特別寄稿|アジアオーケストラウィーク2022探訪記|加納遥香
アジアオーケストラウィーク2022探訪記
Listening to the Voices in Asia: A Review of Asia Orchestra Week 2022 in Tokyo
Text by 加納遥香(Haruka Kanoh)
Photos by 藤本史昭/写真提供:公益社団法人日本オーケストラ連盟
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今年もアジア・オーケストラ・ウィーク(AOW)の季節がやってきた。AOWは2002年に始まった企画で、2007年からは文化庁芸術祭主催公演として実施されている。20年続いてきた毎年恒例のイベントではあるが、2020年は新型コロナウイルス感染症拡大により実施されず、2021年も国内4つのオーケストラが国内外の作品を届ける形となったので、海外からオーケストラやソリストを招いたプログラムは3年ぶりであった。今年招かれたのは、マニラ交響楽団(フィリピン)、琉球交響楽団(日本)、KBS交響楽団(韓国)である。今回筆者は3公演すべてを聴きに行った。以下ではまずマニラ交響楽団とKBS交響楽団の公演について、続いて琉球交響楽団の公演について、筆者が聴いたこと、感じ、考えたことを記し、最後に3日間を通して得た気づきを提示したい。
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普段なかなか聴く機会のないマニラ交響楽団とKBS交響楽団を聴いて印象的だったのは、両者の紡ぎだす音の対照性だった。マニラ交響楽団は尖りのない柔らかい音質をもち、植民地化以前から独立後までの歴史(約380年間にわたる被支配とそこからの独立闘争の歴史)を俯瞰する交響詩《ラヒン・カユマンギ》(タガログ語で「褐色人種」の意)をも麗らかに演奏していた。一方でKBS交響楽団の生みだす音は正確で几帳面で、喜歌劇《こうもり》の序曲の華麗な音楽ですらきっちりとかしこまった印象を受けた。お国柄と言ってしまうと本質主義的になってしまうが、風土や文化、社会、また音楽教育のあり方などが演奏に少なからぬ影響を与えているのだろうかと想像を巡らせた。
協奏曲の演奏も圧巻で、世界で活躍するアジア出身の若手演奏家がグローバルスタンダードの作り手としてのプレゼンスを高めている様子が垣間見られた。KBS交響楽団と協演したキム・ボムソリ氏の演奏は、ブルッフの協奏曲という作品自体の迫力と結びつき、エネルギーとまばゆい光に満ちていた。マニラ交響楽団と協演したのは2007年マニラ生まれのチェリスト、ダモダール・ダス・カスティージョ氏だ。
舞台に現れた彼はあどけない少年だったが、冒頭の迫力ある数音で聴衆をすっかり圧倒した。全身全霊で楽器と向きあい、ときに楽器に憑依されたかのように爆発的な表現力を発揮する。そのパワーをオーケストラがクッションのように優しく支え、指揮が全体を緩やかにまとめ上げていた。アンコール曲《Transcendence》(Faye Miravite作曲)では、チェロの独奏だけでなくそれに彼自身の歌声が重ねられ、意表を突かれた思いであった。歌詞の意味はわからないものの、飾り気のない声で繰り返される短いフレーズはまるで祈りのように響いていた。
3日間のコンサートで最も心に残った演奏は尹伊桑の交響曲第2番だ。尹伊桑は植民地時代に日本に留学してチェロと作曲を学び、半島に戻ってから抗日運動に参加したために投獄された。1967年には韓国の軍事政権から北朝鮮のスパイ容疑で投獄、拷問を受け、釈放後に1971年にドイツに帰化した。そして祖国の地を踏むことなく1995年にこの世を去った。金大中政権以降は韓国国内でも彼の作品が広く受容されるようになった一方で、2013年の朴槿恵政権以降、「ブラックリスト」への記載や尹伊桑国際音楽コンクールへの予算カットなどが行われているという(Chang 2020)。最新の状況はわからないが、このような歴史的、社会的、政治的文脈のなかでKBSSOが彼の作品を披露したのだった。
KBSSOの演奏では、先にも触れたきっちりとした演奏が音に粘度を与え、それにより音の動態がはっきりとした輪郭をもって奏でられた。第1楽章では複数の部分が力強くせめぎ合い、第2楽章で一時的に調停し、第3楽章で互いが互いを認め合いながら共存の道を歩もうとしていたようであった。東洋と西洋、ドイツと韓国、さらに分断された祖国のはざまで引き裂かれる音楽家が、分裂を生みだして固定化する暴力を静かに訴えつつ、己をゆるやかに統合していくような音楽だ。演奏が終わっても爽快さはない。しかし残された余韻の中には一筋の光がぼんやりと照らしだされ、それが筆者をゆっくりと思考に誘う気がした。
その直後、2曲連続で華やかなアンコール曲が演奏され、それにともないホールの雰囲気は一気に祝祭モードに変わった。公演を、AOWを盛り上げて締めくくるという意味では成功していたが、筆者にとっては大変残念だった。上述の余韻を、半ば暴力的に断ち切ってしまい、まるで作曲家の語りかけに耳を閉ざしてしまったように感じたからである。これは彼や彼の作品が抑圧、排除されてきた韓国国内の問題にとどまらない。尹は対談『傷ついた龍』の日本語版への序文で、「今日の日本国民には少しも反感を持っていない」、韓国人、朝鮮人にとっては「帝国植民地時代の苦痛もまた、過去の悪夢から追放して、日本から一人でも多くの真の友人を発見していくべき」(尹・リンザー 1981: ii-iii)と述べている。つまり日本も彼の音楽やそれが置かれてきた文脈の一部を成しており、日本の聴衆も当事者としてじっと耳を澄ませるべきではなかったかと思うのだ。
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以下では今年のもう一つの参加オーケストラ、琉球交響楽団の公演に目を移す。この楽団が今年のAOWに参加した理由は、1972年の沖縄本土復帰50周年にあたる年だからである。しかし近現代日本における沖縄をざっと振り返るだけでも、第二次世界大戦下の沖縄戦で本土の盾となって多くの住民が犠牲となり、1952年には日本の主権回復の代償として沖縄が米国の施政権下に置かれた。本土復帰を果たして50年が経つ現在も、国土面積の0.6%しかない沖縄に全国の米軍専用施設面積の約7割が集中し、米軍基地に基因する事件や事故が繰り返されている。沖縄での選挙や県民投票で辺野古基地埋立て反対の意思が明確に示されているにもかかわらず、今もなお埋立て工事が強行され、本土は沖縄に軍事的負担を押し付け続けている(沖縄県 2020)。これらを棚に上げて、沖縄本土復帰50周年を東京で無邪気に祝福することなどできない。
AOWでこのような政治的課題が直接取り上げられることはなかったが、同時に「祝福」するというお祭り的なムードもなかった。中村透作曲《かぎゃで風》は、琉球の古典音楽・古典舞踊とオーケストラのための作品である。絡み合う地謡とオーケストラ、その響きを全身で受けとめ小さな動きに転化する舞踊、これらが空気を丁寧に震わせ、はじまりから終わりへと起承転結なしに進行していった。本土復帰50年に寄せて琉球交響楽団が作曲家・萩森英明氏に委嘱した新作《黄金の森で》は、山原(やんばる)の深い森に平和の可能性を見いだした作品で、終始未来志向のまなざしが感じられた。萩原麻未氏をソリストに招いたラヴェルのピアノ協奏曲ト長調では、ピアノの音色がオーケストラに溶け込みつつ軽やかにきらめいていた。冒頭2曲で表現された沖縄の文化的豊かさと未来への希望を、さらに昇華させるような演奏だった。
以上のように前半を聴き終えた筆者は、二つの疑問を抱いていた。ひとつは、本土復帰50周年という節目にあって、未来志向一辺倒で、上述の課題を置き去りにしているのではないか。第二に、後半のチャイコフスキー交響曲第五番はこのプログラムのなかでどういう意味を持つのか。あれこれと考えを巡らせながら聴いていたのだが、第四楽章の終盤に至って一気に視界が開けた。重厚な雰囲気に始まるチャイコフスキーの音楽が上述の諸問題へのまなざしを表現し、そのうえで、終盤の華やかな「運命の主題」をもって未来へつないでいこうという意志が提示されたように感じられたのだ。かつて帝政ロシアで作られた作品が、近現代の沖縄や日本を語る音楽として、筆者の前に立ち現れたのである。
後から琉球交響楽団音楽監督の大友直人氏の著書『クラシックへの挑戦』を読んでわかったことだが、彼は「日本国民全体が、沖縄への認識を深めるべき」(大友 2020: 98)という姿勢を示すと同時に、純粋なエンターテインメントとしての音楽に大きな可能性を見いだしているようだ。それを踏まえると、本公演は大友氏の考え方がうまく形になったプログラムであったと言えるだろう。
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AOWは20年間にわたり、アジア太平洋発のオーケストラやソリストの演奏や作品を日本で紹介してきた。筆者が思うにAOWは、アジア太平洋の演奏家が集って「アジア」という名の下にコンサートを開催することで、アジアにとってのクラシック音楽の意味や可能性を聴衆に問い続けている。今年のAOWを聴きに行くに先立ち、筆者は2つの視点を持っていた。ひとつめは東洋と西洋、アジアとヨーロッパという視座である。吉原真里氏は、世界のクラシック音楽界における「アジア人のめざましい活躍は、クラシック音楽のヨーロッパの起源と、現代において実践されている音楽活動との関係を考え直すことを人々に強いている」(吉原 2013: 278)と述べており、AOWをこの問題意識と呼応した実践と捉えることもできるだろう。ふたつめは、日本の立ち位置、具体的にはフィリピンも、韓国(朝鮮)も、かつて大日本帝国が支配下に置いた国であることと、西洋クラシック音楽という分野において日本が「先進国」性を発揮してきたことへの関心である。欧米、アジア、日本。これらの関係性がどのように現れているのか、どのように乗り越えるのか、それが筆者の関心であった。
実際に3日間のコンサートを聴き、感じ、考えたあとに振り返ってみると、どちらの問いについても明確な結論は出ていないというのが正直なところである。ただ、今年のAOWを通して新たに、上述のどちらでもない、あるいはどちらをも包摂する視点を得ることができた。今年のAOW全体を通して最終的に筆者が見いだしたのは、実に文化的、音楽的に豊かで、歴史的、政治的に複雑に成り立つアジアだった。「フィリピン」の音楽、「韓国」の音楽、「日本」の音楽といった国単位の音楽の紹介というよりも、むしろ国や地域、そこに生きる個々人が複雑に絡み合って生成されるアジアを歌い上げていたのである。ここではクラシック音楽の源流である西洋に対する「文化的他者」(吉原 2013)という位置づけは解消され、クラシック音楽が、アジアがアジアを考え、創造するための媒体となっていたと言えるだろう。そして、クラシック音楽を創造的な媒体とするためには、音楽を聴く際に、「日本」というより筆者個人の立場性により敏感で、意識的であることが求められるのかもしれない。今年のAOWは、筆者に新たな気づきと今後の課題――日本の本土に生まれ育ち、東京のコンサートホールの客席で演奏を聴く筆者が、そこで奏でられる音楽の当事者として、それぞれの作曲家や演奏家、作品にどう耳を傾けるのか、という課題――を与えてくれたように思う。
(2022/11/15)
参照文献
アジアオーケストラウィーク2022 公演パンフレット
大友直人. 2020. 『クラシックへの挑戦状』中央公論新社.
沖縄県. 2020. 「沖縄から伝えたい。米軍基地の話 Q&A Book」(https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/tyosa/qanda_r2.html)
尹伊桑, ルイーゼ・リンザー著, 伊藤成彦訳. 1981.『傷ついた龍:一作曲家の人生と作品についての対話』未来社.
吉原真里. 2013. 『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?:人種・ジェンダー・文化資本』アルテスパブリッシング.
Chang, H.K.H. 2020. Yun Isang, Media, and the State: Forgetting and Remembering a Dissident Composer in Cold-War South Korea. Asia-Pacific Journal: Japan Focus, 18 (19). 3. 1-23.
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アジアオーケストラウィーク2022 →foreign language
2022年10月5~7日 東京オペラシティコンサートホール
Asia Orchestra Week 2022
2022/10/5-7 Tokyo Opera City Concert Hall
2022年10月5日
<演奏>
マニラ交響楽団 Manila Symphony Orchestra
指揮:マーロン・チェン
チェロ:ダモダール・ダス・カスティージョ
<曲目>
ルシオ・サン・ペドロ:ラヒン・カユマンギ
エルガー:チェロ協奏曲
プロコフィエフ:バレエ組曲「ロメオとジュリエット」(マーロン・チェン セレクション)
2022年10月6日
<演奏>
琉球交響楽団 Ryukyu Symphony Orchestra
指揮:大友直人
沖縄伝統音楽、琉球舞踊:沖芸大琉球芸能専攻OB会
ピアノ:萩原麻未
<曲目>
中村 透:かぎゃで風 ~琉球古典音楽、古典舞踊とオーケストラのための~
萩森英明:黄金の森で(沖縄本土復帰50周年に寄せて)琉球交響楽団委嘱作品
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
2022年10月7日
<演奏>
KBS交響楽団 KBS Symphony Orchestra
指揮:ユン・ハンギョル
ヴァイオリン:キム・ボムソリ
<曲目>
ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
ユン・イサン:交響曲第2番
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Asia Orchestra Week 2022
2022/10/5-7 Tokyo Opera City Concert Hall
2022/10/5
<players>
Manila Symphony Orchestra
Conductor : Marlon Chen
Cello : Damodar Das Castillo
<pieces>
Lucio San Pedro:Lahing Kayumanggi
Elgar: Cello Concerto
Prokofiev : Ballet Suite from Romeo and Juliet(Marlon Chen Selection)
2022/10/6
<players>
Ryukyu Symphony Orchestra
Conductor : Otomo Naoto
Traditional Okinawan music and Ryukyu dance : Okinawa Prefectural University of the Arts, Ryukyu Performing Arts Major Alumni Association
Piano : Hagiwara Mami
<pieces>
Nakamura Toru : KAJADEFU For Ryukyu Traditional Music, Classical Dance and Orchestra
Haginomori Hideaki : Commissioned Work by the Ryukyu Symphony Orchestra
― To celebrate the 50th anniversary of Okinawa’s reversion to Japan
Ravel:Piano Concerto in G Major
Tchaikovsky : Symphony No.5 in E minor, op.64
2022/10/7
<players>
KBS Symphony Orchestra
Conductor : Hankyeol Yoon
Violin : Bomsori Kim
<pieces>
J. Strauss II: Overture <Die Fledermaus>
Bruch : Violin Concerto No. 1 in G minor, op.26
Isang Yun : Symphony No. 2 (1984)
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加納遥香(Haruka Kanoh)
一橋大学社会学研究科特別研究員。博士(社会学)。専門は地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。主な地域はベトナム。修士課程、博士後期課程在籍時にはハノイに滞在し留学、調査研究を実施し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。