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プロムナード|過ぎ行くもの|藤堂清 

五線紙のパンセ|音の声、声の音――生の死、死の生|桑原 ゆう

パリ東京雑感|宗教戦争を生きのびるには ロシアが待ち望むアメリカの内戦|松浦茂長

小人閑居為不善日記|楳図かずお、奇跡の条件――《わたしは真悟》と《呪術廻戦》|noirse

プロムナード ― 対話を育む歴史研究|大田美佐子

五線紙のパンセ|道、海、過程、変化|黒田 崇宏

小人閑居為不善日記|気分はもう内戦――《ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ》と《シビル・ウォー アメリカ最後の日》|noirse

パリ・東京雑感|犠牲者に<後光>? ノーベル平和賞と水俣に思う|松浦茂長

プロムナード|幻の光の先へ |チコーニャ・クリスチアン

五線紙のパンセ|定まらないように|黒田崇宏

パリ・東京雑感|祈りより小説を!哲学より文学を!驚きのローマ教皇書簡|松浦茂長

小人閑居為不善日記|不条理な疑いの彼方に——《憐れみの3章》と《きみの色》|noirse

プロムナード|何故ピアノなのか?という問いに|能登原由美

五線紙のパンセ|小さい音や微かな音——私の作品におけるそれらを聴く行為と社会的行為に関する随想——|黒田崇宏

パリ・東京雑感|孤独と独裁の親密な関係|松浦茂長

小人閑居為不善日記 |「物語」から降りるということ——《デッドプール&ウルヴァリン》から《ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ》まで |noirse

カデンツァ(最終回)|もう一つの旅を終えて〜回れ、観覧車|丘山万里子

プロムナード|眠れるミューズの口許|柿木伸之

小人閑居為不善日記|仁菜は誰に中指を立てるべきだったのか――《ガールズバンドクライ》について|noirse

パリ・東京雑感|人口減少と子供のしあわせ|松浦茂長

五線紙のパンセ|交響曲第1番の作曲構造|今堀拓也

カデンツァ|一つの旅を終えて〜「祈り」とは|丘山万里子

プロムナード|現代音楽への憎しみ―佐村河内守事件再考|齋藤俊夫

五線紙のパンセ|カンドンブレとショーロ|今堀拓也