年代前半の北ベトナムが、国家の威信をかけ、一人前の国家たるもの、国立の交響楽団がなければならない、民族楽団がなければならない、と奮起し、人材も楽器も技術もままならないなかで、なんとかこれらの楽団を作ろうと奮闘し、そして実際に作り上げたのである。

この時期にはさまざまなジャンルの国立の芸術団体がつくられたが、私が焦点を当てていたのは、オペラの上演団体であった。結果から見れば、文化省芸術局の傘下に、1959年に交響楽団、1962年に合唱団が設置され、1964年に舞踊学校(1959年設立)のダンサーと併せることで「ベトナム交響・合唱・音楽舞踊劇場」の設立に至った。しかし私の調査からは、当初からこのように設立することが決まっていたわけではなく、なんとかオペラ上演団体を作ろうと方法を模索していた痕跡が残されていた。1956年に設立した国立の音楽学校で歌手や演奏家を育成し、1959年設立の交響楽団とは別に完全に新しい団体を作ろうという計画、中央人民歌舞団という既存の音楽舞踊団体を拡充させ、将来的にその一部を独立させようという計画などである。

1959年設立の交響楽団の団員を見ても、植民地時代から演奏活動を行なってきた人、インドシナ戦争時から文芸団体で活動してきた人から、音楽学校中級課程を卒業したばかりの人、さらには今後発展すると見込まれた初級レベルの人まで、様々なメンバーが集められて結成された。合唱団に至っては、北部各地でオーディションが実施され、才能が見込まれる人が120名集められて結成された。彼らはその後、北朝鮮をはじめとする社会主義国の音楽家たちに指導を受けながら、実践を積み、国立の楽団としての活動を重ねていったのであった。

このように、当時の文化省が、人材が限られるなかでオペラ上演団体の早期設立をめざし、どうすれば実現できるのかと方法を模索し、そして本当に実現させたのである。なお、1962年にはベトナムの楽器から構成される民族楽団も設立されている。以上の詳細は、拙著『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(2024年、彩流社)の第1章にまとめているので、関心を持ってくださった方には是非手に取っていただけたら幸いである。

 

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さて、現在のことに話を戻そう。つまりは、国家の威信をかけて楽団を作ろう、オペラハウスを作ろう、という今のベトナムの勢いには、私が断片的な文字資料から感じ取っていた1950、60年代のベトナムの底力が感じられるような気がするのである。現在のベトナムは私に、「この目で見られるなら見てみたい」と思っていたあの50、60年代のベトナムを連想させたのだ。結局のところ、ここで取りあげた情報は、オンラインで入手しているものがほとんど。それでも、街の只中に身を置いていると不思議なことに、オンラインの情報ですら日々の生活の肌感覚と自然にリンクして、生身の感覚と一体となって受け止められるような気がしている。

共産党の一党独裁政権が続いている一方で、世界情勢もベトナムの政治・経済・社会の状況も、半世紀以上をかけて大きく変化し、今と当時では全く違う。研究発表であれば、安易に昔と同じだと断言するなどありえないことだ。だけれども、ここはあくまでもエッセイということで、今このハノイで得た感覚を、率直に綴ることにした。

私が大学院生時代から大変お世話になっている先生の一人が、歴史的瞬間に立ちあうことの貴重さ、歴史的瞬間に立ちあっていると意識することの大事さを教えてくれたことを思いだす。まさに、今その瞬間に立ちあっているのではないかと気がつき、やはりこのベトナム滞在の時間はかけがえのない時間なのだと、気を新たにしている。

 

ベトナムのとある地方の農村風景。めまぐるしい都会の日々のなかでこのような場所を訪れるとほっとさせられる。(筆者撮影)

 

(2026/5/15)

 

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加納遥香(Haruka Kanoh)

2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。