モルゴーア・クァルテット 結成25周年記念コンサート vol.2 | 齋藤俊夫

モルゴーア・クァルテット 結成25周年記念コンサート vol.2

2018年1月29日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)

<演奏>
モルゴーア・クァルテット
  第1ヴァイオリン:荒井英治
  第2ヴァイオリン:戸澤哲夫
  ヴィオラ:小野富士
  チェロ:藤森亮一

<曲目>
林光:弦楽四重奏曲『レゲンデ』(1990年完成版)
池辺晋一郎:『ストラータXII-弦楽四重奏のために』(委嘱作品・世界初演)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番ヘ長調(1946)
吉松隆:『アトム・ハーツ・クラブ・カルテット』(1997)
(アンコール)
キース・エマーソン:『アフター・オール・オブ・ディス』(作曲者自身の編曲による弦楽四重奏版)

 

モルゴーア・クァルテットはショスタコーヴィチの15曲の弦楽四重奏曲を演奏するために1992年に結成されたクァルテット。その国境も時代もジャンルも越えたプログラムと演奏で多くの支持者を集めている。プログレッシヴ・ロックを弦楽四重奏曲用に編曲した3つのCDアルバムは大きな反響を呼んだ。第10回村松賞、2010年度アリオン賞、第14回佐川吉男音楽賞奨励賞、第47回JXTG音楽賞洋楽部門本賞、と受賞歴多数。

今回の演奏会で筆者が強く惹きつけられたのが、モルゴーアの音色の「軋み」である。プログラムの4曲それぞれにおいて、この「軋み」が表現に深みを与えていた。

林光作品は、1989年の天安門事件における犠牲者への共感と哀悼の感情がこめられた作品。
第1楽章冒頭、静かにチェロが奏でる全曲の主題に、悲しみと、暴力への怒りがこめられているのが一聴して感じ取れた。そして次第に音楽が高ぶっていき、激しく軋んだ音が耳をつんざく。楽章最後は冒頭の主題に帰って虚ろに終わる。
第2楽章は第1楽章冒頭に現れた主題によるカノン(あるいはフーガ?聴いただけでは判別できず)の後、4人が高速でフォルテシモの音楽による闘争を繰り広げ、楽章最後はまた主題に帰って弱音の霞の中へ去りゆく。
第3楽章はフォルテシモのピチカートに始まり、音量は小さくとも強く何かを訴えるような旋律が各楽器のソロで奏でられる。チェロのソロで全曲の主題が展開された後、ゆっくりと穏やかな哀悼の音楽が奏でられ、最後に死する直前の犠牲者の声のような楽想が最弱音で奏でられ、ただ静寂だけが残される。
本作では「軋み」によって悲しみと怒りという感情を表出し、強靭な意志をもった音楽を作りだしていたと言えよう。

池辺の新作は、力をこめたダウンボウでの軋んだ同音のオスティナートの嵐の中に、稲光のように旋律的断片やピチカートの音が閃く。やがて嵐と稲光は轟音として1つになる。そしてバルトークの弦楽四重奏曲や『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽』の冒頭のようなウネウネとした弱音で4人が絡み合う。しかしまた嵐が訪れ、高音での同音のオスティナートを弾きつつ、楽器の糸巻きを緩めるグリッサンド(?)で下降し、最後もオスティナートで了。
極めて激しい音楽であったが、しかし本作の「軋み」は林作品のように怒りや悲しみといった感情を表出するのではなく、あくまで純音楽的に必要な音色として用いられていた。「ドライな軋み」とでも言おうか。

後半一曲目はモルゴーアの十八番たるショスタコーヴィチの第3番。
第1楽章は弦をなるべく振動させないように、軽やかに弾いていたのだが、その軽さが次第に失われていくのが実に不吉。
第2楽章ではヴィオラが軋んだ音色で三拍子のオスティナートを刻み、不幸が近づいてきていることを知らせる。恐怖の予感に身を縮こませるように弱音になって消えゆく。
第3楽章は恐れていた恐怖が現実と化す。軋んだ音がリズムを刻み、耳を切るような鋭い音の旋律が叫ぶ。4人の鬼神のごとき勢いはまさに戦争・暴力の音楽的表現である。これが弦楽四重奏だというのか?この作品はかくも凄まじき音楽であったのか。
第4楽章から第5楽章(この2楽章はアッタッカで続けて演奏される)は暴力の過ぎ去った後の音楽。あるいは葬送の音楽と呼べるかもしれない。チェロとヴィオラの軋んだ音による旋律が重々しくも悲しく奏でられ、そして悲しみと相即の怒りの感情が溢れてくる。だが、何故か長調に転じてチェロ、1stヴァイオリンが空虚に明るい旋律を奏でる。そこからショスタコーヴィチ的、あるいはロシア的な笑いと絶望が同居した激情がほとばしる。しかしやがて静まり、軽やかだが陰気な楽想へ、そして、ディミヌエンドして1stヴァイオリンの最高音とピチカートで全曲が終わる。全ては戦争によって失われ、もう、ここには何もないかのように。

プログラム最後の吉松隆作品はプログレッシヴ・ロックの要素を吉松流に弦楽四重奏曲にまとめた作品。この作品をとやかく言うのは野暮というものであろう。モルゴーアの音の「軋み」はエレキギターの音に似たり。ビブラートを思い切り大きくかけるのもまた痛快。なるほど、ロックだねえ、とただ楽しんだ。

アンコールの、プログレッシヴ・ロックの作品を作曲者自身が編曲した作品についても多くは語るまい。筆者の音楽的嗜好とは合わないが、林光やショスタコーヴィチの厳しい音楽とは全く方向性が違う、このような音楽も愛好し演奏するのが、モルゴーア・クァルテットの個性であり、このクァルテットがユニークな存在であるゆえんなのだから。

関連評:モルゴーア・クァルテット 結成25周年記念コンサート vol.2|丘山万里子

(2018/2/15)