山田和樹&東京芸術劇場 交響都市計画 水野修孝/『交響的変容』|内野 儀
『交響的変容』1992/2026―「戦後日本」の〈最後の音〉か?
SYMPHONIC METAMORPHOSES 1992/2026: Is This the Last Sound of Postwar Japan?
Reviewed by 内野 儀(Tadashi Uchino)
Photos by ©2/FaithCompany
山田和樹指揮、東京芸術劇場交響都市計画第一弾
水野修孝/『交響的変容』
YAMADA Kazuki & Tokyo Metropolitan Theatre Harmonic City Project
MIZUNO, Shuko: Symphonic Metamorphoses
2026年5月10日 東京芸術劇場コンサートホール
2026/5/10 Tokyo Metropolitan Theatre Concert Hall
水野修孝 『交響的変容』
指揮・プロデュース :山田和樹 「東京芸術劇場 芸術監督(音楽部門)2026年4月就任」
管弦楽:読売日本交響楽団
合唱:東京混声合唱団、栗友会合唱団/(合唱指揮:栗山文昭、碇山隆一郎)
太鼓:林 英哲
ソプラノ:熊木夕茉
総合監修:水戸博之
賛助出演:東京音楽大学(指揮:三河正典、三原明人、佐藤和男、杉原直基、柏木大輝、坂寄楽友、伊丹悦洋、笹田悠翔)/青山学院大学グリーンハーモニー合唱団/慶應義塾大学混声合唱団楽友会/東京大学柏葉会合唱団
2026年5月10日、東京芸術劇場コンサートホール。山田和樹指揮、読売日本交響楽団ほかによる水野修孝『交響的変容』全曲の蘇演が、1992年9月20日の幕張メッセでの初演以来、34年ぶりに行われたi。総勢300余名、休憩を二度はさんで4時間半に及ぶ巨大公演であるii。初演時の規模――オーケストラと合唱あわせて700人超――からは縮減されているとはいえ、こんにちの常設団体と公共ホールが通常制作として現実的に動員しうる、ほぼ上限の規模だろう。
そして本公演は、その規模そのものをテーマとして呈示する出来事として上演された。山田は本年4月、東京芸術劇場の音楽部門芸術監督に就任しており、本公演はそのプロデュース企画第一弾「交響都市計画」Vol.1 に位置づけられているiii。つまりこれは、長大な現代音楽作品の再演であると同時に、新芸術監督の時代をその機軸とともに示すセレモニーでもあった。終演後のSNSには「奇跡」「歴史的体験」「伝説的」といった反応が並び、林田直樹は本公演を「多文化的交響エンターテインメント」と概括した iv。だが、私が聴いたのは新時代のファンファーレというより、長く続いた戦後日本文化の、ある巨大な夢の最後の残響であった。
水野修孝が『交響的変容』の構想に着手したのは1962年、完成までには26年を要した。各部は1978年から1987年にかけて順次完成・初演されたが、全曲初演は1992年の幕張メッセを待たねばならなかったv。作曲家自身の言葉に従えば、本作は「混血文化」の音響的具現化である。1973〜74年のロックフェラー財団招聘によるアメリカ滞在を経て、水野は、純血文化はいずれ淘汰され、これからの世界を席巻するのは混血文化であるとの確信を得てvi、以後、クラシック、現代音楽、ジャズ、ロック、東西の民族音楽を一つの交響的形式のうちに重ね合わせる方向へ向かった。全4部のうちでもとりわけ第4部では、法華経、ミサ通常文、シラーやゲーテ、東南アジア各地の旋律、ヴァーグナーやマーラーの引用まで交錯させvii、いわば〈世界〉そのものを表象しようとする、それ自体ほぼ独立した一つの交響曲である。
1992年の初演は、幕張メッセという巨大イベント空間の文化的文脈とも結びついていた。バブル経済は崩壊局面に入っていたとはいえ、80年代後半に組み上がっていた自治体・企業協賛・教育機関・合唱団動員のネットワークはまだ健在だった。2026年の蘇演は、同じ夢を、しかしかなり縮減された条件のもとで鳴らす試みだった。山田が芸劇就任メッセージで「『大きいことはいいことだ!』という価値観が変容」した時代に「人が集うことの原点に帰りたい」viiiと述べたとき、山田が見ていたのは、本作のスケールが今日では構造的に再現困難になっているという事実そのものだったかもしれない。
演奏そのものは、全体を常に見渡しながら、個々の演奏家に音楽の流れへの意識を失わせない山田のしなやかな統率力もあって、高い集中を保っていた。読響は長大で複雑なスコアを最後まで破綻なく鳴らし、とりわけ第3部「ビートリズムの変容」における林英哲の和太鼓と武藤厚志のティンパニの応酬は圧巻だった。林は第3部初演から1992年の全曲初演を経て、40年以上にわたり本作と同伴してきた。その身体が本作の演奏史を担っていたことも、この日の感慨を深めていた。和太鼓とティンパニが競い合いつつ、完全には溶融しないまま巨大なリズム空間を形成していく過程に、「変容」という主題はいちばん率直に身体化されていた。
問題は、やはり2時間近くに及ぶ第4部「合唱とオーケストラの変容」である。6章構成、6群の混声合唱、ソプラノ独唱、複数の補助指揮者を要するこの部分こそ、本作の核心だろう。核戦争への恐怖、世界宗教的祈り、多文化的混淆、人類的和解への希求。終盤、ソプラノ熊木夕茉がパイプオルガン横に起立してマーラー『第八』〈神秘の合唱〉を喚起する歌唱を行うとき、本作が普遍主義的祝祭の音響的具現化を最後まで手放そうとしないことが痛切に伝わってくる。
それにもかかわらず、あるいは、まさにそれゆえに、本作の終盤はどこか「終わらない」。終わるはずなのに終わらない。クライマックスは何度も繰り返され、なおも巨大な音響が持続する。最終的には暗転と静寂のなかへ収まるのだが、耳に残ったのは、その手前で繰り返されつづけたクライマックスの群れ、その「終わることを許されない/終わることのできない」感触であった。問題は時間量ではない。本作が孕む戦後日本的な巨大な夢そのものが、なおも終わることを拒んでいるように聞こえた、という歴史的時間性の問題である。
客席空間を含めた演奏者の配置の壮大さには確かに圧倒される。各国・地域の歌や旋律が同時多発的に響き、複数の文化が共存するカオス的空間が作り出されることも事実である。だが今日の耳で聴くとき、ここでの「多文化性」は、結局のところ西洋オーケストラ音楽の巨大な構文の内部で統御されている。各文化の旋律やリズムは導入される。しかし、それらを包摂し、配置し、構造化しているのは、あくまで西洋近代交響曲の発想である。「他者」は響きとして配置されるけれども、それを聴かせる根本構造そのものは揺らがない。
この点で、本作を今日的な意味でのポストコロニアルな感性の達成として聴くことは難しい。むしろその音響は、1980年代末から90年代初頭の日本で独特の高揚とともに受容された「ワールド・ミュージック」的想像力と接しているix。もちろん『交響的変容』はその流行に便乗して生まれた作品ではない。構想は1960年代に遡り、水野の「混血文化」への確信も1970年代のアメリカ滞在を経て形成された。重要なのは、作品の構想が先行していたにもかかわらず、1992年の初演時には、その巨大な混淆の音響が、バブル期日本の「世界を包摂しうる」という感覚と奇妙に共振したのではないかと考えられる点である。
当時の日本には、西洋音楽を継承しつつ、〈日本〉やアジアや民族音楽を取り込み、巨大な人類的祝祭を構想することが、なお可能であるかのような空気があった。西洋の周縁に位置してきた日本が、逆に西洋をも含む〈世界〉全体を抱き返すことができるという想像力である。それは今日から見れば、ポストコロニアルな批判意識というより、むしろ戦後日本的なナルシシズムを帯びた、擬似ポストコロニアルな包摂願望であったと言うべきだろう。『交響的変容』の過剰さは、その願望を、よい意味での〈無防備さ〉をもって、巨大な音響として鳴らしてしまうことにある。
終演近く、私のなかで不意に想起されていたのは、鈴木忠志構成・演出『トロイアの女』であるx。1974年の岩波ホール初演以来、鈴木の代表作として再演されつづけてきたあの作品の、ある場面が、である。
戦後の焼け跡を彷徨う狂気の老婆が、自らの記憶のなかで、トロイア王妃ヘカベを演じる。だが幕切れ近く、その老婆へと帰還する――現実は、あくまでぶつぶつとつぶやく老婆のほうである。やがて彼女は、唐草模様の大風呂敷に包んだ家財道具を、舞台に広げてゆく。七輪、欠けた茶碗、不ぞろいの箸――敗戦直後の闇市にもありそうな日用品。そのなかに、空き缶ひとつを見つけて、後ろへと放る。カラーンと乾いた音がして、その一瞬、老婆はかつての栄光であるヘカベの記憶を呼び戻したかのようにしゃきっと顔を上げ、こう語る――「みなのもの、お聞きだったか、今の音を。あれはトロイアの最後の音」。しかしすぐにまた、彼女はぶつぶつとつぶやく老婆へと戻る。
エウリピデスの原典で文明崩壊の轟音(古典ギリシア語でκτύποςと呼ばれる、城が崩落するその轟音)として聞きとられるものが、鈴木の舞台では、一個の空き缶のうつろな音へと置き換えられている。戦争の悲惨を崇高化することを拒み、人間の愚かさと廃墟そのものへと観客を引き戻す、きわめてメタシアター的かつ批評的な所作である。
今回の『交響的変容』終幕の巨大音響もまた、どこかあの「最後の音」と呼応するように、私には響いた。もっとも、向きは逆である。鈴木が文明崩壊の轟音を空き缶ひとつの音へと縮減してみせたとすれば、水野は、その正反対の身振りを試みる。一個の終止符を、300余名の音響と反復されるクライマックスへと拡張しようとする。だが両者がそれぞれ反対の向きから接近していたのは、おそらく同じひとつの問いだったのだろう――20世紀という「戦後」を、どう鳴らし終えるのか、という問いである。
原色に近い照明も、合唱が客席へ侵入し空間そのものを楽器として用いる発想も、こんにちの没入型演出から見れば、決して新しいものではない。むしろどこか80年代的で、いささか野暮ったくさえある。だが、その古びた祝祭性こそが、本上演の本質だったのではないか。つまりこれは、未来の音楽ではなく、「かつて未来を夢見ることができた時代」の音楽だった、ということである。山田は本作を「未来型」と呼ぶが、その「未来」とは、おそらく現在の未来ではないxi。本作がその都度想い描いていた「未来」、すなわち、すでに過ぎ去ってしまった「未来」のことなのだ。
そして、これはおそらく偶然ではない。山田が音楽部門の最初に鳴らしたのが、多様なものをひとつの全体へと統べようとする夢であったとすれば、舞台芸術部門に立つ岡田利規xiiが一貫して追求してきたのは、むしろその対極――全体にも単一の主体にも回収されない、瞬間ごとに生成する複数的で一時的な身体と言葉――である。統合の夢と、統合へと回収されないもの。新体制の二つの部門が指し示す方向の、この好対照にこそ、ある示唆が宿っているように思える。
蘇演とは、可能性の祝祭であると同時に、不可能性の確認でもある。数百人規模の演奏家と数千人の聴衆を、ひとつのホールへと集めて巨大な共同制作をなしうるような――そうした規模の公共性が、いまやどれほど構造的に再現困難になっているか。それを指標的に示しながら、しかしなお、その夢をもう一度だけ全きものとして鳴らし直すこと。過去のほうへと顔を向けたこの一夜が、いったい何を未来へと手渡すことになるのか。その問いを、新体制のいちばん最初に書きつけえたこと自体が、すでにひとつの、ささやかではあるが本質的な達成だったのではないだろうか。
(2026/6/15 )
[註]
i. 初演は1992年9月20日、幕張メッセ・イベントホール、岩城宏之指揮(副指揮:渡邊康雄・本多優之、合唱指揮:栗山文昭)、ソプラノ:秋元智子、和太鼓:林英哲、ティンパニ:細谷一郎、管弦楽:東京交響楽団、打楽器:岡田知之打楽器合奏団、合唱:東京混声合唱団、栗友会合唱団。ライブ録音は Camerata Tokyo より1993年にCD化(『「交響的変容」全4部初演コンサート──幕張クラシック・スペシャル’92』)。
ii.「総勢約300名」は、2025年11月11日の記者懇談会における山田自身の発言「オーケストラで100人、合唱150人、その他を加えて、300人程度の予定」に拠る(「SPICE」記事「伝説の超弩級交響曲が蘇る!──山田和樹、水野修孝/『交響的変容』への挑戦」https://spice.eplus.jp/articles/342209、2025年11月21日)。当日の実数を典拠付きで報じた記事は確認できていない。
iii.東京芸術劇場「山田和樹&東京芸術劇場 交響都市計画 Vol.1 水野修孝『交響的変容』」、公演情報ページ参照(プロジェクトの英語名 Harmonic City Project については同サイトに併記がある/https://www.geigeki.jp/performance/concert327/)。
iv.林田直樹「多文化的交響エンターテインメント〜水野修孝《交響的変容》山田和樹指揮読響ほか(2026年5月10日東京芸術劇場)」(https://note.com/naokihayashida/n/nd616fc5a73ca)、2026年5月11日付。なお林田は5月16日付けで「上演直後からSNSでさまざまな議論を呼んだこの上演、熱狂する人々が多くいた一方で、玄人筋の中には、かなり否定的な投稿もあったようだ。/そういった反響の全体も含めて、話題づくりという意味でも、今回のコンサートは成功だったと言えるだろう」と付記している。
v.各部初演および全曲初演史については、作曲者自身のHPに加え、「音楽現代」2026年5月号の「特別企画 山田和樹指揮・プロデュース/水野修孝作曲『交響的変容』再演!」(71~84頁)、日本音楽舞踊会議「音楽の世界」第31巻第8号(1992年8月)所収「日本現代音楽の変容-2-水野修孝『交響的変容』の初演をめぐって」(19~22頁)等を参照した。
vi.水野自身の発言については、「現代音楽はシラケてたが、ロックは面白かった―対米雑感」(「音楽芸術」第33巻第2号1975年2月、31~33頁)、また、引用のかたちであるものの、上記「音楽現代」2026年5月号に掲載された「【インタビュー】水野修孝「交響的変容」を語る 「当初からでっかい曲を作ろうと思っていたんです」(聞き手:萩生哲郎)」で言及されている(72頁)。ぴあクラシック「ぽこ・あ・ぽこ」掲載「34年ぶりの衝撃。山田和樹が放つ水野修孝《交響的変容》全曲再演」(https://fan.pia.jp/piaclafan/news/detail/466/、2025 年11月27日)も参照。
vii.水野修孝「交響的変容第4部の合唱について」(「音楽芸術」1992年10月号、62~65頁)、鹿島一彦「日本現代音楽の変容 水野修孝「交響的変容」の初演をめぐって―作曲者に聞く」(「音楽の世界」1992年8月、19~22頁)及び当日配布プログラムを参照。2025年11月11日開催された記者懇談会発言(https://www.geigeki.jp/journal/j20251124/ )を参照。
viii.東京芸術劇場ウェブサイトに掲載された開催概要にある山田和樹「次期芸術監督からのメッセージ」(https://www.geigeki.jp/performance/concert327/)からの引用。
ix.「ワールド・ミュージック」という語については、学術・教育的用法と、1980年代末以降の音楽産業上の分類語としての用法とが重なっている。後者については、1987年にロンドンで独立系レーベル関係者らが行った販売促進上の会合が重要な契機とされる。日本における同時代的受容については、北中正和『「楽園」の音楽――ロックとワールド・ミュージック』(筑摩書房、1990年)を参照。本稿ではこの語を、厳密な音楽様式名ではなく、1980年代末から90年代初頭にかけて、世界各地の音楽を批評的・商品分類的に聴取可能にした歴史的カテゴリーとして用いている。
x. 鈴木忠志構成・演出『トロイアの女』(エウリピデス作、1974年岩波ホール初演、観世寿夫・市原悦子・白石加代子主演、大岡信潤色)は早稲田小劇場(現、SCOT)の代表作のひとつ。1982年第1回利賀フェスティバルにおける再演(白石加代子主演、NHK中継録画)、2014年の新キャストによる利賀および吉祥寺シアター上演、2023年の吉祥寺シアター上演などを経て、現在に至っている。
xi.山田の発言については、既出のぴあクラシック「ぽこ・あ・ぽこ」掲載インタビュー及び「SPICE」掲載記事、また、「ぶらあぼ」掲載記者懇談会レポート(https://ebravo.jp/archives/201169)等を参照。
xii.岡田利規/チェルフィッチュの方法論をめぐっては、拙稿「ヨーロッパ・フェスティヴァル文化から岡田利規/チェルフィッチュが受けた歓待を理論化/歴史化する──「横断=貫網の詩学」と「委任されたパフォーマンス」」(チェルフィッチュ二十周年特設サイト所収、https://chelfitsch20th.net/articles/1834/)などを参照。「becomings-character に回収されない comings-to-be」「〈Jという場所〉からの離脱」「超リアル日本語」といった概念群は、いずれも本稿で念頭に置いている。
<PROGRAM>
MIZUNO Shuko: Symphonic Metamorphoses
YAMADA Kazuki, Conductor, Supervisor [New Artistic Director (Music)]
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra
The Philharmonic Chorus of Tokyo/Ritsuyukai Choir (KURIYAMA Fumiaki, IKARIYAMA Ryuichiro, Chorusmaster)
HAYASHI Eitetsu, Taiko
MUTO Atsushi, Timpani (Yomiuri Nippon Symphony Orchestra)
MITO Hiroyuki, Project Director
Guest Appearances: Tokyo College of Music (Conductors: MIKAWA Masanori, MIHARA Akito, SATO Kazuo, SUGIHARA Naoki, KASHIWAGI Daiki, SAKAYORI Gakuyu, ITAMI Yoshihiro and SASADA Yuto), Aoyama Gakuin University Green Harmony Choir, Keio University Mixed Choir “Gakuyu-kai”, and The University of Tokyo Hakuyo-kai Choir

