シューベルト:歌曲集『冬の旅』 ボストリッジ|藤原聡

シューベルト:歌曲集『冬の旅』 Op.89、D911 

2019年1月17日 王子ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 

<演奏>
テノール:イアン・ボストリッジ
ピアノ:サスキア・ジョルジーニ 
 

<曲目>
シューベルト:歌曲集『冬の旅』 Op.89、D911

 

来日公演での演奏記録をそこまで把握している訳ではないけれど、ボストリッジは日本で『冬の旅』をこれまでにも何度か歌っているはずだ。少なくとも2001年、あとは2006年ブリテンの『冬の言葉』と併せる形で前半12曲だけ(他にもあるような気がするが…)。そして録音では1997年収録の映像作品、そして2004年にはアンスネスと共演したもの。さらに自身が執筆した『シューベルトの「冬の旅」』という書籍(邦訳はアルテスパブリッシング。恥ずかしながら未読…)もある。つまり、日本のファンの前には既にこの歌手の『冬の旅』がいかなる様相を呈しているのかは伝わっている。しかし今回はそれらの実演及び録音から少なくない時間も経過して今まさに円熟期にあるボストリッジが再度この曲を披露すること、そして会場が王子ホールというリートを聴くには最適のホールであること(先述した来日公演での演奏はリート演奏には明らかに大き過ぎる某大ホール)。以上の事実からこれは非常に注目すべきコンサートであって期待するなと言う方が無理である。そして結果は、従来の歌唱にも増して鋭さを増した震撼すべき歌唱を披露したと言ってよい。 

言葉に対する反応。従来の歌唱はなだらかでレガートな旋律線を生かす意識があった。それとて随分とニューロティックな歌唱であったと思うが、こう書けるのは今回の、より突っ込んだ歌唱を聴いてしまったからだ。明らかに譜面の正確な再現よりも、それを踏み越える覚悟で1つ1つの言葉を掘り下げ、ディクションもより鋭角的なものになっている。初期ロマン派でありながらそれを一気に飛び越えて「いま」にまで繋がるような孤独な魂、と言うか自意識を先取りしたこの曲の現代性をより感じさせるような歌。これはちょっと現代的に過ぎるのではないか、シューベルトはもっと素朴なのではないか、という問いはあるだろうが、この鋭敏な突き詰め方には脱帽するしかないし、好悪を越えている。 

例えば有名な〈菩提樹〉をここまで甘くなく歌うとは。幸せを回顧する趣はここになく、その楽想とは裏腹にその歌には昔と今の間で引き裂かれている自我から血がしたたり落ちてくるような趣がある。〈振り返って〉ではともかく早く「あの塔」のある場所から逃れたいとはやる心が取らせる超快速な歌の焦燥感、そして中間部では通例いくらか感じさせるいっときの甘い時間を振り返る柔和な表情がほとんどなく、極めて自暴自棄の色が濃い。〈カラス(鴉)〉最終節でのたがの外れたようなこの不吉な鳥への声を「張り上げる」という言い方が相応しいような(このような拡張はほとんど後のヴォルフだ)呼びかけには文字通り戦慄したし、長調ではあれどももはや明るいのか暗いのかよく分からない〈幻〉でも、今や幻だけが自分の安らぎなのだと歌うその根底にはいらだちがあるかのようなせきたてるピアノに鋭角的な歌。自分を別の自分が外側からただただ淡々と眺めているような無関心な歌による〈辻音楽師〉は、主人公の気が触れたのかあるいは最後の絶望的な地点でようやく心のよすがとなる老人を見つけてこの先の生を連想させるのか、など見方は複数あるだろう、そしてボストリッジの歌は筆者には完全なアパシーの状態に陥った主人公を想起させ、この状態が恐らくは続いて行くのだろうと思う。
『冬の旅』のライヴは概ねそうだが、今回はなおのこと最後のピアノのひとふしが終わっても会場は凍ったまましばらく動きがない。筆者も含めて皆が演奏に飲まれていることが痛いほど感じられる。演奏者が体の緊張を緩めるとぽつぽつと拍手が沸き起こり、それは次第にクレッシェンドした。こういう時間を演奏者と、そして大勢の聴衆と共有することこそ実演の醍醐味ではないか。 

ところで、上記の印象はあくまで筆者の当日の捉え方にて、もちろん正解があるというものではないだろう。ボストリッジ本人の解釈を、もっと言えばシューベルトその人の考えを聞いたとしても、別に答え合わせのために音楽を聴く訳ではないし、別の角度から言えば「誤読」からの解釈の拡がりというものもある。しかし言えるのは、この日のボストリッジは従来に比べても確実に一歩踏み込んでリスクをも辞さない歌を歌うようになっているということ、これは疑う余地がない。尚、今回ピアノを弾いたサスキア・ジョルジーニは誠実な演奏で好感度は高いが、ボストリッジと丁々発止と渡り合うには至っていないように思われた。しかし〈流れのうえに〉などのためらうような演奏には素晴らしいセンスを感じたし、リート伴奏も含めて今後の活動に注目したい。 

関連評:イアン・ボストリッジ in Japan 2019|藤堂清

 (2019/2/15)