7月の1公演短評|齋藤俊夫
Reivewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
♪東京空中庭園 vol.2 妖精採集のためのフィールドノート
2026年7月12日夜公演 尾山台 um→曲目・演奏
「音や言葉で存在の断片をフィールドノートのように書き留めながら、空中庭園にいるかもしれない“妖精”という存在を探っていきます。」(公演パンフレットより抜粋)と謳った「東京空中庭園」第2回公演、辻田作品以外のラヴェル作品も含め、全曲がメロディーもハーモニーもある調性音楽という「妖精の音楽」は、確かに美しく、確かにリリカル、さらにはセンチメンタルだったが、あまりにも「人間的すぎる妖精」ではなかっただろうか。現代音楽のフィールドに限っても、例えば川上統の人間とは異なる存在としての諸生物をモチーフとしたシリーズなど、確かに美しく、どこかリリカル、センチメンタルですらありながらもやはり「人間とは遠いナニモノカの現代音楽的表現」を達成しているのに、である。
だがさらに、上記のような批判点はありながらも、筆者としてもそのような「人間的妖精」の姿に宿るノスタルジアを否定することは(かなりの部分心情的ではあるが)できない。戦後日本最大の文化的精華である「マンガ文化」のなかの、萩尾望都、大島弓子らの作品のような「少女マンガ」の登場によって目覚めさせられ、培われた(筆者含む)我々の想像力・創造力の精華として、今回の「人間的妖精」の音楽も捉えられるのではないだろうか。やや大仰な言い方をすれば、男性的発想に囚われたクラシック音楽、現代音楽のフィールドから少女マンガ的感性によって軽やかに飛翔した音楽たち、それがこの「妖精の音楽」だったのではないだろうか。
2026年現在に生きる「日本現代音楽人」たる我々とはいったいいかなる存在であるのか、そんなことすら考えさせられつつ、美しい音楽に心休まるひとときであった。
♪東京空中庭園 vol.2 妖精採集のためのフィールドノート
<出演>
うた、語り:小田藍乃
パーカッション:永野仁美
ピアノ:増田達斗
チェロ;成田七海
作曲:辻田絢菜
デザイナー:高橋まりな
物語:帳硝子
<曲目>
モーリス・ラヴェル:『眠れる森の美女のパヴァーヌ』(マ・メール・ロワより)
辻田絢菜:『いばらの妖精のうた』(2016/2026)
アーネスト・ジョン・モーラン:『夏の渓谷』
モーリス・ラヴェル:『算数』(オペラ:子供と魔法より)
モーリス・ラヴェル:『妖精の園』(マ・メール・ロワより)
辻田幸徳:『Rainbow Millennium』(2000)
辻田絢菜:『ピカクス』(2026、初演)
辻田絢菜:『月のかがやく夜に』(2021/2026)
辻田絢菜:『Somewhere』(2023/2026)
辻田絢菜:『ゆかにおりないあそび』(朗読とオーケストラのための“長くつ下のピッピ”より)
(2026/8/15)
