Menu

東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第112回|齋藤俊夫

東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第112回
Tokyo Symphony Orchestra Tokyo Opera City Series No.112

2019年11月23日 東京オペラシティコンサートホール
2019/11/23 Tokyo Opera City Concert Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>        →foreign language
指揮:ジョナサン・ノット
オーボエ:荒絵理子(*)
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
東京交響楽団

<曲目>
ジェルジ・リゲティ:『管弦楽のためのメロディーエン』
リヒャルト・シュトラウス:『オーボエ協奏曲 ニ長調』(*)
W.A.モーツァルト:交響曲第41番ハ長調作品551『ジュピター』

 

あの巨大な編成のシェーンベルク『グレの歌』でも音が潰し合うことなく明晰に聴こえたというノット・東響、今回は反対に小さめの編成の3作品ながら、その音楽の真の意味の大きさはおそらくグレの歌に匹敵するものであっただろう。

まずリゲティ『メロディーエン』、このタイトルはドイツ語で「メロディー」の複数形。クロマティックなアルペジオによる上行から、ディアトニックなメロディーが様々な楽器で奏でられるのだが、ミクロポリフォニーの技法によってそれらが対位法とは全く異なった姿で重層的に重なって流れていく。されど、個々の楽器のメロディーは流れていくのに、オーケストラ全体としては全体でドローンを奏でているように動きを見せない。澄んだ水の流れに手を入れてその冷たさを感じているよう。徐々に流れが細くなり、いつの間にかなくなってしまう、美しいがゆえの寂しい感覚を終曲と共に味わった。
それにしても音1つ1つの音色と音量の繊細な扱いにより、その解像度と情報量の多さは恐るべきものであった。しかしそれがカオスに至らずに創り出す、色彩すらも通り越した全く透明な響きに心洗われ、また惑わされるごとく魅了された。

荒絵理子をソリストに迎えてのR.シュトラウス『オーボエ協奏曲』、豪奢な管弦楽を扱い続けてきた作曲者が、1945年という時代を受けて古典主義的簡素さに新たに向かい合った作品である。本作品でR.シュトラウスは新古典主義の新しさ(例えばプーランクのそれ)には至らず、ロマン派の一傾向である擬古典主義にとどまったと筆者は考えており、今回の演奏においても、やはりモーツァルトやプーランクのような軽快にして天才的な旋律や管弦楽法は聴き取れなかった。が、荒絵理子のオーボエ音色の美しさたるや。才気煥発輝かんばかり、というより朴直なゆえに美しいこのソロの旋律を、オーケストラが全く無駄のない演奏で引き立てる。個人的にはR.シュトラウスは苦手な作曲家なのだが、今回の協奏曲を聴いて、彼の音楽の良さに気付かされた。

そしてモーツァルト交響曲第41番ハ長調『ジュピター』、これは演奏中ずっと「とんでもないものを聴いている」と息を飲んでいた。
まず特筆すべきはティンパニーの使用法。教科書的な知識ではモーツァルトの時代、ティンパニーというものはまだ楽器として未発達で、あくまでリズムの強調のための副次的な役割を担っていた、はずなのだが、今回の東響・ノットの演奏解釈ではティンパニーは立派な旋律楽器。通例ならばティンパニーを使う、というと〈叩いて〉リズムを強調するのだが、今回はあくまで楽器として〈鳴らして〉打撃音とは全く異なる音色を響かせる。
第1楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。冒頭の重→軽→重→軽の対比から、流麗かつ一寸の隙きもなく音楽が駆けていく。駆けていくと言うのはいささか適切ではないかもしれない。1音1楽器のデュナーミクの、アタックから減衰までの微妙にして自然な曲線によって音楽が織りなされ、時間と共に構築されていったのだ。第1主題での「ド」「ソ」のたびごとティンパニーのニュアンスの豊かさが躍動感ある音楽を奏でる。
第2楽章、アンダンテ・カンタービレ。楽句、強弱法による音楽の縦の線の区切りがあっても、全ての響きがなだらかなに繋げられ続け、一切の途切れがない。
第3楽章、光差すメヌエット・アレグレット。軽快なステップとなだらかな響きが両立するという、短いけれど幸福な3拍子。
最終第4楽章、モルト・アレグロ。全体を統べるCDEFモチーフの後、オーケストラが一気に大輪の花が咲かせる。ここでもティンパニーの――やはりドとソの音だけなのだが――鮮やかな音色がリズムと共に音楽の彩りをさらに増す。フガートの技法も押し付けることなく、しかしはっきりと主張をする。後半、交互に長調と短調の転調が続く部分の緊張感から、長調に帰ったときの歓喜。最後のホルンによるCDEFモチーフから単純明快なドミソの長三和音での終わりまでの、物理的現象としての音量の大きさとは異なる、真の音楽のみが持ち得るそのスケールのあまりの大きさに、一斉に大きな拍手が沸き起こった。
上半身から足の先までフルに用い、唸り声まで挙げての渾身の指揮を見せたノットへの鳴り止まない拍手は団員が皆、舞台袖に帰ってからも続き、彼は足元をふらつかせてステージに戻り歓声と拍手を浴びていた。

ジョナサン・ノットと東京交響楽団の耳は、まさに今至高の域に達している。感嘆と共にそう確信した。

関連評:東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第112回|丘山万里子

(2019/12/15)


—————————————
<players>
Conductor:Jonathan Nott
Oboe:Eriko Ara(*)
Concertmaster:Gleb Nikitin
Tokyo Symphony Orchestra

<pieces>
G.Ligeti: “Melodien” for Orchestra
R.Strauss: Oboe Concert in D Major(*)
W.A.Mozart: Symphony No.41 in C major, K.551 “Jupiter”