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三つ目の日記(2025年8月・9月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2025年8月・9月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio):Guest

 

2025年8月3日(日)
先日、飯島暉子の展示を見た際に入手した冊子をめくる。2024年に北海道札幌市で開催された個展の展示の様子の写真を掲載したものと思われる。加えて、展示に際してのことと思われる文章。そして、ある場所でのことを記した文章。文章のそれぞれが、二つ折りになった白い紙片にプリントされ、冊子のページに挟まれている。写真の多くから、展示の行われた場所がかなり暗かったことが想像できる。
見せるということ。見えるということ。見るという行為。作品を前にする行為。作品に包まれるということ。この間の展示では、照明は作品に向けられてはいないように思えた。作者に問うと「動線をつくるようにしている」とのことであった。
会場で撮らせてもらった写真を見返す。インドネシアのジョグジャカルタに滞在したときのものだろうか、買い物した商品を包んでいた新聞紙の、折れ目、しわに色をつけたという作品。そういう作品と聞いて、なんのことかわからなかったが記憶に残っていた。自分の部屋にたたんで保管してある包装紙に触ってみる。展示されていた作品は、片面の片面に片面が、片面の片面に片面が、それぞれ見えるように、壁に固定されていた。
2025年7月25日の日記)

 

8月4日(月)
DVDで『ディア・ハンター』を見る。1978年公開。評判の映画であるらしい。だが、途中からずっと『大沢悠里のゆうゆうワイド』のことを考えていた。

 

8月5日(火)
19時に起きる。済ませる用事があり、20時過ぎにようやく朝食。0時をまわってから昼食をとり、DVDで『彼女たちの舞台』を見る。5時に夕食。

 

8月10日(日)
帰宅すると、雷が鳴って雨が強くなって、すぐに静かになった。
初台へ。中尾微々写真展の最終日に、展示会場でoono yuukiの弾き語りライブ。「ギターを弾いて歌を歌いたい気持ちがとても強い現在」(2025年7月31日のSNSへの投稿内の一文)という文を読んで、その場にいたくなった。歌を聞きながら、ガラスの向こうのアスファルトの路面を眺める。路面は近隣の光に照らされて白く見えている。ときどき、降っている雨のしずくが跳ね返る。暗がりの隅に草が生えている。左右背後を写真に囲まれて、人がギターを弾いて歌っている。最後の、短い曲が終わる。それからもう一曲。oono yuukiと中尾微々のふたりは「イムジン河」を歌った。夜に照明がともされ、白い壁に、展示された写真が浮かぶ。先週見た写真(2025年7月31日の日記)の前をもういちど通りすぎる。人を被写体とした写真の点数を数える。会場を出て、駅まで、小降りの雨に濡れる。
もういちど雷が鳴る。開くことのなかった折りたたみ傘をバッグから出し自室の床に置いて、麦茶を飲む。23時30分。雨が屋根を叩く音。またすぐに静かに。今日はこの繰り返しかもしれない。上空からは飛行音。エアコンの風音、隣室からの水道音も加わる。日付が変わる。あとすこしで、この夜が終わってしまう。3時。傘をさす。郵便物を出しに郵便ポストへ向かう。コンビニエンスストアに寄ってなにも買わずに帰る。三つ買うと割引になるので購入した韓国のインスタントラーメンをつくる。韓国のインスタントラーメンにはたいてい麺とスープを一緒に入れるよう袋に説明が記されている。そして何分か煮込むのである。たまごをひとつ入れる。降り続くこの雨が、どこか屋外に置かれたままになっている箱を満たし、そこからは細々とした流れが地面へと達している。その箱に棲むという小魚は底の方で白くなって眠っているだろう。4時57分。玄関の窓の外が、雪でも映しているように青白い。朝に、なってしまっていた。

 

8月14日(木)
先日見た、タイトルに「DIY」ということばが含まれている展覧会のことを思い出している。展示されていたのは「作品」であった。そこにはDIY精神があるということなのだろう。抱いていた「DIYでつくったもの」からはかけ離れていた。自分の先入観がこの展示を受け入れることの邪魔をする。DIYにはこういうものもあるのかもしれないが、違う流れもあるのではないか。ものづくりが得意なわけではなくてもつくることを余儀なくされたということがあるかもしれない。頼まれたわけではなく、実績もなく、ただ思いついてつくってみる衝動を発端に動くこともあるだろう。「手仕事」というようなこととも違うなにか。DIYということを、そして、カテゴリー、呼称によって規定されない行動ということを考える。

 

8月15日(金)
広く歌われている歌の動画をいくつも視聴する。歌手を職業とする人が美声をふるって滔々と歌い上げている。広場で誰かが歌っているのを誰かが撮影したような動画もある。

 

1985年8月30日(金)
昨晩23時過ぎに電車に乗り、青春18きっぷを使って大垣経由で京都駅へ向かう。朝になり増えてくる乗客の話し声がいつのまにか関西弁になっている。

 

1985年8月31日(土)
バスで荒神口へ。高野悦子の『二十歳の原点』で知った喫茶店「しぁんくれーる」でコーヒーを飲んでたばこを吸いながら手紙を書く。クラシックの音楽が流れている。だいぶ時間が経ったので2階へ移動。2階はジャズが流れている同じ名の店。
その後、四条河原町から烏丸の方へ歩いている途中にあったレコード店でモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番と15番の入っているカセットテープを購入。
四条大宮の映画館で『小松みどりの好きぼくろ』と『ラブホテル』のオールナイト上映を見る。朝になり映画館を出る。

 

8月31日(日)
小田急線で小田原へ。大きな施設で展示を見たあと、海まで歩く。ずっと海が見たかった。御幸の浜という砂浜。海水浴場でもあるらしいが、海の家などはすでになくなっていた。波打ち際で石を投げる人、水に浸かる人、腰を下ろして水平線の方を向いている人。日陰でビニールシートを敷いて集っている人。球戯にふけっている人。視界に海が広がって、平べったい小石を拾って、白く崩れる波を見て、すぐにもうここを去ろうという気持ちになる。砂浜が歩きにくかったからかもしれない。駅へ向かう。海にいたときに聞こえていた音を思い出すことができない。

 

1985年9月1日(日)
京都駅近くでパチンコをして過ごす。夜は京都駅前の広場のベンチに横になって野宿。ラジオで『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』を聞く。放送局のある大阪に近いので東京よりよく聞こえると考えていたがそうでもない。電波状態が悪くて聞くのをやめる。

 

9月6日(土)
古い農家の一部を改装したというギャラリーでの向井三郎の展示。入口前の庭には小川が流れ、奥には大きな池がある。のどが渇いていたのですこしかけ足で展示を見て、アイスコーヒーを注文してソファに腰掛ける。一面のガラスの向こうに池が見えている。池の水は濁っている。一本の蜘蛛の糸の上を光が移動している。黒い大きな蝶が飛んでいる。灰色の小さな蝶が飛んでいる。黄色の中くらいの蝶が草の緑の葉にとまる。池に覆いかぶさるように、なめらかな木肌の木が幹を伸ばしている。太陽の光が水面で反射して木肌に映ってゆらめいている。ピンクの花弁がひとつ枝先から地面に落ちる。日が翳ると、木肌のゆらめきは消える。ここからは、空は見えない。
池のある庭に降りてみる。小さな青い柿の実が数個落ちている。魚の潜る小さな音と波紋。幼魚が数匹、人が来てもかまわずに水面を泳いでいる。水のこちら側の面に、こちら側の世界が反転して映っている。水中の世界は水面付近しか見えない。池の縁の草むらに足を置いたとき、ガサっと音がして蛇が対岸へと泳いで逃げた。蛇がいる、と知ると怖くなりギャラリーに戻った。
展示会場に掲示されていた文章を読む。「(……)見晴らしの良い位置にイーゼルを立て空や水面を観察します」「風と景(光)として、またそれを孕む時の流れや重なりとしてこの世界を捉えてみたいと思います」といった具合に、「描く」というような制作のことばは、使われていない。作品は描かれている。作者と作品とのあいだには、なにが起こって、どのようなやりとりがあったのだろう。
さっきとは別の場所に腰をおろして、ケーキを食べてコーラを飲む。目の前には、海と空の大きな絵、そしてその上には、海と空の大きな絵が、すこしの間隔をあけて、テグスかなにかで繫げて展示されている。この作品だけが、額に収められず剝き出しの状態になっている。ケーキとコーラがなくなったあとも、そのままそこにいると、眠くなってきた。すこし眠ってもいいかもと思いながら、部屋の中がだんだんと暗くなってきたこと、目の前の海の風景が現実味を帯びてきたこと、などを感じる。今日はギャラリーが閉まる時間までいよう。そうしたらひぐらしの鳴き声を聞くことができるかもしれない。
2021年11月24日の日記)(2023年11月18日の日記)(2024年12月10日の日記)

 

9月7日(日)
「水面」は、空中の側から見た水の面を言っている。水中から見た空気の面をなんと言えばいいだろう。

 

9月12日(金)
入口すぐ、芳名帳に名を記して顔をあげると、箱の上に箱が載っている状態を上から撮った写真。写真のなかにその場の光源を探す。その右側の広い壁に、長方形の小さな薄い板が透明な持ち手のプッシュピンで留められている。板は壁に密着しておらず、すこし浮いている。板の上にプッシュピンの影がふたつ、左右に映っている。板の端から壁にかけて、板のものと思われる影がふたつ、左右に映っている。板の角は角ばっており、影の角の部分は丸みを帯びている。しばらく、天井の照明を観察する。照明の光の残像が視野に残ったまま、対面の壁の作品へと振り向く。梱包用クラフトテープが、専用のテープカッターを用いたのか、両側がギザギザになった状態で縦方向にわずかに斜めに貼られている。その右側の壁、つまり入口のある壁の左上方には鉛筆で描いたドローイング。隣の部屋へ。横になり寝っ転がれるような折りたたみ式の長椅子が、窓が見える方に向けて置かれている。頭の部分には膝掛けかなにかが縦に折りたたまれて掛かっている。室内壁面のくぼみの空間には、筒状に丸めたクラフト紙とそれを収める紙袋、板とそれを収める気泡緩衝材、四角い皿に四角いチーズが乗っている写真が置かれている。
エアコンから冷えた空気が放出される音が静かに響いて空間を満たす。音が聞こえている最中、視野にはなにかが映ってはいるがなにかを見てはいない。なにかを見ようと試みると音は聞こえていない。(髙柳恵里の展示)
2022年3月15日の日記)(2024年9月27日の日記)

 

9月16日(火)
南武線で川崎駅へ。アートガーデンかわさき第2展示室で「この海の向こうに──パレスチナ・ウクライナを思う展覧会」を見る。約20名の作品が展示されている。齋藤レイの「朝の光たち」というドローイングを本にした作品。2024年7月22日から2024年10月7日まで、朝に水彩絵の具で描いた76枚。だが、日付を数えると78日あり、描かれなかった日があることになる(9月22日がなかったことを記憶している)。手にとって最初の日からページをめくる。にじんだ光の日。なにかがかたちとなって現れたような日。掲示されているキャプションには、「(……)自分の心の中の柔らかい部分をどうにか保つために過ごした抵抗の日々の記録として(……)」という一節がある。自分の過ごした日々を振りかえる。

 

2020年9月19日(土)
DVDで『ローリング・サンダー』(監督:ジョン・フリン、1977年)を見る。笑みを浮かべていても、それは感情からくるものではなく、肉の皺がただそのように見えているにすぎない。なにも感じない人は、かつて生きていた、そして、いまは死んでいるのだ、というようなことは言わない。言うことは、非常に抑制されている。映画の中で何発銃弾を受けても立ち上がるのはそういうことだろう。

 

9月23日(火)
鎌倉へ。小町通りを進む。祝日ということもあるのか大勢の人。ときどき歩みを止めざるを得ない。原宿の竹下通りってこんな感じだったっけ。脇道に逸れたところにある一軒家のギャラリーでさとう陽子(2020年10月4日の日記)(2021年4月23日の日記)(2023年9月2日の日記)(2024年10月17日の日記)(2025年4月16日の日記)の展示を見る。絵を描く行為があり、それによって生じているものがある。それを見ている人に、なにかが生じる場合がある。絵がいいとか、きれいだとかうつくしいとか、変化したとか変わらないとか、深いとか洗練されたとか精緻だとか、そのようなことを言えば「鑑賞」はなされることになるのかもしれない。わたしには、これらの作品によって、世界の、ひとりの、ひとりひとりの、ありようが問われているように思えた。その場で知り合った方と、どのような活動をしているかなどの自己紹介をし合う。
その後、代田橋へ移動。谷口雅展を見る。街路樹と思われる柳の木を撮った写真のシリーズが低い位置に渡された長い板に展示されている。住宅街の道路端などにみられる残雪を撮った写真のシリーズが壁に展示されている。どちらもモノクロで、だいぶ前にプリントされたもののようである。すべての写真が天井の方を向いている。見る者は覗きこむことになる。一枚、一枚、歩みを進めることで、撮影してまわった撮影者の歩幅が現前する。雪よりも空が白い。柳の写真にしても、空は固有の場所の空白の背景に徹しているかのようである。

 

9月27日(土)
8月14日の日記。自分の抱く違和感は、たんに自らの無知によるものなのでは? 呼称を与えられることにより救われることもあるのでは? ホットケーキにチーズをはさんでシロップをかけて食べる。

 

〈写真掲載の展示〉
飯島暉子 微熱 / Slight fever 会場:藍画廊 会期:2025年7月21日〜8月2日
向井三郎展「風・景」 会場:夏庭 会期:2025年8月1日〜9月28日
髙柳恵里 場所と大きさ 会場:藍画廊 会期:2025年9月1日〜9月13日

(2025/10/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年にウェブサイトとして再開した『etc.』を展開中。https://tenrankai-etc.com/