三つ目の日記(2025年4月)|言水ヘリオ
三つ目の日記(2025年4月)
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio):Guest
2025年4月3日(木)
用事が済んで駅へ。ホームに立ってふと、行くのをあきらめていた展示にこれから行けるのでは、と思い立つ。西荻窪駅で下車して北銀座通りを歩く。善福寺川に鴨がいる。写真を撮ろうとしたが泳いで向こうに行ってしまった。橋の付近を撮る。
ギャラリーの扉は引き戸になっている。静かに閉める。全体にほの暗い暖色の照明。新谷仁美の絵と森田春菜の陶が展示されている。ふたつの声。語り合い、歌い、なぞなぞを出し合う。うめき、笑う。沈黙する。絵はひかりのなかで絵であることを仄めかす。なにが描かれているかを考えなくてもよかった。これらが描かれたものであるというだけで。細かな亀裂の入った絵が何点かある。そうなることもあるのだろう。陶は白く、くるくると螺旋状に、端と端が離れているもの、繋がっているもの。立体的な記号が造形され出現したような不思議な光景。極微のかけらを拡大して見ているのであって、本当は目には見えないもの。いつのまにか扉の外が暗くなっている。
目にする人もいないどこか、屋外に、ふたりの作品があったらということを夢想する。絵は雨風で絵の具が剝がれ落ち色褪せ、矩形を保つこともできなくなるかもしれない。陶は砂や泥に覆われ苔が生え埋もれてしまうかもしれない。だがそれらは星のもとにあり、存在することや存在したことをやめない。
駅までの帰り道。以前入ったカレー店を探すがみつからない。通り過ぎてしまったらしい。駅近くのチェーン店でカツカレーを食べて帰宅する。
4月5日(土)
さっきまでそこにあったものが撤去されたとき。撤去される前の位置にピントを合わせて写真を撮ってみると、ただぼやけた画像が残った。なくなった状態を写すことはできなかった。
4月10日(木)
2月に再入院していた母が今日退院。介護のあれこれで一日費やす。自宅の最寄駅近くの牛めしチェーン店で知らない食べ物を注文。店員さんに食べ方を聞く。帰宅してすぐに日付が変わる。疲れた。早朝、頭痛と倦怠感。
4月12日(土)
麻布十番駅で地下鉄を下車。地上に出る。15時近い。まだランチをやっているちいさな店があったのでそこでカツカレーを食べる。ギャラリーへ向かう。
秋野ちひろの展示。壁と窓際に薄い真鍮の作品。台の上と棚には石膏とそれにかかわるような薄い真鍮の作品。石膏の立体物を見て、不在の代替として白い物体を置いているような感覚を覚える。それは、そのまわりに浮遊する軽い真鍮が飛んでいかないように押さえている支えのようなものではないか、と考える。この段階では、作者がひとつの根拠で制作しているという前提の先入観で作品を見ている。のちに、作品の源泉はさまざまであることを知る。
石膏の部分が先につくられるという。真鍮の部分は、容器のようでもあり、まとわりつく、よりかかる、囲う、流れる、なにかでもあろうか。拡張された空間が感じられる。壁や、作品が置かれている水平面に影が落ちている。作者の話を聞く。個々の作品はもとは、風景であったり、ものであったりするという。壁にある作品にとっての壁や、この建物、あるいはギャラリーと、石膏の物体とは類似していないか問う。壁と石膏には関連がありそうであった。
この展示の案内はがきに記載のある文を読むと、「どちらが主でも従でもなく」ということが書かれている。どちらも主である、というような主従関係からもはぐれているのだ。
(*)(*2021年4月2日の日記)
同じ日
麻布十番駅から目黒駅までは地下鉄で一本。意外と近いことを知る。目黒駅から目的のギャラリーまで歩くと約20分かかる。今日はバスに乗った。
ここは道路に面する壁がガラス張りになっていて、外にも見えるような展示がなされている。なかに入る前にその様子を写真に撮る。車の通行量がけっこうあり、通り過ぎるのを待っていたら10分くらい経っていた。川口祐の展示を見る。
展示スペースに入って左側の壁。両手のひらに収まるくらいの大きさの四角い作品が8つ、ほぼ等間隔に並んでいる。それぞれ異なる淡い色彩。厚みがある。作品下部の壁に影が伸びている。その右側の壁には、同様の作品が6つ、2つ組みが間隔を開けて3つという具合に、先ほどの壁のものよりすこし上側に列をなして並べられている。いつの間にか、白い壁を見ている。これまでここで行われてきた展示の痕跡がある。天井の照明を見る。どこを照らしているか。展示されているひとつひとつの作品はとても小さい。側面を観察する。絵画作品の側面というより、物体の横のところ、という感じがする。正面と見えている面は、正面というあり方を逃れているのかもしれない。歩みを進めると柱があり、展示空間と事務空間のあいだを媒介するようにひとつ作品がある。その向かいの壁には、ほかより離れた間隔で4つ、あるいは、柱を挟んだ左側の狭い壁へ、4つの延長のようなひとつも加えて5つが列をなして並んでいる。その左側、つまり入口から見て正面の壁には4つ。
素材は紙粘土であるという。色彩は絵の具を混ぜているのかと質問すると、そうではなく、既成の色付きの紙粘土というものが何色かあり、それを混ぜ合わせて色を出しているとの返答。手のひらのなかの感覚のこと、また、色は色だけでは存在できず、物体がいるという話。淡い色彩は、ものとして際立たせるため。鮮やかな色彩は光に近づいてしまうという話。支持体を持たない、地と図でいえば図だけでなりたっているという話。作者から話を聞いたり問いかけをしたりする。この場所に作者がいたことにより生じたこの時間も、作者の作品には不可欠なことなのだろう。
目黒駅には戻らず、近くのバス停から乗ることのできる別の駅行きのバスに乗車する。バスが通るにしてはかなり狭い道を、何度も曲がって目的の駅に到着。大きな駅ビルでくすんだ淡い水色のTシャツを買ってさらに電車に乗る。
(*2024年7月26日の日記)
4月16日(水)
さとう陽子の展示。作品を見ていたら、頭にこんな映像が浮かんできた。
室内で作者が手を動かして紡ぐように絵を描いている。手元は明るく、その場所の全貌は影に覆われている。描くときのかすかな物音が時を進める。その様子をずっと眺めている。眺められていることに作者は気づいていない。やがて眺めることをやめ、なにかし始めて、作者が描いていることも忘れる。作者は淡々と絵を描いている。もういちど絵を描いている様子を眺めると、作者ではない別の誰かが絵を描いている。
(*2020年10月4日の日記)(*2021年4月23日の日記)(*2023年9月2日の日記)(*2024年10月17日の日記)
4月18日(金)
ギャラリーへ向かう途中、空腹をごまかすためにコンビニエンスストアでミックスサンドとお茶を買って店の脇で食べる。そして、踏切と横断歩道を渡ってギャラリーに到着。入口左の段差の隙間でムラサキカタバミがピンク色の花を咲かせている。
戸室健介の2023年、2024年の展示を見た。動物園で撮った写真。動物園を撮った写真。なんといえばいいのだろう。動物園で動物を撮った写真ではない。ギャラリー内入口脇、芳名台のすぐ横にある一枚の写真。動物も人も写っていない。ペンギンかアシカのショーでも行われる場所だろうか。南国を模したステージ、水路、暗い影に埋もれてゆく観客席。天井から光が漏れ入る。壁面には垂直線模様が連なる。
展示物と来場者を隔てる柵。あるいは、空と展示空間を隔てる網。そこに見られる格子状または網目状の模様が、いくつもの写真に写っている。また、直線、曲線、植物の枝のように不定形なまがりくねった線、図形のようなかたち、岩のようにごつごつとしたかたちなど、そういったことに関心を持ち構成されたのではないかと、見ながら考える。動物が写っている写真もある。だがそれらは、動物に関心を向けて撮影したわけではないように思える。
上部に掛かる橋の影が黒々と地面に落ちている写真があった。そういう写真だと思ってしばらく見ていると、橋の影のなかには動物が写っている。尻尾がしましまの、アライグマやレッサーパンダのような動物が何匹か、おそらくは直射日光を避けて集まっているようであった。この写真では、動物にも関心が向いていると考えられるだろうか。そうも思えるし、そうではないかもしれない。「3年の間、動物園を回り撮影し展示して来た行為も、今回でひと区切りになるかも知れません」(戸室健介のことばより抜粋)と本人が述べていることも踏まえ、写真と写真を何回も行ったり来たりして、見る行為に没頭する。
動物を展示する施設としての動物園。自分はそこに行ってもこれまで動物ばかり見ていた。
帰宅して、入手した写真集『ex hibit ions』をめくる。
4月21日(月)
母の介護の手続きなどが夕方までかかる。牛めしのチェーン店で食事して帰宅。帰宅してからも電話での事務的な連絡が続く。
4月30日(水)
午前10時起床。支度をして家を出て電車に乗る。新宿駅構内でそばを食べ、大宮駅へ。新幹線に乗り換えて郡山駅に12時57分着。駅前からバスで「希望ヶ丘入口」下車。13時45分ころ会場に到着する。「細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム」最終日。15点の写真が展示されている。
展示を見てから、席につき、コーヒーとケーキを注文する。ここはカフェギャラリーである。斜めの席の方と話をする。寺崎英子が暮らし写真を撮った地である宮城県の細倉に住んでいたとのこと。別の方とも、写真の話というよりは世間話をする。2023年に仙台での展示を見たとき、いろいろと話を聞かせてくれたおじちゃんが、寺崎英子の弟であったことを知る。(*2023年11月28日の日記)
時刻を確かめると17時39分になっていた。展示は18時まで。もう一度見て勘定を済ませまたバスに乗る。郡山駅構内でそばを食べて新幹線に乗る。
〈写真掲載の展示〉
◆movement 絵/新谷仁美 陶/森田春菜 会場:ギャラリーブリキ星 会期:2025年3月29日〜4月4日
◆秋野ちひろ展「Wearing まとう」 会場:Gallery SU 会期:2025年3月29日〜4月13日
◆川口祐 ある日、ある朝、ある時間 会場:金柑画廊 会期:2025年3月22日〜4月13日
◆さとう陽子 “むぼう日” 会場:s+arts 会期:2025年4月11日〜4月26日
◆exhibitions #3 戸室健介 会場:Alt_Medium 会期:2025年4月11日〜4月23日
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年にウェブサイトとして再開した『etc.』を展開中。