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folios crithiques ⑫ |津山国際総合音楽祭の30年とエリック・サティ|船山隆

folios crithiques ⑫

津山国際総合音楽祭の30年とエリック・サティ

text by 船山隆(Takashi Funayama)

私は今から30数年前から津山国際総合音楽祭に関係している。今は亡き指揮者の渡邊暁 雄先生から、津山で音楽祭を開催したいので手伝うようにという命を受けた。トリエンナーレ方式で開始された3年に1度のフェスティヴァルは、今年 10 回目、30 周年記念を迎える。この原稿がアップされるのは、オープニングの前日で、私は津山市の城址を見上げる津山文化センターで、東京や郡山から応援に駆けつけてくれた友人たちと津山の旧知の人々とともに、下野竜也指揮の京響で、G.マーラーやR.シュトラウスを聴いているはずである。
ここで津山国際総合音楽祭の歴史や現状について語るのはやめにしたい。ぜひ音楽祭の HP をご覧になり、特に音楽監督メッセージ①②③をお読みいただきたいと思う。
今回は特に11月3日(金)9:00-25:00、津山文化センター大ホールのエリック・ サティの「ヴェクサシオン」の演奏会について、なぜこのような演奏会を企画・構成したのか、音楽監督の考えを明らかにしておきたい。
実は現地でもあまり理解されず、参加者の数が限られているので、音楽監督として長い文字広告文を書いた。サティの《ヴェクサシオン》に関する重要な基本情報であるので、コラム「folios critiques」のいつもの読者諸兄姉にもぜひお読みいただきたいと考えた次第です。

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《ヴェクサシオン》:音楽監督による長い文字広告

第 10 回目の音楽祭のテーマは、〈G.マーラーと同時代の音楽〉で、第1回 目から継続的にテーマ作曲家としてとりあげてきたマーラーを、同時代の作曲家の光のなかで照射し、その音楽の特質を浮かびあがらせようとするものである。最も強烈なライヴァルであったR.シュトラウス、フランスというまったく異なる国で活躍したE.サティとの比較は思いもよらなかったマーラーの作曲家像を浮きぼりにするはずである。音楽祭初日の日のR.シュトラウス、G.マ ーラー、そしてその同時代の音楽としての小学唱歌《ふるさと》(!)(番場俊 之編曲)は、さまざまな想いを抱かせてくれるはずである。
異端の作曲家サティは、印象主義の作曲家クロード・ドビュッシーと親交を結んでいたものの、一般の聴衆にとっては未知の孤高の作曲家であった。《ヴェクサシオン》は、 今から 120 年以上も前の 1893 年に作曲されていたものの、誰にも知られずに遺品のなかに眠っていた。アメリカの前衛作曲家ジョン・ケーシがこの作品に注目し、作曲後 70 年もすぎてニューヨークで演奏したのは、1963 年 9 月 9 日のことであり、演奏時間は 18 時間 40 分だったという。無調で無拍子のこの作品は、ケージの前衛音楽のモデルとして考えられ、いく人かの研究者たち(R.オーレッジは、ケージの《4’33”》もこの作品がなければ存在しなかったとさえ言っている。
《ヴェクサシオン》の日本初演は、ケージの演奏の後を追うようにして、1967 年 12 月 31 日、東京のアメ リカ文化センターで、湯浅譲二、一柳慧、黛敏郎、石井眞木らの作曲家によって行われた。当時私は 26 才、まだ音楽評論を書きはじめたばかりであったが、私の手帳にしっかりと、この大晦日から元旦にかけて行われた演奏会のことが記入されていた。
《ヴェクサシオン》の世界初演と日本初演のデータは、このピアノ曲が 20 世紀の最も先端的な音楽として考えられたことを示している。たしかにこの 18 音からなるテーマは、変イ音(as)だけを除いた 12 音列 の 11 音を使っていて、音列作法の早い例で無調音楽であろう。しかしこの曲は、新しさと古めかしさの両方を兼ねそなえている。全部で18拍からなる音列は、1拍~5拍 変ホ短調(es-moll)、6拍~9拍 ハ 短調(c-moll)、10 拍~14 拍 嬰ヘ短調(fis-moll)、13 拍~18 拍 ホ長調(E-dur)とも考えられる。また、 4/4 拍子、4/4 拍子、3/4 拍子、2/4 拍子の連続である。
《ヴェクサシオン》の日を津山国際総合音楽祭のなかに組みいれることは、この作品の演奏史や受容 史のなかで大胆をきわめた試みであるといえると思う。私たちは、《ヴェクサシオン》を現代音楽の嚆矢として捉えるのではなく、18 時間~20 数時間の音楽(サティがメトロノーム記号をつけずに、トレ・ランとだけ指示したので、演奏時間に差違が出てくる)を共有する場、〈音の輪、人の輪〉の場と考えたい。
ステージには2台のグランド・ピアノが配置され、老若男女、プロとアマが一緒になる《ヴェクサシオン》の演奏は世界で初めての試みである。主題の低音部だけを弾く人のために、プロの音楽家がいつでも補助できるように待機する。
演奏会場のわきのロビーには、サティの部屋が設けられる。《ヴェクサシオン》と並んで、ピアノ曲《スポーツと気晴らし》という有名な作品がある。このピアノ曲のDVD(エリック・サティ《スポーツと気晴らし》 作画: シャルル・マルタン、作曲: エリック・サティ、ピアノ: 高橋アキ、DVD企画: 株式会社アートインプレッション、DVD 制作: 東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科、監修:西岡龍彦)を、難しい著作権をクリアしてロビーで何度も上映する。
この DVD の上映以外にも、サティの日本における展示会のカタログ、サティの主な研究書をロビーに展示する。演奏者たちは、演奏会場で何回か演奏した後にロビーに入り、休息した後に演奏会場に戻る。ロビーでは、ソフトドリンクやアルコールも安価で提供する予定である。
《ヴェクサシオン》の演奏にはすでに多くの人が参加申込みをしている。サティの国のフランスのパリからは、パリ在住の2人の音楽家、声楽家の小林真理とピアノの棚田文紀が参加する。
小林はサティ の声楽曲のすぐれた理解者であり、棚田はパリ音楽院出身の秀才、現在日本でも非常に高く評価されているピアニスト兼作曲家である。棚田はサティの低音主題に対していくつもの新しい和声づけを試みる予定で、当日の棚田の新作 (!) の《ヴェクサシオン》は、聴きのがすことのできない演奏といえよう。
また、私の最も尊敬する作曲家 尾高惇忠も、サティの低音部を主題にした変奏曲を2曲、私たちのために作曲し、まずは紙面でこの音楽会に参加して下さることになった。<光暉くようなカデンツ>が入っているとか。たいへん光栄であると同時に、大きな楽しみの一つである。
最後にこの《ヴェクサシオン》の企画・構成にあたっている青柳謙二について紹介しておきたい。青柳は東京藝術大学音楽学部楽理科で、1983 年に私のゼミナールで、先駆的ですぐれた修士論文《志向性としての音楽作品―サティの「ソクラテス」を例に》を発表した。それ以来、サティやマーラーを中心課題にして研究を進めてきた。
当日のサティ・レディスとして、4名の若いピアニストが参加して演奏会の手助けをする予定である。順不同に列挙すれば、野村尚子、角田奈名子、田村加奈子、上森佳枝の4名。 参加者の数が少ない場合は、この4名と青柳と船山が840 回の演奏を負担することになる。皆さまのご参加、ご協力を切にお願い申し上げます。

・なお、《ヴェクサシオン》の演奏会は、日本ショット社と東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科の協力を得ていることをつけ加えます。
・この長い文字広告は、当日の《ヴェクサシオン》の演奏者のための参考テキストとして使用いたします。

船山隆 津山国際総合音楽祭音楽監督
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津山市は岡山県の県北、人口10万人の町で、古い城址と吉井川という川のある美しい町です。江戸時 代には蘭学が盛んで、宇田川よう庵という学者は音楽理論も研究しており、その業績は津山洋学資料館という立派な研究施設に保管・展示されている。音楽祭開催期間中、10月7日(土)~11月5日(日)、 「絵画史料に見る江戸の洋楽事始」という企画展が開かれ、長崎出島、黒船、明治維新の音楽を題材 にした絵が展示される。この洋学と洋楽の事始めの町で、《ヴェクサシオン》がどのように演奏されたか、次回のこのコラムで簡単にご報告いたします。

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船山隆(Takashi Funayama)
福島県郡山生まれ。東京藝大卒、パリ第8大学博士コース中退。1984年より東京藝大教授、2009年同名誉教授。2014年より郡山フロンティア大使。1985年『ストラヴィンスキー』でサントリー学芸賞受賞。1986年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1988年仏の芸術文化勲章シュヴァリエ受賞。1991年有馬賞受賞。東京の夏音楽祭、津山国際総合音楽祭、武満徹パリ響きの海音楽祭などの音楽監督をつとめる。日本フィルハーモニー交響楽団理事、サントリー音楽財団理事、京都賞選考委員、高松宮妃殿下世界文化賞選考委員を歴任。