私の10年|うたへの問いの十年|柿木伸之
うたへの問いの十年
Text by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
広島と長崎の被爆、そして第二次世界大戦の終結から70年の節目を迎えた2015年の夏、『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)を上梓した。当時研究の拠点を置いていた広島では、被爆の記憶を伝えていくことに対しても、戦争に巻き込まれることに対しても危機感が強まっていた。「安全保障法制」の「整備」が進められていた。危機感に少しでも応えようと、原爆を記憶することや、他者とともに平和に生きることなどについて、拙いなりに考えていたことを込めた一冊である。
この本には、歌人の集まりで話した内容が含まれている。その講演では、「原爆に遭う」出来事を想起することと、うたうことの接点を探ろうとした。その機会が得られたことは、原民喜の詩に対する興味を深める契機にもなった。本の表題も、「夏の花」の終わり近くに記された彼の詩から採っている。プロムナードに記したとおり、今年の初秋に福岡の学生と広島を歩き、宇品港という軍港の跡地に設けられた宇品波止場公園を訪れた際、こうしたことを思い出した。似島を望むその場所には、近藤芳美の歌碑がある。
歌碑には、「陸軍桟橋とここを呼ばれて還らぬ死に兵ら発ちにき記憶をば継げ」という一首が刻まれている。波止場から艀に乗せられ、生還することのなかった「兵ら」一人ひとりに思いを馳せることを呼びかけながら、都市の歴史にも問いを投げかける歌として響いてくる。これを詠んだ歌人と縁のある歌人と広島で出会えたことにあらためて感謝を捧げたい。それをきっかけに、それまで音楽と結びついていたうたへの問いを、短歌を含む詩にも通じるかたちで立て直すことになった。その問いに現在も取り組んでいる。
うたうとはどういうことか。この問いを、戦禍が続き、命あるものが破局に瀕した今を生き延びることへ向けて深めること。それは美学の課題の一つだろう。うたうこと。魂を震わせ、羽ばたかせること。それは、死者を含む他者とともに、ある場所で一つの命を生きること自体を響かせる。その可能性を探るにあたり、宇品の歌碑にも詠まれた戦争のなかで「うた」が、情動の次元から人々を動員するのに用いられた歴史も顧みなければならない。このことを、被爆と敗戦から80年の節目にあらためて考えさせられた。
東京国立近代美術館で開かれている展覧会「記録をひらく、記憶をつむぐ」において強調されている点の一つは、軍都としての広島が象徴する近代日本の戦争への「国民」の内的な動員に、絵画とともに詩や音楽がさまざまな媒体を駆使して用いられたことである。多くの芸術家が戦争遂行のために腕を振るい、当時の人々はその作品に心を動かされた。このことを可能にした芸術の姿を見定めることも、現代の美学の課題の一つだろう。そのような問題意識を示した一人に、福岡を拠点に活動した美術家、菊畑茂久馬がいる。
菊畑は、藤田嗣治らが戦争を「記録」した絵画がアメリカ合衆国から「貸与」された早い時期に、その公開に向けて働きかけた。菊畑は、1950年代から「美術」そのものを問う活動を示した後、二十年近くの沈黙を経て、1983年から新たな絵画を展開し始める。そのなかに「舟歌」と題された一連の作品があることを知った。その画面には、海と結びついた作家の記憶が湧き上がっているようだ。そこにある「歌」も視野に入れながら、うたをその可能性へ向けて問うことを、福岡に研究の拠点を移して5年目になる今、自分に課している。
(2025/10/15)
