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Books|ブッダのことば|丘山万里子

『ブッダのことば』

中村元訳
ワイド版岩波文庫 7
岩波書店 2007年第16刷
1400円(税抜)

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

 

「ブッダの言葉」そのものについて、若干の説明をする。
ゴータマ・ブッダは紀元前500年前、西欧でいえば旧約聖書世界時代の人だから、実際にどんなことを語ったか、という資料は残っていない。当時の伝承がすべて口伝だったように、仏教経典も口伝がおおもとだ。原型はブッダ入滅後すぐに開かれた第一結集(けつじゅう)つまり最初の編纂会議で作られた。師の側近長老マハーカッサパを中心に500人(多い、の意の数字)の出家修行者が集結(@王舎城)、そこで全員が了承したことを経典として編集していった。
どうやって?
経典の冒頭には必ず「如是我聞(にょぜがもん)」(このとおりに私は聞きました)という言葉がある。この「我」というのは、ブッダの後半生を25年ともにした侍者アーナンダのこと。彼が侍者となった時、師はすでに55歳くらい。解脱後、教えを説き始めたのは35歳とされるから、アーナンダと出会う前の20年を伝えるものは何もない。
ついでに言うと、イエスの活動期は3年に満たない。ムハンマドの神の召し出しが40歳、布教ほぼ20年であれば、ブッダの圧倒的な長さ(不明期を含めると45年)は刮目ものだ。
さてアーナンダは誰よりも多く師の言葉を聴き、その行ないをつぶさに見ているはずだから「多聞第一」と呼ばれる。その彼の見聞がもとである「ブッダの言葉」は、当然「アーナンダが聞いた師の言葉」で、それを他の出家修行者たちが「共に唱える」ことによって定型化された。作者不在はもとより、みんなで「唱和した」、これは強調しておく。
例えば『新約聖書』はマタイやマルコら弟子たちそれぞれの口伝だから内容もかなり違う。聖書が個人口伝であれば、仏教経典は個人+集団認証口伝である。誰それの聞いたことを共有するにあたり、双方、出自は明らかなものの、冒頭に必ず置かれる「如是我聞」に続き一斉唱和(モノフォニーかポリフォニーかはたまたヘテロフォニーか)が響き立った、それが経典制作の場であったのだ。
それを可能とするのは、ブッダの言葉が暗唱しやすいような短い詩句、あるいは韻文(偈:げ)であったから。そうして、この口伝は当時から一字一句違えぬ厳密さで守られたと言う。したがってアーナンダによる「ブッダの言葉」の伝承確実性はかなり高いと考えられる。

本書『ブッダのことば』は、原始仏教経典のなかでも、最初期最古層とされる『スッタ・ニパータ』(パーリ語)の中村元による翻訳本。スッタは「縦糸」すなわち「経」のこと、ニパータは「集成」の意。ゴータマ・ブッダそのひとが語った言葉、説法に最も近いとされる。
ちなみに仏教伝播には南方(南伝)と北方(北伝)の2つのルートがある。南伝はパーリ語による原始経典のみ(いわゆる小乗仏教で本書はこれ)で、インドからスリランカを経て東南アジアへ伝わる。日本では昭和十年代にやっと現代語に訳されたのだから日本人には馴染みが薄い。一方の北伝はサンスクリット語が多く、インド北西部から中央アジアを経て中国、漢訳され日本へ、となる。北伝には小乗も大乗仏教も含まれるが、日本でお経といえばまず『般若心経』。これは南伝にはない新興たる大乗経典である。
本書に並ぶブッダの言葉はなんと言っても最古層、しかも第4章は「金口直説(こんくじきせつ)」、つまりブッダの言葉をそのまま記したと言われるから注目されたい。

訳者、中村元はインド哲学思想(にとどまらないが)の碩学だが、翻訳にあたりブッダが発声したであろう詩句、韻文の調べをそのまま生かそうと苦労したという。筆者が本書に愛着するのは、これら詩句が吟詠されたものゆえ耳で聞いて理解できるように心がけた、という中村の姿勢だ。
「ことに韻文の部分の単語は、仏教外のインドの他の諸文献に出てくるものとまず共通であって、仏教特有の単語は絶無といっても差し支えない。もしも訳文に、いわゆる仏教的色彩が見られるなら、それは後世の見解をもち込んだものであり、原意からそれだけ離れていると言わねばならぬ。」
これは読譜と全く同じだろう。原典に戻る、音の始原に戻る回路を常に持ってこそ真の意味での解釈が可能になるのではないか。解説書をいくら読んでも「わがもの」(自分の血肉)になどならないのだ。
さらに、原文には頻繁に「呼びかけ」が出てくるが煩瑣なので一々訳出しない、としつつ、それを踏まえての生き生きとした対話・応答が想像される文体となっている。
なお、経典の口伝継承が文字の記述となるのは大乗仏教興起と重なる紀元一世紀前後のことと言われる。

全5章の構成で内容は以下。

  1. 蛇の章
    牛飼ダニヤ、田を耕すバーラドヴァージャ、鍛冶工の子チュンダといった市井の人の問いかけに答える詩句には、ブッダが村々を歩きつつ人々に触れ、説く姿がありありと浮かぶ。が、この章で有名なのは何と言っても<犀の角>。「犀の角のようにただ独り歩め。」という終句のリフレインが心地よい。要は、交わりを持てば愛執が生じるから誰とも交わるな、という話。なのだが、「学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。」とも言っており、真理とは常に柔軟なものであろうことだ。
  2. 小なる章
    この章冒頭の<宝>は、やはり終句「幸せであれ」のリフレインが美しい。とりわけ「われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した〈つどい〉を礼拝しよう。幸せであれ。」には、彼が人間を高位におかず「生きとし生けるもの全て」という認識を持っていることを知らせているように思う。
  3. 大いなる章
    <出家>では出生にも触れ、出家について述べているところが貴重。<つとめはげむこと>では悪魔の誘惑があり、どの聖人にもこの種の話はあるのだな、と頷いてしまう。
    この章に登場する人々は行者、修行僧、バラモンなどの階層。つまり、説く対象が異なるわけで、それによって言葉や内容も変わるのだ。第1章市井の人には「譬え話」を多く用いるけれども(イエスもそうだ)、こちらでは「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して〜〜〜」などといった言葉になる(<サビヤ>)。
    したがって、<二種の観察>こそ、後の仏教の哲学的基盤になる部分だと筆者は読む。「縁起」や「四聖諦」など、仏教の根幹思想となる形而上学的世界が展開されており、どの時代・世界にあっても観る人が観るのはこうした「真理」なのだ(例えば縁起は関係性の網目に他ならない)と痛感するところ。
  4. 八つの詩句の章
    これが、「金口直伝」と言われる部分。<迅速>にある句。「[われは考えて、有る]という[迷わせる不当な思惟]の根本を全て制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。」は、まるでデカルトの言葉を見通していたとしか思えない(むろん中村訳はそのあたりをわきまえてのことだからクスリと笑える)。
    <武器を執ること>にある句。「世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるがすでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。」ブッダもまた悩んだのである。にしても、全ては動揺(揺動)する、とはほとんど宇宙論ではないか。科学的知見など、これを証明するものでしかなかろう。もちろんそれも大事だが。
  5. 彼岸に至る道の章
    この章は学生たちからの問いに答えており、学生モーガラージャに答え「つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。」ブッダは別段「空」などを大仰に論じたわけではないが、種は播かれているのである。
    章の結語は以下。「もしもこれらの質問の一つ一つの意義を知り、理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。これらの教えは彼岸に達せしめるものであるから、それ故にこの法門は[彼岸に至る道]と名づけられている。」

仏教といえば「ZEN」のイメージが強いが、むろん禅は単に宗派の一つで、「色即是空」といった言葉のおおもとはとてもシンプルでわかりやすいブッダの言葉なのだ。専門用語に満ち満ちた書物で頭を悩ませるより、仏教を知りたい人は、まずはこれを読むべきだと筆者は思う(『真理のことば』『感興のことば』も美しくていい)。
また、説く相手によって臨機応変に説法を変えているのも本書を見ればよくわかる。ブッダは解脱後、教えを説く気がなかったのを梵天(インドの最高神)に頼まれて重い腰を上げるのだが、最初に出向くのはサールナート(鹿野苑)という修行者たちが集う場所。そこでまずは「新しい教え」を披露する。革新はまず旧弊の地から、というわけで、革命家ブッダの姿を本書から読み取ることもできよう。

これらの言葉は、後世、様々な経典に体系化されてゆくのだが、ここにはブッダその人の語りの即興性、かつそこに潜む揺るぎない確信が溢れている。
本書に向き合うそれぞれに、それぞれの「意味」を尽きることなく投げかけてくれるのがこの『ブッダのことば』である。
筆者は煮詰まるとこれをちょこっとつまみぐいする。
机上に常に置き、気ままに散策することをお勧めする。

*『初期仏教〜ブッダの思想をたどる』馬場紀寿著 岩波新書1735 2018 参照

(2022/12/15)