自選<ベスト・レビュー>&<ベスト・コラム>(2025年)
自選ベストレビュー →<ベスト・コラム>
本誌 2025/1/15 号〜2025/12/15 号掲載のレビューよりレギュラー執筆陣中7名が自選1作を挙げたものである。
◆秋元陽平
セミヨン・ビシュコフ指揮 チェコフィルハーモニー交響楽団
2025/11/15号 vol.122
チェコフィルならびにマエストロ・ビシュコフのSNS広報に反応していただけたことは光栄だったが、私がこの記事の最後の方で書いたことは要するに音楽の尽きせぬ謎についての、素朴とも言える述懐であったのだと思う。
◆大河内文恵
On Verra, 5e バスタイユ・カンタータの愉悦
2025/9/15号 vol.120
聴いたコンサートに対して、どのような語り口でレビューを書くのか、自分の定型のようなものを持たない私にとっては、レビューの内容と同じくらい大きな問題である。このコンサートでは、そういったことを考える前に書けてしまった。というより、コンサートに書かせてもらったレビューだった。
◆大田美佐子
見よ東海の空明けて― 敗戦80年に問う戦時期の音
2025/9/15号 vol.120
言葉とは異なるレベルで、歴史を共有することの意味、受け取り、伝えることの意味をずっと考えている。
そのような視点と問題意識から、自分自身でも足かけ11年、レクチャー付きの舞台を企画し、パフォーマンスを通じて音楽による文化的記憶の問題を考えている。
東京音楽学校旧奏楽堂で上演された本企画は、四半世紀を迎えた洋楽文化史研究会、渾身の企画、忘れ得ぬ歴史的体験だった。
こういう体験を聴衆のひとりとして、真摯に文字に刻むことが私自身の大切な役目だとあらためて感じた。
◆丘山万里子(Mariko Okayama)
西村朗 トリビュート・コンサート
2025/10/15号 vol.121
西村朗論連載4年、まとめて大著出版もしたが、西村作品演奏「批評」は長い批評人生でこれがなんと2本目。だけでなく、この1年、コンサートレビューはわずかしか書いていない。
レビューという枠内で書くことが難しくなってきたのだ。一つの公演に、いろいろな想いが寄せてきてしまう。最近はいつも、これが最後と思ってレビューは書いているが、「今ここ」の音の現場に身を置いていないと長い評論も生きたものにはならないわけで。
◆齋藤俊夫(Toshio Saito)
オペラシアターこんにゃく座公演「明日のオペラへの誘い」
2025/4/15号 vol.115
以前にも書いたことがある気もするが、批評を書いていて、自分が書いているのではなく批評対象が筆を取っているような文章が書けることが稀にある。このレビューもその1つで、宮沢賢治の「ほんたうのこと」が自分を導いてくれた気分で書き上げられた。後になって自分で読んでみても、ああ、たしかに、自分の中にもある「ほんたうのこと」が感じられる文章だなあ、としみじみ思えるのでこれを年間ベストレビューに選びたい。
◆藤堂清(Kiyoshi Tohdoh)
クリスティアーネ・カルク ~クララ・シューマンへのオマージュ~
2025/1/15号 vol.112
コンサート・レビューという特性上、プログラムや曲目についてふれ、その意義を書くことが必要であろう。また演奏の特徴を取り上げることも重要。よく知られている曲であれば、後者のウェイトが大きくなるだろう。この日のコンサートではクララ・シューマンという演奏頻度が高いとはいえない曲が多くを占めた。そのため曲の紹介にもある程度配慮した。曲と演奏のバランスがとれた記述になっていると考える。
◆能登原由美
イゴール・レヴィット ピアノ・リサイタル
2025/11/15号 vol.122
感銘を受けた演奏ほど言葉にするのは難しいと最近思うようになった。というより、その余韻にいつまでも浸りたいがゆえにあえて言語化したくないというほうが正しいかもしれない。パソコンのキーを打つたびに感動が遠のいていくようでなかなか先へ進めないレビューであったが、読み返してみるとそれなりに言い表せているように思える。
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本誌 2025/1/15 号〜2025/12/15 号掲載のコラムよりレギュラー執筆陣5名が自選1作を挙げたものである。
◆丘山万里子(Mariko Okayama)
特別寄稿|戦後80年に〜三善晃の見た戦争
2025/8/15号 vol.199
戦後80年ということで、連載を開始した三善晃の特別版として書きだしたが、収集するにつれ、三善のドキュメントがあまりに重く辛く、その衝撃から立ち直るのに2ヶ月かかった。が、それで見えてきたものがあった。向き合わなかったら、全く違う論になっただろう。
◆柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
プロムナード|馬の嘆きに耳を澄ます
2025/10/15号 Vol. 121
宇品港から戦地へ運ばれようとする一頭の馬が写る古い写真を起点に、2025年9月上旬に学生との広島でのフィールドワークの際に聞いた軍馬が嘆く様子や、原民喜が原子野で目にした馬について綴ったエッセイに触れながら、生きものたちを犠牲にしながら続く歴史を問いただすという思考の課題を提示した拙稿を、被爆と敗戦から80年の節目に寄せた一篇として挙げたい。2025年は、初期の準備過程から一端に関わった細川俊夫作曲、多和田葉子台本によるオペラ《ナターシャ》の世界初演(8月11日/新国立劇場オペラパレス)に立ち会えたのも感銘深かった。
◆齋藤俊夫(Toshio Saito)
評論|今、愛に救いを求めることの虚しさ―『ナターシャ』と『果てしなきスカーレット』を巡って―
2025/12/15号 vol.123
我ながら随分と力んで殺気のこもった文章をものしたものだと思うが、一字一句でも撤回するつもりなどがあったならば発表するに値はしない。細川俊夫・多和田葉子にしても、細田守にしても、「現代」と自分なりに向き合って表現活動をしているのであろうが、そこで「しかし」とまっすぐに言わないで何が批評だ評論だ、という青臭い表現の場こそがメルキュール・デザールであることを信じてこの評論をベストコラムとしたい。
◆長澤直子(Naiko Nagasawa)
瞬間(とき)の肖像| Tokyo Cantat 2025 第9回 若い指揮者のための合唱指揮コンクール【本選】
2025/5/15号 vol.116
若い指揮者たちの「今、この瞬間」に立ち会い、技術や結果ではなく、音楽と向き合う姿勢そのものを伝えようと試みた。
◆松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
パリ・東京雑感|縄文人が聞き取った「神の声」
2025/11/15号 vol.122
最近読んだエッセイに、バーナード・リーチが信濃境の井戸尻考古館に立ち寄り、縄文土器を見たとき、「腰が抜けたようにそこへ座りこんじゃって」時間を忘れ、次の予定も忘れ、「これは世界の宝ですよ」と唸っていた、と書いてありました。若いとき出会って以来、いつかこの〈宝〉について書かなくてはと思いながら、力が及びませんでした。
この夏は偶然ヒッピーのうたげみたいな縄文祭に出会い、11歳の少女の神秘的な絵に出会い、縄文の神さまがこれだけお膳立てしてくれたのだから、いま書かなければ叱られるとせきたてられる思いで、〈宝〉の周辺をちょっと撫でてみました。
(2026/1/15)
