Books|『マーラーの姪―アウシュヴィッツの指揮者、アルマ・ロゼの生涯』|佐野旭司
Books|マーラーの姪―アウシュヴィッツの指揮者、アルマ・ロゼの生涯
ウィルソン夏子 著
音楽之友社
2024年6月出版
2500円(税別)
Text by 佐野旭司(Akitsugu Sano)
20世紀前半にウィーンで活躍したヴァイオリニスト、アルマ・ロゼ (1906~44)。彼女の生涯を書いた著書が6月に音楽之友社から刊行された。
このアルマ・ロゼという名前は、初めて目にする人も少なくないだろう。ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めたヴァイオリニスト、アルノルト・ロゼとマーラーの妹ユスティーネの間に生まれ、父親と同じくヴァイオリニストとしての道を歩んだ人物である。演奏家として活躍し、チェコのヴァイオリニスト、ヴァーシャ・プシホダとの結婚そして離婚を経て、女性演奏家からなるアンサンブルを立ち上げて指揮者も務める。しかしナチスの台頭に伴ってウィーンを脱出してオランダに移住するも、アウシュヴィッツで最期をとげた。
本書はそんな彼女の伝記ではあるが、エッセイの性格も強く、また著者自身のウィーン滞在の話なども交えており、アルマ・ロゼという人物について独自の視点で書かれている。しかしそれだけに、彼女の人物像や彼女を取り巻く状況などが、臨場感を持って読み手に迫ってくるのである。
とりわけ第2部の第7~9章ではアウシュヴィッツでの生活と彼女の最期について書かれており、この3つの章は読み進めていくのに勇気と覚悟がいるほどであった。アウシュヴィッツという重いテーマについて書いているのだから、当然かもしれないが、それだけではないだろう。読み手をこのような気持ちにさせるということは、それだけアルマ・ロゼに対する著者の思い入れが強く、さらにそれが、読み手を引き込むだけの見事な筆致で表されているということだろう。私自身も物書きの端くれとして(本誌でもウィーン滞在時代にエッセイを連載していた)、そのような表現力は大いに見習うべきところである。
また本書は学術書ではなく、前書きで断っているように「エッセイ的な読み物」である。それでも、先行研究や一次資料などに基づいた実証性も疎かにされていない。とりわけ、アルマ・ロゼの死因は不明であるが、それについての考察は興味深い。ここでは綿密な文献の調査を踏まえて、数通りの可能性に言及している。しかしその上で、最後は著者自身の推測で死因について語っているところに「本書らしさ」が見て取れよう。
それから、本書のタイトルについても触れておきたい。この著書は「マーラーの姪―アウシュヴィッツの指揮者、アルマ・ロゼの生涯」と、マーラーの名前を前面に出して、アルマ・ロゼの名前は副題に置かれているのである。初めに述べたように、彼女の父親はウィーン・フィルのコンサートマスターであったヴァイオリニストのアルノルト・ロゼで、母親はグスタフ・マーラーの妹ユスティーネであるから「マーラーの姪」ということになる。
おそらくその知名度から、グスタフ・マーラーの名前をメインタイトルにして主役であるアルマ・ロゼの名前を副題に持っていったのだろう。しかし肝心の主役の名前が副題になってしまっていることには、違和感を禁じ得ない。
本書を読み終えるまで、私はそう思っていた。
しかし終章(第10章)の最後の項では、アルマ・ロゼはマーラーの精神を礎にし、彼の気質を受け継いだ音楽家であることが強調されている。少なくともこの著者の視点では、マーラーの存在を抜きにアルマ・ロゼについては語れないのだろう。つまり最後まで読み終えて初めて「マーラーの姪」というフレーズの真意が理解できる。このような構成も見事と言わざるを得ない。
3か月ほど前に、丸善出版から『ユダヤ文化事典』が刊行された。この事典の中で私はユダヤ系の西洋音楽の項目を担当し、メンデルスゾーン、マーラー、シェーンベルクの3人のユダヤ人としての境遇について執筆している。その時のことを思い返すと、ユダヤ人問題というのは西洋音楽史においても根深いものである、ということを痛感させられる。
このアルマ・ロゼの伝記は、奇しくも上述の事典と同時期に出版されている。マーラーやシェーンベルクと比べれば知名度は低いが、彼女もやはり同じ時代に生きたユダヤ人の音楽家である。本書は研究書ではなくノンフィクションだが、それでもこのヴァイオリニストの生涯について書いた著書としては、学術的にも意義があるだろう。
(2024/10/15)