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コンテンポラリー・デュオ 村田厚生&中村和枝 vol.5|齋藤俊夫

コンテンポラリー・デュオ 村田厚生&中村和枝 vol.5

2018年1月23日 杉並公会堂小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:コンテンポラリー・デュオ 村田厚生&中村和枝

<演奏>
トロンボーン:村田厚生
ピアノ:中村和枝

<曲目>
カジミェシュ・セロツキ:『ソナチネ』(1955)
近藤譲:『散形式』(1982)
山本裕之:『輪郭主義 III』(2012)
カールハインツ・シュトックハウゼン:『1週間の7つの歌(旋律楽器と和声楽器版)』(1986)
篠原眞:トロンボーンとピアノのための『二重奏曲』(2017、委嘱初演)
田中吉史:『Kitaibaraki 1』(2017、委嘱初演)

 

コンテンポラリー・デュオはトロンボーンの村田厚生とピアノの中村和枝による現代作品演奏ユニット。現代作曲家への新作委嘱の他、2013年にCD「Slide Paranoia」をリリース、2017年にスイス・ドイツ5都市でリサイタルを行うなど、「ひとつの特異な音楽作品として成立し、同時に普遍的なレパートリーたりうる作品を発表したい」(プログラムより引用)という意図のもとに活発に活動している。

まずポーランドの作曲家、カジミェシュ・セロツキの小品。急-緩-急の古典的な形式による、小細工の全く無い音楽。朗らかな第1楽章、民謡的な素朴さと寂しさを漂わせるトロンボーンの「歌」が印象的な第2楽章、「快速」という日本語が見事に当てはまるリズミカルな第3楽章。
しかしおそらく難易度は相当に高いのだが、難しさをそうと気づかせず爽やかに演奏してしまうのがコンテンポラリー・デュオの力量を示していた。

近藤譲作品は、これぞまさに「線の音楽」であるなと聴きながら納得してしまった(近藤が名著『線の音楽』を出版したのが1979年、この作品の作曲の3年前である)。ある音が発せられたら、次にその音と関連性(例えば和声進行のような)が形成されない音を発し、さらにその次の音には、前の音とも、前の前の音とも関連性を形成されないような音を選び……という、直感的な美に頼ったいわゆる通常の作曲法とは一線を画す近藤の「線の音楽」の方法が直截的に現れていた。不協和音もなく、同時に協和音もない、謎に満ちた秘儀的な音楽に、安らぐことはできず、しかし聴き入ってしまった。

最初から最後まで4分音が用いられた山本裕之の本作を、筆者は少なくとも初演とCD録音で聴いているのだが、今回の演奏はそれらよりはるかに磨きをかけてとんでもないことになっていた。
冒頭からピアノとトロンボーンの4分音の「ズレ」が素晴らしく気持ちが悪い。さらにリズムの縦の線も絶妙にズレており、2人の奏者がズレにズレまくった激しい演奏をする様の奇怪さたるや筆舌に尽くしがたい。しかも筆者の聴いたところ、主題の反復・展開・変奏といった書法が用いられていたのだが、その書法が音高とリズムのズレの奇怪さをさらに増幅させており、また奏者2人が極めて正確に演奏しているからこそズレがズレとしてはっきりと認識しうるのである。作曲者と演奏者2人、全員只者ではない、恐るべき作品・演奏であった。

シュトックハウゼン作品は超大作オペラ『光(Licht)』から作曲者が一部を抜粋・編集したもの。月曜日から日曜日の各曜日の「歌」が舞台の指定の場所でトロンボーンによって演奏された(ピアノは舞台脇に固定して演奏)。マウスピースだけで音を出す、声を出しながら吹く、楽器を構えて息を吸う、唇を震わせないで楽器に息を吹き込む、ドイツ語の文を朗読する、などなど、特殊奏法のオンパレードなのだが、それが異化、とも、音楽的論理性や美しさ、といったものとも違う、摩訶不思議な説得力をかもし出す、ある種神秘的な音楽であった。

篠原作品は極めて精緻な論理で作曲された作品。ピアノとトロンボーンが、ある時は離れ、ある時は近づき、ある時は一体となり、ある時は主従関係になりつつ、結晶的な音楽を奏でる。トロンボーンの特殊奏法も多用され、またマウスピースを手で叩く特殊奏法と、ピアノの鍵盤蓋を叩く特殊奏法で打楽器アンサンブルのような部分が入ったり、トロンボーンが「ううー、ううー、うん!」「ぐおー、おん!」などと唸ったりするのだが、それもまた音楽的秩序の中に組み込まれていた。終曲は突然であったが、不自然さは全く無かった。

最後を飾ったのは田中作品。テレビ番組で聞いた北茨城人の話し声を採譜し、器楽に移植したものとのことだが、旋律と旋律でないものの狭間をトロンボーンがふわふわと漂いつつ、ピアノと対話し合う。その音が何故か人の声のように、意味表現(シニフィアン)のように聴こえてくるのだが、しかし意味内容(シニフィエ)は全くない。それでも人間たる筆者にはその抜け殻の意味表現が気になって仕方がない。最後はピアノとトロンボーンが虚ろに何かを囁くようにして消え行くのだが、「何を話していたんだ?」と問いかけたくなる音楽であった。

全6曲、時間に換算すれば短い演奏会であったが、実に充実した、至福の音楽体験であった。

(2018/2/15)