ディオティマ弦楽四重奏団|能登原由美

ディオティマ弦楽四重奏団

2018年6月15日 京都青山音楽記念館バロックザール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 岡村雅子(リハーサルより)

<演奏>
ディオティマ弦楽四重奏団
  ユン・ペン・ヂャオ:Yun-Peng Zhao(vn. I)
  コンスタンス・ロンザッティ:Constance Ronzatti(vn. II)
  フランク・シュヴァリエ:Franck Chvalier(va)
  ピエール・モルレ:Pierre Morlet(vc)

<曲目>
バルトーク:弦楽四重奏曲第2番op. 17, BB75
望月京:Brains(日本初演)
—- 休憩 —-
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」D. 810

 

ドイツ・ロマン派の弦楽四重奏曲の王道に、邦人作曲家の新作を掛け合わせた本公演。時代と地域を超えたそのプログラミングが目玉の一つであったのかもしれないが、本公演自体を格別なものとしたのはその新作の存在だったように思う。つまり、日本初演となった望月京の《Brains》。何よりも、作品自体がこのアンサンブルの醍醐味を証明し、そのことによって逆に作品の意図が証明されるといった構図になっていた。もちろん、作曲者も演奏者もそれを特に意識したわけではなかったのかもしれないけれども。

数々の現代音楽作品の新作初演をこなすとともに、古典派から20世紀まで幅広いレパートリーを持つディオティマ弦楽四重奏団。この日演奏された望月の《Brains》も、昨年2月にプレザンス音楽祭で彼らによって世界初演されたもの。作曲者自身による解説によれば、「脳の自発性と学習法を主題」としているとのこと。とはいえ、その根底には、『「その人」たらしめる』ものへの問いがあるようだ。チェロを除く3つのパートは冒頭こそモチーフの模倣により始まるが、その後は相互に関わりあうことなく、思うままにそれぞれの音の回路を作り上げていく。それが「自発性」ということなのであろう。一方、当初から他の回路とは異なる動きをするチェロは、「模倣や、他者への共感を苦手とする」らしい。その全ての回路を統率するのは、常にいずれかのパートが規則的に行う同音反復によるリズム。

さて、ここまで書いておきながら今さらだが、私は新作を聴く場合はあえて、作曲者による解説を演奏前には読まないようにしている。あらかじめ読んでしまうと、その内容を頭の中で組み立てることに意識が向くと同時に、その解説の範囲内でしか音楽を聴けなくなってしまうように思えるからだ。解説を読んでから音楽に臨むというその聴き方は、作者の意図を正確に聴き取る上では正しいのだろうけれど、私はあくまで音楽を楽しみたい。初めて聞く音楽から様々な思いや空想が無限に広がっていく瞬間。私にはその瞬間の自由さがたまらないのだ。作者の意図やそれを辿る作業は音楽を聴いたあとの話。というわけで、今回も漠然と「脳をテーマとする作品らしい」、という程度の情報を頭に入れ、とりあえず音に向きあった。

「脳」の話は一旦置こう。模倣で始まりながらも各声部が自立して動き回る様子を聴きながら、私はルネサンス期のポリフォニー音楽を頭に思い浮かべていた。相互に関わりのない動きをするようでいて、その実、モチーフの模倣など互いに強い連関をもつ音楽。ただ一人、チェロのみが全く別の時間軸を形作っているあたりは、そのルネサンス・ポリフォニーの、長く引き延ばされた聖歌旋律を歌うテノール声部のようだ。それは近代よりもはるか昔、500年以上も前の音楽構造である。それが現代の、しかも日本人の感性の中から改めて沸き起こったのかと、聴きながら妙に不思議な感覚に囚われた。もちろん、たちまち耳に飛び込んでくる旋律やリズム、ハーモニーの性質は当時のものとは全く違うのだけれど。

けれども、その後で解説を読んで腑に落ちた。つまり500年前も今も、西洋人も日本人も、脳の働きはそれほど変わらないに違いない。だからその働きに従えば、このような構造が自然と出てくるのだろうと。

さらに腑に落ちたのが、それが目の前の奏者達の関係性自体を物語っていたことである。各自の「自発性」、その先にある「その人たらしめるもの=その人らしさ」は、このアンサンブルがまさに演奏を通じて体現しているように思えた。ファースト・ヴァイオリンを務めたユン・ペン・ヂャオの宙を突き抜けるような鋭い音の立ち上がりに対し、セカンドのコンスタンス・ロンザッティは、優しく包み込むように音を繰り出す。ヴィオラのフランク・シュヴァリエの冷静で安定した響き、それに対し、チェロのピエール・モルレは情熱的に音を打ち鳴らす。各奏者の個性と、それらが互いにもたれあうことなく自由に飛翔していく様は、特に冒頭のバルトークで感じたことだけれども、シューベルトを聴きながら、このアンサンブルの良さはその「自発性」にあるのではないかと感じたのである。

ちなみに、望月自身も自作の終了後に舞台に登場した。私の中の勝手な妄想ではあるけれども、舞台上の音楽家たちを見ながら500年という時を超えた人々の音楽脳について思いを巡らせていた。

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 (2018/7/15)