Menu

タンペレゆるゆる滞在記|7 フィンランドの冬の長い夜にゆるゆると夢を語る| 徳永崇

タンペレゆるゆる滞在記7 / フィンランドの冬の長い夜にゆるゆると夢を語る 

Text & Photos by 徳永崇(Takashi Tokunaga)

 

ついに冬至を迎える 

冬至の正午ごろ(アパートの屋上より)

フィンランドの暗くて長い夜が、12月中旬になるとますます深みを増してきました。しかし、ここタンペレの昼間は太陽が顔を出さない「極夜」ほどではなく、正午辺りには短時間ではありますが日光を浴びることができます。そして、12月は11月に比べて、気温は低いながらも晴天の日が多いような気がしました。それもあり、鬱々とした気分も若干晴れました。
そのような中、タンペレ交響楽団のクラリネット奏者Reettaさんが2度目のハイキングに連れて行ってくれました。今回はタンペレ中心街から17kmの場所に位置するKintulammiというハイキングエリアです。既に湖は凍っていて、湖面を歩くこともできました。秋の湿地のハイキングでは、泥に足を取られて歩きづらい箇所もありましたが、今回はほとんど雪上で、踏み込む場所さえ間違えなければとても快適に歩行できます。むしろ冬のハイキングの方が初心者には向いているかもしれません。日本では、雪の日にわざわざ森へ行こうとは思いもしませんでしたが、寒冷地には相応の楽しみ方があるのだと気づいた次第です。

凍った湖面を歩く

作曲教育の調査の進捗

12月初旬に訪問したエスポーの音楽院をもって、作曲教育に関する視察はほぼ終了しました。今後は3月の帰国までに成果をまとめつつ、フィンランドに滞在しているからこそできる作業をいくつか済ませておこうと思っています。その中に、研究対象である作曲教育資料データバンク“Opus1”がどのくらい普及しているのか、フィンランド国内の各種学校にアンケート調査を実施する計画があります。
これまで様々なInstituteを見て気づいたのは、Opus1は確かに優れた教材ではあるのですが、それがどのくらい普及し、効果を上げているのかについての調査がなされていないことです。また、この教材データバンクは、子供たちの創作活動を活性化させる以前に、教師自身の視野を広げ、作曲を教え導くための資質を育む側面を持っています。そもそもこのデータバンクは、教育現場で苦悩する教師のために開発されました。ということは、教師たちの教育活動にどのような変化をもたらしたのか、知る必要があります。その第一歩として、上記のアンケートを実施できたらと思っています。既に教育関連の公的機関と連絡を取りつつ、手続きを進めているところですが、とても好意的な印象を受けました。調査結果は、フィンランドの教育界にとっても有益なものとなることと信じています。もちろんそれらを活かして、日本の音楽科教員の手助けができるような取り組みに繋げたいと考えています。

クリスマス前で賑わう露店

帰国後の夢

先ほど、おこがましくも「音楽科教員の手助け」と述べましたが、今回のフィンランド滞在の成果を日本に還元するアイデアとして、現職の小中高等学校の先生を対象にした作曲ワークショップの企画を考えています。Opus1の取り組みもそうですが、良い教材を作ると同時に、教員がそれらにアクセスしやすい環境を整備することが、日本にも求められていると感じるからです。日本においては、そもそも教育関係者と作曲家とのコミュニケーションが不足していると思います。統計データがあるわけではないので、あくまでも個人的な肌感覚ですが、教科書の執筆委員を見ても作曲家の数はごく僅かです。学習指導要領の文面上は、創造性を育むことの重要性から、音楽を「つくる」活動が大きなポジションを得ているように見えますが、そこに作曲家があまりコミットしていないのであれば、非常にもったいないことです。しかも、一口に作曲家と言っても、ジャンルや作風はもちろん、個々の哲学や方法に至るまで非常に多様です。思いついた楽想をいきなり楽譜に書き殴るような天才肌もいれば、コツコツとスケッチを積み重ねる努力型、技法や美学を極める職人気質、アイデア一発勝負の博打打ちのようなタイプ等、枚挙に暇がありません。音楽創作の教材を作るにしても、単に大御所の作曲家から意見を伺って終わり、というわけにはいかないと思うのです。
一方、教育現場では、音楽創作の教え方が分からず、先生が苦しんでいるケースにしばしば遭遇します。話を伺ってみると、そもそも作曲をしたことがないという方も少なくありません。自分が経験していないことを、教科書のマニュアルだけで子供達に教えているのだとしたら問題です。数学で因数分解の課題を解いたことのない先生、あるいは体育で跳び箱を跳んだことのない先生はあり得ないでしょう。なぜ音楽科ではそれが許されているのでしょうか?

作曲家と教育現場とのマッチング

とはいえ現場の先生たちはとても多忙です。さらに、大学の教員養成コースも、人員整理や予算縮小により教育課程の萎縮が顕著で、優秀な教員を育てる体制が整っているとはお世辞にもいえません。しかもその傾向は次第に強くなっています。このことから、一旦現場に出た先生たちが学び直す場を充実させる必要があると思っています。そこで、教員を対象とした作曲ワークショップを思いつきました。市販の教科書の課題を用いて実際に作曲したり、逆にプロの作曲家がその課題を用いて作った作品を披露したり、それらを発展させ様々な取り組みに広げたり、歴史や技法を学んだり等、色々な可能性が考えられます。
このワークショップを企画するにあたり、私はもう一つの重要な問題意識を持っています。本企画には、できるだけ多くの作曲家に関わってもらうことを想定していていますが、活動が軌道に乗り、教育機関やイベントとして自律的な運営が可能となれば、教えることを通じて、若い作曲家の雇用の場にできたらと思っています。少子化とはいえ、日本の音大や芸大の作曲コース等から毎年相当数の学生が卒業しています。しかし彼らの多くは、作曲の高度な知識や技能を活かせる職に就くことが難しく、運良く就職できたとしても収入が自立するのに不十分であったり、場合によっては創作活動を諦めたりするケースが見られます。もちろん、個人レッスンも含め、教える活動を熱心にされている人たちも少なくありません。しかし、私にしてみればまだ少ないと感じます。ちょっと作曲のやり方について聞いてみようか、と思い立ったら、都市部でなくとも身近な連絡先がすぐ検索できるくらい、増えた方が良いと思うのです。そうすれば少なくとも、現職の教員にとって有益な知見を提供しやすくなるのではないでしょうか。このように、作曲家と教育現場のマッチング機能を備えた「Institute」を作ることが目下の夢です。ところで、その自律した教育機関やイベントにするための具体的なアイデアは、まだ内緒です(笑)。

作曲家は畑に種を蒔いてきたか

学会でOpus1の活動について発表する作曲家のMinnaさんとSannaさん

作曲家が教育に関わることは、単に食いぶちを稼ぐのみならず、巡り巡って自分達の活動を豊かにすることへと繋がります。それは、未来の聴衆を育てることに他ならないからです。しかし、このような「種を蒔く」活動を、私たち作曲家は継続して行なってきたでしょうか。
数年前、日本の某大手のコンクールの作曲部門で、演奏審査が実施されないことが決まりました。作曲のコンクールは、本選会で作品が聴衆の面前で演奏され、その真価を問うという機能を持つことから、若い作曲家にとっては入賞せずとも非常に貴重な機会です。それにも拘わらず演奏審査を無くし、楽譜のみの審査で順位をつけるというのですから、特に現代音楽界隈では衝撃が走りました。著名なコンクールであるにも拘わらず、このようなことでは音楽文化の向上を妨げるとして、多くの作曲家や関係機関から抗議の声が上がりました。私も大きな絶望を感じた記憶があります。

トントゥとクリスマスツリー

しかしこの時、なぜこのような事態になったのか、即ち、なぜ演奏審査を実施せずとも問題ないようなジャンルと見做されてしまったのか、ということを問い直し、自省を促す声は上がりませんでした。これを単に主催者側の暴挙や、文化を軽んじる社会の風潮としてのみ片付けて良いのでしょうか。それを許す世間の雰囲気がなかったのか、現代音楽は社会においてどのように受け止められているのか、きつい言い方をすれば「オワコン」になっているのではなかろうか等、様々に考え議論する余地はあったはずです。私はそれらに全く心当たりがない、とはいえないと感じています。そしてこのことは、共感してくれる聴衆をこれまでの音楽教育において育てることができなかった、ということの証左だともいえます。もちろん前衛芸術において聴衆の顔色をいちいち伺う必要はないと思います。しかしだからと言って、わざわざ理解者を減らす必要はないはずです。
偉そうに書きましたが、私に上記を非難する資格はありません。当時、私も声を上げなかった一人ですから。今回のフィンランド渡航の動機には、この時の不甲斐ない自分への反省も含まれています。そして、フィンランドで出会ったOpus1のスタッフは、皆第一線で活躍しながら、作曲教育を通じて子どもたちと真摯に向きあう作曲家たちでした。もちろん、フィンランドであれ日本であれ、教育に関心のある作曲家もいれば、関心のない作曲家もいます。しかし日本においては、もう少し教育にコミットする作曲家が増えるべきですし、そのことで色々な問題が良い方向に向かうような気がしてならないのです。帰国後は少しずつ協力者を募りながら、地道に活動していこうと思います。

年末から年始の風物

冬を迎えた頃は、一面の雪や街のイルミネーションにいちいち感動していたものですが、もう慣れました。そして、思った通りと言いましょうか、既に聞いていた通り、クリスマスはとても静かでした。若者が大騒ぎする日本とは大違いです。静かどころか、12月24日は町中の店が16時に閉まるので、うっかり食材を買い忘れると惨めなクリスマス・イヴを迎えることになります。我が家はまさにこのパターンで、冷凍の肉でギリギリ凌ぎましたが、ビールを買い忘れてしまい、私にとっては相当に寂しい夜でした…。
大晦日の夜は、一般の人が色々なところで花火を打ち上げるので、犬が怖がって散歩が大変でした。ただ、スーパーは普通に開店していて、クリスマス・イヴの失敗経験から焦って買い出ししようと張り切っていたところ、拍子抜けです。その流れで元旦も特に何もなく、初詣の風習もないわけで、家でぐだぐだと過ごした次第です。
このような感じで、2022年もゆるゆるの1年になりそうです。3月中旬の帰国を控えて、少しずつ整理の段階に入ってきました。残り2ヶ月強、何が起こるか分かりませんが、あまり流れに争わず、たゆたいながら、しかし業務を全うしていく所存です。

(2022/1/15)

————————————————
徳永崇(Takashi Tokunaga)
作曲家。広島大学大学院教育学研究科修了後、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修および愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。ISCM入選(2002、2014)、武生作曲賞受賞(2005)、作曲家グループ「クロノイ・プロトイ」メンバーとしてサントリー芸術財団「佐治敬三賞」受賞(2010)。近年は、生命システムを応用した創作活動を行なっている。現在、広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。2021年4月から交換研究員としてタンペレ応用科学大学に在籍。