イアン・ボストリッジ in Japan 2019|藤堂清

イアン・ボストリッジ in Japan 2019
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)

 

♪東京都交響楽団 第872回 定期演奏会Aシリーズ

2019年1月15日 東京文化会館 大ホール

<出演者>
指揮/大野和士
テノール/イアン・ボストリッジ *
管弦楽:東京都交響楽団

<曲目>
ブゾーニ:喜劇序曲 op.38
マーラー:《少年の不思議な角笛》より *
  ラインの伝説
  魚に説教するパドヴァのアントニウス
  死んだ鼓手
  少年鼓手
  美しいトランペットの鳴り渡るところ
プロコフィエフ:交響曲第6番 変ホ短調 op.111

♪イアン・ボストリッジ

2019年1月17日 王子ホール
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演者>
イアン・ボストリッジ(テノール)
サスキア・ジョルジーニ(ピアノ)

<曲目>
シューベルト:歌曲集《冬の旅》 Op.89、D911

♪JUST ONE WORLDシリーズ《ただ一つの世界》第21回
イアン・ボストリッジ テノール

2019年1月20日 フィリアホール

<出演者>
イアン・ボストリッジ(テノール)
サスキア・ジョルジーニ(ピアノ)

<曲目>
シューベルト:歌曲集《美しき水車小屋の娘》 Op.25、D795
—————-(アンコール)—————–
スコットランド民謡(ブリテン編):オー・ワリー・ワリー

♪〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第24篇
イアン・ボストリッジ(テノール)&サスキア・ジョルジーニ(ピアノ)

2019年1月22日 トッパンホール

<出演者>
イアン・ボストリッジ(テノール)
サスキア・ジョルジーニ(ピアノ)

<曲目>
シューマン:《子供のための歌のアルバム》Op.79より
  ジプシーの歌Ⅰ
  ジプシーの歌II
  てんとう虫
  歩きまわる鐘
  牛飼いの別れ
  もう春だ
  ゆきのはな(松雪草)
  塔守りリュンコイスの歌
シューマン:子供の情景 Op.15[ピアノ・ソロ]
シューマン:5つの歌曲 Op.40
——————-(休憩)——————-
ブリテン:冬の言葉 Op.52
ブリテン:《この子らは誰か》Op.84より
  悪夢
  殺戮
  この子らは誰か
  子どもたち
ブリテン:民謡編曲第2集《フランスの歌》より
  かわいい娘は愛の園にいる
  ほらほら
  父に教わりながら
—————-(アンコール)—————–
シューベルト:さすらい人の月に寄せる歌 D870
スコットランド民謡(ブリテン編):オー・ワリー・ワリー

 

イアン・ボストリッジがこの1月に来日、東京都交響楽団の定期公演でマーラーの《少年の不思議な角笛》から5曲を歌い、続いて、東京近郊で3回、京都で1回の歌曲リサイタルを行った。京都での《冬の旅》以外の4公演を聴いた。

東京都交響楽団の定期演奏会には2016年6月に出演し、ブリテンの《イリュミナシオン op.18》を歌っている。ボストリッジの微妙なテンポの変化にオーケストラも反応し、ブリテンの世界を作り上げていた。
今回のマーラーの歌曲は、第1次世界大戦の終結後100年となる昨年発売された”Requiem, The pity of War”というタイトルのCDに収められている戦争を歌った3曲を含むもの。
演奏では、ある言葉を意識的に強めたり、引き延ばしたりして大きな表情をつけていた。それと同時に体をひねったり、のけぞったり、折り曲げたりといった動きも大きい。
ところどころ、「あれこの音だっけ?」とか「子音が抜けてない?」といったこともあるのだが、実演では起こりがちなこと、そういったことも含めてボストリッジの芸と捉えるべきだろう。

後の3つのコンサートはピアノとの共演。
今回のピアニストはサスキア・ジョルジーニ、イタリア出身の若手。トリノ、ザルツブルクなどで学び、2016年モーツァルト国際コンクールで優勝、ソロ・リサイタルのほか歌手やヴァイオリニストとの共演も行っている。ボストリッジとは2016年スイスのボスヴィルの夏・音楽祭で共演、以来各地のリサイタルでピアニストを務めている。
結論からいえば、王子ホール、フィリアホールにおけるピアノは、ボストリッジの極端に感情移入した歌に対抗できるものではなかった。
《冬の旅》《美しき水車小屋の娘》におけるボストリッジの歌唱は以前のものと大きく変わるものではなかったが、これまで彼のピアノを担当してきたジュリアス・ドレイクとの共演を較べてみると大きな違いがみえる。ボストリッジの歌がダイナミクスを大きくとるとき、ドレイクもまた強い打鍵でその声を支える。歌手が大きなテンポの変化をつけようとするとき、ピアノはそれに寄り添うこともあるが、逆に変化の幅をせばめ音楽のフォルムを維持する側にまわることもある。
ジョルジーニは技術的な面では一定の能力を持っているが、ドレイクのような対応力に欠ける。この二つのコンサートでは、鍵盤の表面をなでるような演奏で、音量もニュアンスの変化も少なく、不満が残った。

ところが、トッパンホールのシューマン、ブリテンでは彼女の打鍵は変化した。《子供のための歌のアルバム》の中の〈歩きまわる鐘〉や〈もう春だ〉でのいきいきとした表情は、シューベルトのときには聴けなかったものだ。
《子供の情景》では、ボストリッジも聴衆の一人となって彼女の演奏を聴く。ピアノの音自体は彫琢されており、技術面では不安はなさそうに感じた。だが、表面的には曲の形となっているものの、表現したいものが何なのか、それが彼女の中にあるのだろうかという疑問も残る。
この日の前半の最後、シューマンの《5つの歌曲 Op.40》ではボストリッジの歌にも不満が。2曲目の〈母親の夢〉、3曲目の〈兵士〉では、節により、歌詞により、声の色合いを変化させ、明確に「死」を意識させてほしいと思う。2018年11月に聴いたプレガルディエンが同じ歌曲集で見せた至芸を思い出す。
後半のブリテンの二つの歌曲集は以前の来日で取り上げていた。これらの歌い手としてピーター・ピアーズを継ぐのはやはりボストリッジだろう。ジョルジーニのピアノも彼の歌に寄り添い、安心して聴けた。
だが、アンコールに演奏されたシューベルトでのピアノはいただけない。なぜこれほど萎縮してしまうのだろう。

歌曲においてピアノが重要であることはいうまでもないこと。歌手は共演するピアニストをどのような基準で選んでいるのだろうか?
ボストリッジの場合、ジュリアス・ドレイクとの共演が多いように思われているが、レイフ・オヴェ・アンスネスとの共演はシューベルト歌曲のレコ―ディングだけでなく行っているし、内田光子の希望に応え、《美しき水車小屋の娘》を録音している。2月末にはジャズ・ピアニスト、ブラッド・メルドーと《詩人の恋》を演奏する予定もある。

彼のように様々なピアニストと演奏することで音楽的な刺激を求める歌手がいる一方で、「リート・デュオ」という名称で、同じピアニストのみと演奏する歌い手も少なくない。
白井光子とハルトムート・ヘルのデュオは長期間にわたって続いている。彼らの《冬の旅》が予定されていたが、白井が風邪で声がでなくなり、ヘルがピアノ・パートを全曲弾くという場面に遭遇したこともある。声がなくても、彼のピアノから白井の硬質な声がうかびあがってきた。長年の共同作業というのは、こういったときにでるのだとおどろかされた。
クリスティアン・ゲルハーヘルとゲロルト・フーバー、クリストフ・プレガルディエンとミヒャエル・ゲース、ナタリー・シュトゥッツマンとインガー・セデルグレンといったペアもほぼ固定のもの。互いに相手の音楽をよく理解し、演奏の方向を見極めやすいというメリットがあるだろう。

ボストリッジが何故ジョルジーニを選び、たびたび共演しているのか、今回の演奏では理解できなかった。54歳になった彼が、若手の育成を考えてのことだろうか。正直なところ、やはりジュリアス・ドレイクとの対等の関係がなつかしい。

(追記)
彼の著書『シューベルトの「冬の旅」』の第24章「ライアーまわし」でふれられているように、《冬の旅》の出版譜と自筆譜では調性が異なるものが4曲ある。今回の演奏では、これらすべて自筆譜の高い調を採用していた。

関連評:シューベルト:歌曲集『冬の旅』 ボストリッジ|藤原聡

(2019/2/15)