Pick Up(2021/7/15)|initium ; auditorium|西澤忠志
initium ; auditorium
https://www.initium-auditorium.com
Text by 西澤忠志(Tadashi Nishizawa)
新型コロナウィルスの流行後、日本のクラシック音楽業界はオンライン配信に本腰を入れて参入し始めた。オーケストラや演奏者はYou Tubeやニコニコ動画、そして独自のプラットフォームで演奏動画を公開している。これにより、以前よりも人々がクラシック音楽に触れることのできる機会は増えた。しかし、こうした活動が何か目新しいものを生み出したのかと問われれば、筆者はそれにNOと答える。
なぜなら、新型コロナウィルス流行によって露わとなった、音楽に関わる人々の待遇問題といった焦眉の課題を解決することが優先され、演奏や作曲、「音楽とは何か」といった問いが閑却されているためである。根本への問いが無ければ生演奏の代替物が生み出されるばかりで、「結局、録音より生演奏がいい」という結論になるだけだ。
こうした中で、initium ; auditorium(イニツィウム・オーディトリウム)は、ネット配信だからこそできる独自の取り組みをしている。
initiumは2020年7月に、合唱指揮者の柳嶋耕太と谷郁の主宰のもとに開設された、合唱作品や室内楽の作品を中心とした配信ウェブサイトである。「ここから、『わからない』を旅しよう。」というキャッチコピーのもと、テーマごと(第1弾「遷 | transition」、第2弾「ひらく」)に演奏者を公募し、その中から選ばれた演奏者による演奏動画を配信している。そこには「名曲」のレクチャーコンサート、実験的演奏、自作曲の演奏といった、多種多様な作品が配信されている。
これらの中から予告動画をもとに特定の演奏動画を買うことができる。1,000円を払えば1日、3,000円を払えば3週間、配信されているすべての演奏をいつでも聴くことができる。これは特筆すべきだろう。なぜなら、それによって目当ての演奏以外にも、さまざまな演奏と出会うことが可能になっているからだ。これを実際の演奏会で行うことは難しい。まさに、「美術館にいるかのような鑑賞体験」をサイトの特徴の一つとして標榜しているように、入場料を払えば多様な音楽と出会うことができ、気に入ったものがあればそれを買うことができるシステムを体現している。
その中でも筆者が魅力的に思うのは、音や動画を自由に加工し、デジタルでしか成し得ない空間を作り上げている演奏だ。Initiumにはこうした視点から見て魅力的な演奏が多く配信されているが、ここでは1例だけを取り上げよう。
松平敬の作曲・演奏による《松井茂の主題による変奏曲》は、この作品のテキストである松井茂の詩集『時の声』が録音メディアを介在させてつくられている(1)ように、編集ソフトを介して加工された音と映像が組み合わされている。演奏者の声、ドア・車・バイク・踏切・電車といった物音は、ピッチ・テンポをもとに電子的に加工され、元の音やテキストが分からない状態までになっている。これによって、声や物音は意味のヴェールを剥がされた純粋な音へと近づく。
この作品の面白さは「ハナモゲラ語」を思い起こさせるところにある。即ち、言葉の意味は脱色されたが、「それらしさ」という外殻が残る話芸の世界である。『時の声』や《松井茂の主題による変奏曲》は「無意味」になるように加工をされた作品であるが、人の声によって介在された途端、意味のレイヤーが付与される。例えば〈主題 時の声〉の「てぃっ」「かちかち」「ちきちきちき」といった破裂音や破擦音は「時計」を連想させる。そう感じるのは各変奏の最初にタイトルが示されているためか、文化的な要因によるものなのかは分からない。しかし、この作品を通じて「声」というヴェールが持つ「意味」の強さを改めて認識させる。
このサウンド・ポエムやミュージック・コンクレートのような作品が「変奏曲」という形式で示されている時、聴衆はこの作品を既存の「変奏曲」や「音楽」の枠内で語れるかどうかを問われることとなる。既存の定義に挑戦を挑む作品・演奏は、音楽家や聴衆にとって、自身の認識を問い直し、別の世界への見聞を広めるきっかけとなる。
こうした実験的かつ挑戦的な作品をYou Tubeに投稿しても、無数の動画に埋もれてしまい、収益を得ることは難しい(2)。再生数やチャンネル登録数が多い動画のみに報酬が渡れば、聴衆の趣味嗜好に寄り添った作品・演奏は増える一方、そうでないものは発表の場を減らすこととなる。こうした状況は、クラシック音楽界の蛸壺化を進めるだけだろう。音楽家が利益を得つつ、聴衆と新たな音楽文化を創る場を考えるに当たり、initiumの取り組みから学ぶことのできる点は多い。
(1)
詩集『時の声』は、作者(松井茂)がレコーダーで録音・編集した音源を、他人がオノマトペで模倣・録音し、それを別の他人が仮名文字で書き起こし、最後に作者が編集して完成させるという、一連の制作プロセスをたどっている。
詳細は、以下のサイトを参照。
「initium ; auditorium緊急対談企画 コンサートを語り尽くす!!(4) (ゲスト: 松平敬さん)」
《松井茂の主題による変奏曲》
(2)
You Tubeには投げ銭の機能があり、それが可能になるためには6つの条件を経る必要がある。その中でも「チャンネル登録者数が 1,000 人以上、かつ有効な公開動画の総再生時間が 4,000 時間以上である。」ことは難しい。詳細は、以下のサイトを参照。
「YouTube パートナー プログラムの概要と利用資格」
(2021/7/15)
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西澤忠志(Tadashi Nishizawa)
長野県長野市出身。
現在、立命館文学先端総合学術研究科表象領域在籍。
日本における演奏批評の歴史を研究。
論文に「日本における「演奏批評」の誕生 : 第一高等学校『校友会雑誌』を例として」(『文芸学研究』22号掲載)がある。