Menu

Books | 日本のピアニストーーその軌跡と現在地 |小石かつら

日本のピアニストーーその軌跡と現在地

本間ひろむ 著
光文社新書
2022年10月出版
840円(税別)

Text by 小石かつら (Katsura KOISHI)

「女優とピアニストは職業ではない––。」
こう、帯に書いてあった。「女優」と「ピアニスト」と「職業」は、フォントも大きく、赤字である。おどろいた。もちろん、「女優」と「ピアニスト」を並列にしていたからである。ピアニストは女優と同じなのか?はてさて、ピアニストとはいったい何なのだ?帯に向かってひとしきり自問自答したあと、ようやくタイトルに目を向ける。「日本のピアニスト––その軌跡と現在地」。帯に比して、至極おとなしい。

「ピアニスト」をタイトルに掲げた本というのは、かなりある。ざっとアマゾンを見渡しただけでも、優に50冊以上(本書の巻末に載せられた参考文献も約30冊)。なぜ、こんなに「ピアニスト」は売れるのだろうか。なぜ、こんなに「ピアニスト」は憧れの対象になるのだろうか。

思えば、この疑問はずっと前から持っていた。私は子どもの頃からピアノを習っていて、ピアノを専門として勉強したいと思って音大に進学した。しかし恥ずかしながら「その先」のことを全く考えていなかったので、大学に入った時に周囲の子たちが「ピアニストになりたい」と話しているのを聞いて、ものすごく大きな違和感を持った。「ピアニストになんて、なれるわけないやん。そんな夢みたいなこと、音大生が言う?」と。そして進学した大学院で、周囲の子たちが誰も「ピアニストになりたい」と言わなくなって、居心地がよかった。そう、私の周囲の大学院生は誰も「ピアニスト」を目指していなかった。むろんピアノ科の学生は1学年3人しかいなかったし、先輩も後輩も3人ずつ位だったと思うので、サンプル数が少なすぎるのだが。

ここまでを、帯を見て思い出した。つまり、私の周囲の少ないサンプルでは、音大生までは、女優に憧れるようにピアニストに憧れる。しかしその先の大学院までいくと、手放しでピアニストには憧れない。そして再認識する。この帯に書いてある「ピアニスト」は、スターのことであって、伴奏ピアニストのような現実的なピアニストのことではない。私の周囲にいた大学院生たちは、ほとんどが、生業としての極めて現実的な「プロのピアニスト」になった。

読者である自分の立ち位置を確認してからページを開けば、読み始めてすぐから合点がいった。日本にピアノ(鍵盤楽器)を導入したのはザビエル。ピアノは宗教と共に入ってきたのだと、本書は語る。ピアノという楽器の背景に、西洋への憧れだけではなく、キリスト教における神への賛美、そして宗教的な高揚感を伴う存在があることを、序章で確認しているのだ。既にこの時点で、スター・ピアニスト(本書ではコンサート・ピアニスト)という存在への伏線が張られているのである。それだけではない。アメリカのノウハウを取り入れて楽器製造に勤しんだ日本人のこと、第一次世界大戦におけるドイツ敗戦に伴う輸入契約のこと等、日本国内の楽器製造会社の興亡を駆け足でたどる。さらには、岩倉使節団のメンバーに含まれた女子留学生がピアノ教育を受けたこと、その内の1人である永井繁子が音楽取調掛(現在の東京芸術大学の前身)の助教になること・・・と、日本のピアノ教育を、始まりから丁寧に紐解く。

章から章への引き継ぎも、強烈な引力ですすんでいく。このあたりが、本書が「スター」を追いかけていく手法とも重なって、見事である。そして気がつけば、日本における音楽学校(音楽大学)の創立時の様子やそれぞれの特色を知り、ピティナというピアノ教師の全国組織の概要を知り、つい最近のショパン・コンクールに到達する。その間に、筆者自身が過ごした音大生活も垣間見せる。そう、いつの間にか、歴史上のことがらから現在のことがらに移動している。とても自然な軌跡だ。読者には、コンサート・マネジメントがステージ世界を牛耳る様子も知らされる。そのマネージメントの在り方が、コロナ前後で激変したことにも言及する。

音大を卒業した、ピアニストであり女優でもあるという例も紹介する。「女優」と「ピアニスト」が並列どころか、同一人物だという例だ。
そして、核心に迫る。
「コストをかけてピアノを弾く」という存在から「ピアノを弾いてフィーを得る」という存在、つまりプロのピアニスト、ステージ・ピアニストへの移行の問題である。憧れを実現させる方法はいかなるものなのか・・・。

本書は、ひたすら情報を網羅していくスタイルだ。読み進めるうちに、あれも知りたい、これも知りたいという欲望が生まれるが、本書はリズム良く、その欲望に応えてくれる。デジタル世界の始まりとしての現在地も示される。読後は、全部見通せた気分になる。必死でネット検索した後のような、そんな読後にふと思う。ところで、何故、私たちはピアニストに憧れるのか。ピアニストとはいったい何なのか––。本書は、それらについて応えることはない。しかし、である。本書は、私がそうしたように、自らの物語と重ね合わせることができる在り方を、そう、そんな音楽の一面を、ふんわりと示してくれたのだ。

(2023/5/15)