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注目の一枚|鷲宮美幸「舞踊の彼方へ」|齋藤俊夫

鷲宮美幸「舞踊の彼方へ」
Miyuki Washimiya Au-delà de la Danse

ALM Records/有限会社コジマ録音
ALM-7327
6月7日発売

<演奏>
ピアノ:鷲宮美幸
<曲目>
F.プーランク:『村人たち』
B.バルトーク:『ルーマニア民俗舞曲』
A.ヒナステラ:『クリオージョ舞踊組曲』
F.プーランク:『2つのノヴェレッテ』
F.プーランク:『マヌエル・デ・ファリャの主題によるノヴェレッテ』
H.デュティユー:『ピアノ・ソナタより第3楽章「コラールと変奏」』
C.ドゥセ:『ショピナータ』
W.A.モーツァルト/F.サイ『トルコ行進曲ジャズ』
G.ガーシュウィン:『ソングブックより(スワニー/私の愛しい人/アイ・ガット・リズム)』
H.ビショップ(L.ゴドフスキ編):『ホーム・スィート・ホーム』
H.マンシーニ(鷲宮美幸編):『ひまわり―愛のテーマ』
山田耕筰(小池花奈編):『赤とんぼ』

最初に本CDを試聴したときは、いわゆる現代音楽畑の超絶技巧とは異なる、あどけなくて聴いていて優しい気持ちに満たされるピアノだなあ、とだけ感じていた。だが、なんとなく繰り返し聴いて楽しみ、さらに居住まいを正して聴くうちに、このCDの魔法によって「あなたの人生の物語」1)を聴くような感傷的な感動の中に自分がいることに気づいた。

物語の開幕、プーランク『村人たち』、ごくごく短くシンプルな作品ながら、要所要所に差し込まれる非和声音が心地よく鼓膜を震わせる。今では断片的な記憶だけになった幼年期、もしかすると乳児期のおぼろげな光の印象。
プーランクの小曲集の第6曲が布石となっていると筆者は聴き取ったが、次のバルトーク『ルーマニア民俗舞曲』とヒナステラ『クリオージョ舞踊組曲』は先のプーランクよりももう少し大きくなった時代の音楽。一般的な民俗派の荒ぶるイメージとは一線を画す、子供が山賊ごっこをして踊っているような、やんちゃな愛らしさが眩しくほとばしる。またバルトークの第3、4曲、ヒナステラの第1、3、4曲の静かな調べも他に代え難い、有難い。鷲宮のピアノの音の丸さは、例えば伊福部昭の第一人者、松田華音のピアノのような重く硬質な音色のようなますらおぶりではなく、女性的、いや、少女的なたおやめぶりを感じさせる。
プーランク『2つのノヴェレッテ』『マヌエル・デ・ファリャの主題によるノヴェレッテ』は優雅、可憐な、ただし前者の第2曲では少し小悪魔的な、淑女(レイディ)の音楽。これぞクラシックのピアノ曲と感じた。
軽やかなプーランクから一転しての神秘的な和音の強打に始まるデュティユー『ピアノ・ソナタより第3楽章「コラールと変奏」』は本CDの形式上の中央に位置し頂点をなす。性別を超えたトニオ・クレーゲルのような人類愛と芸術愛の理想がダイナミックに歌い上げられる。鷲宮のピアノの角の取れた丸い音色と正確な読譜、レアリゼにより、軟らかい結晶という不思議な物質を顕微鏡で見るような神秘的体験の熱量の高さ、これはまさに青春時代だ。
さらにデュティユーの真面目さから一転してのドゥセ『ショピナータ』、モーツァルト/サイ『トルコ行進曲ジャズ』、ガーシュウィン『ソングブックより』の洒脱さに酔わされる。笑いつつも切り合うような駆け引きに満ちた大人の遊びの世界。本当だけど嘘。嘘だけど本当。好きだけど嫌い。嫌いだけど好き。
そんな大人の世界からさらにさらに一転してのビショップ『ホーム・スィート・ホーム』での本CDに収められた人生の物語の幕引きを告げるがごとき切なさったらない。なんでどんな人生にも、どんな物語にも終わりは来るのだろうか、と。
『ホーム・スィート・ホーム』で涙腺が緩んだところにマンシーニ『ひまわり―愛のテーマ』である。戦争によって引き裂かれた恋人たちの音楽でこのCDの物語は終わるのか? なんと残酷な。
と思わせたところで最後の最後に山田耕筰の『赤とんぼ』で郷愁はいやが上にも高まり、本CDの全ての楽曲が人生の最後での回想の内での出来事であったかのように感じられてくる(小池花奈の編曲も良い)。人生は円環を描くように老年期が幼年期へと還ると聞いたことがある。最期に聴く音楽が幼年期の赤とんぼの記憶へと繋がるように。ああ、あなたの人生の物語はこんなにも美しかったのだね、と感無量になる。良かった。全ては良かったのだ。
幼年、少年、青年、大人、老年、と全てを見て、聴いて、奏で続けて、最期にこのような音楽が待っていてくれるのならば、我らの人生の物語とはなんと祝福され喜びに満ちたものであろうか! 本CDで聴く音楽の美しさはただ音だけの美しさではない。それは人生というものの本質的な美しさなのだ。

1)これはテッド・チャン著のSF小説のタイトルである

(2026/7/15)