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Pick Up (2023/9/15)|追悼 西村朗さん|丘山万里子 

(C)東京オペラシティ文化財団/撮影:大窪道治

追悼 西村朗さん

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama) 

私は西村朗さんとまともにお話ししたことはない。
『西村朗 考・覚書』の連載第1回「高畑への道」(2020年7/15号)掲載前に、文京シビック内のファストフードの店でお会いした。『三善晃作品展2008』のおりご挨拶し、作品展準備のための合唱セミナーで言葉を交わしたものの、面と向かっては初めて。コーヒーをそれぞれ注文したがお互いこういうことに慣れない上、コロナ初期でマスク着用、カウンターでカップを受け取り着席するまで、おのぼりさんのようであった。
「西村さんを書くことにしたので、音源、スコアなど資料のご提供のほか、実演の機会があればお教えください。事実確認をさせていただく以外、私から西村さんに何かお尋ねすることはありません。ご本人の解説や作曲よもやま話などをお聞きすることもありません。僕はこうだよ、と言われれば、どうしてもそれをなぞることになってしまう。スコアと音と、たくさんお出しになっている本を参照させていただき、私の西村朗像を書くことに意味があるのでご協力いただければ幸いです。」
西村さんは多弁な方だから、意気込んで色々お話しくださるつもりだったらしく、かなり面食らわれたようだった。
私はこれまで、完成していない論考を公表したことは一度もない。
けれど、この時は「見切り発車します、もう時間がありませんので。」と申し上げた。
私は急いでいた。せき立てられるように、連載を開始した。
人はある年齢に達すると、残り時間を思う。

それから3年も経ってしまった。これほど長くかかるなど当初思っていなかったが、話はどんどん膨らみあちこち飛び、でもそれは全て必要なことで、私はどれもはしょる気持ちを持たなかった。
毎回、掲載をお知らせした。
その都度、丁寧なお返事を頂いた。
西村さんのことだから、過度のお褒めや、喜びの言葉が並ぶのであった。
いちいち何か感想を述べねばならないのは、負担ではないか。
私は次第に申し訳なく思うようになり、昨年、掲載のお知らせはやめようと思いますが、いかがでしょう、とお尋ねした。
氏は、「いや、知らせてください。やはりその方がありがたい。」とおっしゃった。

7月初め、住友生命いずみホールでの新曲初演『胡蝶夢』に私は体調不良で伺えなかった。
しばらくして全音からそのスコアが届き、音源もいずれ、と氏より伝えられた。
「第32回の地獄変、ワクワクして拝読しました。続きがとても楽しみです。」(7/15号)との言葉も添えて。
氏から「突然ですが」と入院のメールが届いたのはその後。

すでにほぼ書き上げていた第33回は、そこから一字も書けなくなった。
毎日『地獄』を見過ぎ、聴きすぎて、私は呑まれてしまっていたのだ。
全身が冷え切り凍りついたようで、横浜から駆けつけたかかりつけ医が、脈をとり、「入り込みすぎだ」と言った。
たぶん。
私はそういう物書きだ。
でも、だから見えてくることだってある。
8月の闇底にいて、それは確かにあった。
私はそれをどうしても氏に伝えたかった。
月半ば、夫人を通して届いたメールに書きかけの原稿を添付して送った。
そんなことは絶対しないのだけれども。
そうして、これだけはお伝えくださいと夫人にお願いした。
以下がそれで、今月掲載の『覚書33 2-1』の一部である。

先走るが、それが『紫苑物語』と真っ直ぐに繋がっていることは言うまでもない。
西村はこののち、室内オペラ『清姫〜水の鱗』(2012)、『バガヴァッド・ギーター(神の歌)』(2013)、『ふり返れば猫がいて』(2014)、『中也!』(2016)、オペラ『紫苑物語』(2019)、デュオ・オペラ『山猫飯店』(2022)6作を書いているが、明らかに『絵師』と重なるのは『紫苑物語』だ。歌道(歌人)、武道(武人)、仏道(仏師)の三道を背景に、根底には宗教と芸術の問題をも抱えるこのオペラは、『絵師』の延長線上にあると言って良い。そうして、この宗教と芸術の狭間に宙吊りされる人間のありようこそが西村世界の両軸であり、ゆえ、やはり彼は原始から今日に至る普遍的な意味での宗教音楽家だったのだ、と筆者はここで確信するに至った。いや、そもそも、宗教と芸術、あるいは哲学が分岐する以前の人間が奏でる音楽をこそ探っている、と言ってしまいたい。それはヘテロフォニーとか、シンフォニストとか汎アジアといった西村像よりはるかに本質的なことではないか。

宗教と芸術、あるいは哲学が分岐する以前の人間が奏でる音楽をこそ探っている。
この了解に向けて私は必ず書きつづけ、辿り着いた暁にはかならず杯を交わしましょう。
と、それだけを氏にお伝えください、とお願いした。

8月末、頂いた最後のメッセージには、「もうたぶん作曲はできません。」とあった。
そうして、今は面会できないけれど会えることを願っている、と。

*   *   *

この連載は、西村さんを探し見つける旅であるとともに、私自身を探し見つける旅だと、いつの頃からか、私も西村さんも気づいていた。
一度もまともに話すことなどなくとも、この3年、ずっと隣を歩いていた。

だから。
西村さん、もう少しお待ちください。
新薬師寺の高畑の道から歩き始めて、しおんのひとむらの咲く里、岩山の崖のはなから聞こえる鬼の歌の、その向こう。
西村さんが見ようとしていたそこまで、きっと辿り着きますから。
私は、その向こう、が見たくて書き始めたのだから。
それは必ず、私たち人間の生きる道標になるに違いないのだから。

目黒不動には、「にしむら」という名のうなぎの名店がある。
そこで祝杯をあげましょう。
お会いできるまで、もう少し待っていてください。

『西村朗 覚書』1〜33

9/12記
(2023/9/15)

(C)林喜代種 新国立劇場《紫苑物語》カーテンコール