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五線紙のパンセ|書くこと、振ること|浦部 雪

書くこと、振ること

浦部 雪(Yuki Urabe) :Guest

今まであまり言葉を何かに残すということをしてきませんでした。そもそも何かに残る形で自分の考えなどを書くというのはあまりにも分不相応だと思っているということもありますし、何かを言葉として発してしまうと、自分のぼんやりと見ているイメージをそれによって自分自身で歪んだ形として固定化してしまって、それがあまり自分にとっては健全ではないような気がしてあえて避けてきたということもあります。常に可能な限り自分を流動的な、推移している状態に置いておきたいのかもしれません。
そんな自分にこの先、このメルキュールデザールをはじめ、文章を書く機会をまとまっていくつかいただいており、何かこれはそういった自分と今一度向き合うことに迫られる時期なのかもしれないとも思い、自身の中での新たな挑戦として筆を執ってみています。

常々、言葉というものはものすごく暴力的な一面を持つことがあるということを思います。とりわけ音楽のような形のはっきりしないものと日々付き合っていると、それは聞く時でも書く時でも演奏する時でも一緒ですが、聴覚を始め視覚や嗅覚などの五感、あるいは感情などの感覚が開かれていけばいくほど、それを形容し得る「言葉」というものでは到底表しきれなくなっていくような気がします。要は、結局言葉というものはそれを指し示す事物のほんの一面しか表すことはできず、他のいくつかの面を容易に削ぎ落としてしまうのだろうと思います。同時に、言葉というものは感覚よりもものすごくソリッドで、我々が意識と無意識の間の繊細なひだで感知しているものを、そこにほんの一滴の言葉が不用意に垂らされるだけでその形は大きく変わることさえあり、最後にはその言葉を通すことでしか見ることができないものに簡単に変容されてしまいます。

自分が何か音楽的な注文をしなければならないとき、可能な限り絶対的な決め事をしていかないように心がけます。仮に断定的な言葉を使ったとしても、どこかには必ず余白があるように、それによって他に歪みが起こらない程度に、ビスを締めすぎてしまわないようにします。そうした極限の相対性の中で音楽ができる時、そこにこそ音楽が息をする余地が生まれ、それによってこそ音楽は自立して生き生きとしたものになると思うのです。
何かに心を動かされた時、無意識のうちにそれをあえてなるべく言語化しないようにしている節があったと自身を振り返ります。可能な限り自分の言葉によって感じたものの形を変えてしまわないようそのまま自然に移ろわせておく。この先のどこかで何かの形で自分の音楽に反映されはしないかと、自分の心に生じたものをなるべくそのままに育ませてみたいと思っているようです。感情であれなんであれ、自発的に自然な振る舞いをしているものというのは、それだけでそもそもとても美しいと思います。
音楽も全く同じで、音楽それ自体が外から必要以上に定義されず、それそのもので自由でいることこそが最も魅力的な状態だと思います。この先そういう音楽がより純粋にできるようになりたいと強く思いますし、以前の自分はそれが全くできないことを深く悩み、そしてその悩みの実体すら理解できず、苦しみがどこから来るのかもわからないという時期を長く過ごしていました。

それがブレイクスルーしたのは、イタリアでの留学生活の最中でした。30歳を少し過ぎる頃まで、その大きな悩みと本当に長い期間格闘し続けていました。イタリアでの生活は自分が本当にやりたいと無自覚に思っていたことと現実の間の溝を埋める最も重要な物、それを自覚して自分の中に落とし込む時間でした。単純な話、自分の心を動かすものは見渡せばどこにでも溢れかえっていて、必要なのはそこに自分を寄せていくこと。音楽は自分から恣意的に引っ張り出して表現するものではなかったのです。

それを見つけるまで、作曲というものはただただ辛く苦しいだけのものでした。
何かを書くために自分の中をぐっと覗き込んで、それでも何も見つからないのです。真っ暗闇を手探りで何かないかと探すもいつまで経っても見つからず、それでも向き合わなければ終わることはないので、潜って息が続かなくなるところまでいってはかろうじて息継ぎをしに戻ってきての繰り返し。困りあぐねて最後は何か知ったものを組み合わせてそれらしくでっちあげる。自分にとっての作曲という行為はそういうものでした。書こうにも何も書けず、悩みに悩んで酷い時は一週間ほとんど布団からすら動けない、そんな時も一度や二度ではありませんでした。

自分の中ではなく、外に本当の意味で目が向けられるようになったのは、ようやくここ数年のことです。自分の目が見たものを、不必要なフィルターを通すことなくなるべくそのまま作品にしてみる。そうしてみると、音がより生々しい質感を持ち始めるのです。自分が見たものをそのまま音を通して見たいと願い続ける、その姿勢がぶれなければ良いんだと分かっただけで、大きく音楽との関わり方が変わりました。自分の中から闇雲に表現しようとしない態度こそが作品の強度を増し、そしてかえって結果としてそこに自分が表出されるということをも理解しました。

最終的には何がきっかけでそれができるようになったのかは覚えていません。自身と向き合って、レッスンを受ける中で少しずつできるようになっていったのかも知れませんし、あるいは、ヨーロッパでの生活というものが自分をほぐしていったのかも知れません。ただ明確に感触として覚えているのは、作曲や音楽をする上での苦しみは20代の始めから年々日毎に増して、そして数年前のある時期を境に急に霧が晴れたように楽になったということです。自分自身を音楽と切り離して、少し距離を持って見てみる。そうすると、音楽がどこに行きたがっていて、どのくらいそれを自分が手助けしてあげれば良いのかが少しずつ見えてくるようになりました。自分の手が必要ない時は何もせず見るに徹する、そうすることでむしろ音楽が自立して、より良い方向へと自ずと動き出すということもわかりました。たいていうまくいっていない時は自分が邪魔をしているのです。以前の僕は、音楽との距離を適切に取ることができず、そうしたかったわけでもないのですが、全てをべたべたと手のひらでこねくり回してしまっていたように思います。自分と切り離してどこか客観的に音楽を見ることができるからこそ、そこに必要とあらば自分の手を入れることもできるのでしょうし、音楽を自分から離れた場所に置けるからこそ、そこに自分の思いがふっと入っていくのだと思います。指揮と作曲のどちらによってそれを乗り越えることができたか、それはわかりませんが、その二つを互い違いにやっていくことはこれまでもこれからも自分には必要なことのように感じています。

以前の僕は、今よりも潔癖な面があったと思います。
同時に、弱いところを他者に見せられない、という面もあったと思います。
それはひょっとすると、単純に若さ故の、自分自身こそに対する不信の現れかもしれません。
人付き合いが苦手だったという自覚は強くはありませんが、それでも、何かいまひとつ、自分以外の何かにただ身を委ねてみるということが今以上にできませんでした。
今はより人間関係が柔軟になった、というよりももう少し根本的な姿勢が変わったように思います。完璧主義でなくなったという言い方もできるかもしれません。肩の力が少し抜けて、良くも悪くも自身に対して寛容になった気がします。自分を許せることが増え、そうできることで他者に対してもきっと同じく寛容になれたのではないでしょうか。音楽にも、泥臭く人々の生きた息が入って混ざり合っていくことにこそ魅力を感じるようになりました。そして、本当の意味で文化というものに惹かれるようになり、人や人の営為に心が寄っていくようになったような気がします。

これまで作曲をすることと指揮をすることはもっと遠く接点がまるで無いように感じていました。もちろん全く違うことではあるのですが、どうやら本質的には手段や道筋が違うだけで、違う場所から穴こそ掘り始めるけれども最後に到達する出口は同じだということが分かりはじめてきました。
長い時間がかかってここまで来て、それでもまだまだ自分は不十分で、できることに溢れていて、やるほどにきっともっと良いものができるようになるのだろうという、その実感を持つという入り口にようやく立てていることに、大きな安堵とこの先への楽しみを感じます。

そんなことを現時点の自分の記録としてここに残してみます。

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浦部 雪

1991年千葉生まれ。東京芸術大学作曲科卒業後ミラノ国立音楽院作曲科、ミラノ市立音楽院指揮科、ミュンヘン音楽大学作曲科にて学ぶ。作曲を安良岡章夫、野平一郎、ガブリエレ・マンカ、イザベル・ムンドリー、指揮を杉山洋一の各氏に師事。
指揮者としては日本をはじめ、イタリア、ベルギー他様々な場所で新作初演等に携わる。2021年サントリーホールサマーフェスティバルにおいてマティアス・ピンチャー氏のアシスタントを務める。サントリーホールチェンバーミュージック・ガーデンや紅葉坂プロジェクト等に出演。
作曲家としては芸大フィルハーモニー、Ex Novo Ensemble、低音デュオなどにより作品が演奏される。2025年12月に自身の作品個展を開催。東京芸術大学在学中に長谷川良夫賞を受賞。

公式ウェブサイト
https://sites.google.com/view/yuki-urabe/