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五線紙のパンセ|結局、作曲家は何を書いているのか(言葉で)という問題(1)|田中吉史

パリ・東京雑感|ウクライナの<開かれた>愛国心|松浦茂長

生活三分|Avalokiteśvara|葉純芳

小人閑居為不善日記|《すずめの戸締まり》を音楽映画として見る|noirse

評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺―9.オスティナートを吠えるゴジラ……『リトミカ・オスティナータ』|齋藤俊夫

評論|西村朗 考・覚書(25)『人間はなぜ歌うのか?』とヘテロフォニー(2)|丘山万里子|

撮っておきの音楽家たち |イゴール・レヴィット|林喜代種

撮っておきの音楽家たち |ヴィクトリア・ムローヴァ|林喜代種

生活三分|觀音|葉純芳

カデンツァ|篠﨑史子 ハープの個展ⅩⅤに思う|丘山万里子

プロムナード|懐かしい夕凪|齋藤俊夫

イギリス探訪記|(2)伝統と幻想|能登原由美

五線紙のパンセ|人は音楽に何を求めるのか?|渡辺俊哉

特別寄稿|アジアオーケストラウィーク2022探訪記|加納遥香

生活三分|After School Art Lesson|葉純芳

パリ・東京雑感|隠された悲劇 ウクライナ農民1000万人餓死|松浦茂長

小人閑居為不善日記|石を拾う――つげ義春、モリス、ヴァルダ|noirse

評論|西村朗 考・覚書(24)『人間はなぜ歌うのか?』とヘテロフォニー(1)|丘山万里子

撮っておきの音楽家たち |オリ・ムストネン|林喜代種

撮っておきの音楽家たち |岡田 奏|林喜代種

生活三分|學才藝|葉純芳

Listening to the voices in Asia: A Review of Asia Orchestra Week 2022, Tokyo|Haruka Kanoh

カデンツァ|音楽の未来って (最終回)批評の未来|丘山万里子

プロムナード|自分の着る服|小石かつら