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Books | フォルテピアノ 19世紀ウィーンの製作家と音楽家たち | 大河内文恵

フォルテピアノ 19世紀ウィーンの製作家と音楽家たち

筒井はる香 著
アルテスパブリッシング
2020年3月出版
2200円(税別)

Text by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)

ピアノという楽器を見たことも聞いたこともない、という人はおそらく皆無であろう。しかし、現在のピアノになる前のピアノを総称した「フォルテピアノ」となると、一般の人はおろか音楽に多少詳しい人でも心許なくなる。

2018年に「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」が開催されたことによって、どうやらフォルテピアノと呼ばれる楽器があるらしい、それも1つではなく何種類もあるようだという認識は広まってきた。もしかしたら、「ナネッテ・シュトライヒャー」の名前を聞いたことのある人もいるかもしれない。

本書は18世紀後半から19世紀前半にかけてのウィーンにおける有力な楽器製作会社であったシュトライヒャー社を中心として、当時のフォルテピアノ製作者たちの活動を鳥瞰的にとらえ、実際の音楽作品と照らし合わせることによって、楽器製作と音楽家との影響関係が、「製作者→製作物(楽器)→消費者(音楽家、愛好家)」という一方通行ではなく、互いに影響し合う動的相互関係とでもいうべき状況にあることを解き明かしたものである。

全7章から成る本書は、「ピアノ」という楽器が作られ始めたフィレンツェから説き起こされ、ドイツ諸都市、ロンドン・パリを経てウィーンにたどりつく。さらに当時製作されたさまざまな鍵盤楽器が紹介される。クラヴィコード、スピネット、フリューゲル、ピアノフォルテなどはまだしも、ギターのように肩にかけて演奏するオルフィカ・ピッコラだの、ピアノとヴァイオリンを複合したクセノルフィカだのと、初めて見る名前のオンパレードには驚くばかり。18世紀から19世紀にかけては様々な楽器が「発明」されたと聞いたことはあっても、これほどとは。

ウィーンのピアノ製作家たちの職人制度などの概観に続いて、第3章ではシュトライヒャーの社史が語られる。この中でとくに興味深いのは、1812年にシュトライヒャーの邸宅内にサロンが作られ、毎週のように音楽会が催されていたことである。現在では楽器店の一角にある会場で演奏会がおこなわれることは珍しくはないが、シュトライヒャーはその先駆者とみなすことができ、プレイエルやエラール、ベーゼンドルファーなどがこれに続いたという。本書ではここまでしか語られていないが、これらの催しを通して、楽器製作者と音楽家との交流が図られたことは想像に難くない。さらりと語られたこのエピソードは後々効いてくることとなる。

第4章では、ベートーヴェン時代に焦点を当ててピアノの技術革新がまとめられている。この時代の技術革新での定番のキーワードは、音域の拡大と音量の拡大、ダブル・エスケープメント機構といったあたりであろう。筒井はここで、シュトライヒャーの販売の仲介をしていたC.P. ホフマンがシュトライヒャーに宛てた書簡を紹介している。そこでは音域を拡大させると高音域とそれ以外とのバランスが悪くなり、調律が狂いやすくなり、弦が切れやすくなるといった欠点が述べられている。音域の拡大という一見「改良」と思われる出来事も、必ずしも歓迎されることばかりではなかったということは、この時代の音楽を考える上で非常に示唆的である。

こうした技術革新は、製作者の企業努力によるもののみならず、音楽家や愛好家といった顧客たちからのリクエストによるものも多い。シュトライヒャー社は現在では存在しないのだが、直系の子孫にあたる人々が携わっているアルヒーフがあり、シュトライヒャー社にかかわる資料がすべて保管されている。それらから筒井が厳選した手紙に書かれた顧客からの要求を読むのはゾクゾクする体験だった。

第6章は本書のハイライトだ。ベートーヴェンが作曲した全32曲のピアノ・ソナタに、ベートーヴェンが使用した楽器の音域の違いが反映されているというのは、ピアノの歴史を説いた書物にはたいてい書かれていることで、そこには新味はあまりない。本当の凄さはその先にある。

当時のピアノは高音域の音が弱く、減衰が早いという欠点をもっていた。ベートーヴェンはこの欠点を克服するのではなく、逆に効果的に用いて特別な表現に仕立て上げているというのだ。たとえば、《悲愴》の第1楽章の冒頭では、最初の音にfp(フォルテピアノ)の記号がつけられている。その後にはsfp(スフォルツァンドピアノ、すなわち強く鳴らして直ちに弱くする)などの記号が書かれている。これは現代のピアノで再現するのは困難だが、減衰の早い当時のピアノでは難なく奏することができるという。長年、この部分はどうやったら指示どおりに弾けるのだろう?という筆者の長年の疑問が、一気に氷解した。

ピリオド楽器の使用にともない、バロック時代以前の音楽を楽器の面から見直す試みはかなり進んできており、それは古典派、ロマン派にも広がりつつある。楽器を知ることによって音楽の捉え方が変わってくるという次元にとどまることなく、楽器の変遷と音楽との分かち難い結びつきがいくつもの検証から明らかになっていくその過程は、よく練られたストーリーをもつドラマを見ているかのようだった。第5章までは一見バラバラのエピソードが語られているようにみえるが、第6章ですべてのピースがぴたりぴたりとはまっていっていき、大きなパズルが組みあがる光景は、最初から通して読んでいなければ決して味わえないものである。

現代のピアノは、幅広い音域やフル・オーケストラとも対峙可能な音量と引き換えに、大切なものをいくつも失ってきた。筒井はこう述べる。「現代のピアノの価値基準からすれば、マイナス面であるはずの音の弱さや減衰の早さをベートーヴェンは個性と捉え、それを表現に変えて作品を創作した。過去の楽器を未完成だと軽視すれば、作曲家の頭のなかで鳴り響いていた音響世界からどんどん遠ざかってしまうことだろう。」 一見マイナスに見えることも、観方を変えれば大きなプラスになる。いま困難に直面している私たちの心に響く言葉がここにはあった。

(2020/4/15)