アーサー・サリヴァン コミック・オペラ「ミカド」|能登原由美

アーサー・サリヴァン コミック・オペラ「ミカド」
びわ湖ホール オペラへの招待

2017年8月5日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:びわ湖ホール

<出演>
指揮:園田隆一郎
演出・訳詞・お話:中村敬一

管弦楽:日本センチュリー交響楽団

びわ湖ホール声楽アンサンブル
 ミカド・・・・・・・松森 治
 ナンキプー・・・・・二塚直紀
 ココ・・・・・・・・迎 肇聡
 プーバー・・・・・・竹内直紀
 ピシュタッシュ・・・五島真澄
 ヤムヤム・・・・・・飯嶋幸子
 ピッティシング・・・山際きみ佳
 ピープボー・・・・・藤村江李奈
 カティーシャ・・・・吉川秋穂

合唱(貴族・市民・女学生たち)
 ソプラノ・・・河出綾子  奈良絵里加  南 さゆり
 アルト・・・・糀谷栄里子  益田早織  溝越美詩
 テノール・・・川野貴之  島影聖人  増田貴寛
 バス・・・・・内山建人  浦野裕毅  宮城島 康

 

他人がとらえた自分のイメージとは、何だかくすぐったいもので、またチクチクと刺されるような痛みを感じるものだ。そのイメージが正しいにせよ、間違っているにせよ、気恥ずかしくもあり、滑稽にも思えてくる。では、他人がとらえた自分のイメージを逆にこちらでイメージしてみるとどうだろう。つまり、誰かの頭の中にある自分のイメージをイメージする。なるほど、他人がとらえたものとはいえ、最後は自分の頭を通してイメージするのだから、「本当の自分はこうだ」といった自己顕示欲が思わず顔を出してしまうに違いない。

びわ湖ホールの手がける「オペラへの招待」シリーズでは、コミック・オペラ「ミカド」が取り上げられた。19世紀半ばのイギリスで数々のヒット作を生み出したアーサー・サリヴァンとウィリアム・S・ギルバートという作曲家と台本作家の人気コンビによるオペラ喜劇。日本ではそれほどでもないが、今なお世界各地で上演されているらしい。二人の作家が生きた時代、ちょうど1862年にはイギリスで第2回万国博覧会が開催され、極東の国、「日本」への関心が高まった。ロンドンの一角には日本から本物の職人や芸人を集めて「日本村」まで登場したという。

とはいえ、「ナンキプー」、「ヤムヤム」、「ココ」といった登場人物たちの名前は、決して日本的ではない。むしろ中国のイメージか?と思われるが、すでに18世紀より中国と交易を行なっていたイギリスにとっては、極東の国といえばまずは中国のイメージであっただろう。空前の「ジャポニズム」ブームが起こったにしても、西欧から見れば中国も日本も等しく「遥か東の国々」。ちょっとぐらいのイメージの混濁があったとしてもおかしくはない。

その19世紀のイギリス人によって捉えられた日本のイメージ、今回の公演ではどのように演出されたのだろう。セットの中心となったのは、舞台後方の巨大なスクリーン。日本の観光案内の英語版ウェブ・サイトを模した映像が、場面を変えつつ終始映し出される。また、乗り物などの大道具、小道具も現代の日本のもの。つまり、「外国人が見た現代の日本」のイメージ、をイメージした演出、ということだろう。その中で特に興味深かったのはヤムヤムなど、「女子高生」として登場した女性陣の衣装。AKB48などのアイドルを模したようにも見えるが、日本のアニメに登場する女子高生のイメージのようにも感じられる。そればかりか、彼女たちの話し方や仕草、合唱部分の振り付けなども同じテイストだ。なるほど。外国人が捉えた現代の日本人のイメージとはこういうものかもしれない。またそれが、オペラ全体の進行や音楽に違和感なくはまっているから驚きだ。

ただし、原作の核であり、「笑い」のツボでもある社会風刺の側面は背後に隠れてしまったように思う。セリフなどに日本の政治や社会に関わる内容もちらほら聞こえてきたが、そのインパクトはAKBまがいの衣装や踊りに比べるとなんとも弱い。そもそも社会風刺の伝統が長く、政治に関する話題が日常の会話でもあるイギリスとの違いなのかもしれないが。

この中村敬一による演出、最後にもう一捻りあった。それは、日本国内での西と東のコントラストを浮き上がらせること。オペラの舞台となる「ティティプ」は秩父を指すと言われることから、オペラは日本の中でも埼玉あたりが舞台なのだろうが、いよいよオペラも終わりに近づいた頃、たこ焼きやら道頓堀のグリコの看板やら、大阪を象徴する小細工が突如として現れた。もちろんこれは、その後控えた東京公演を意識しての余興のようなものだろうが、東西のイメージの相違、あるいは外部からとらえたイメージ、とそのイメージを演出する、という点ではまんざら外れてもいない。いや、むしろこの東西の違いこそ、本公演の眼目、もっといえば関西発のオペラがどうしても言わずにはおられなかった本音の部分だったのかもしれない。「同じ日本いうても東と西は違うで!」と言わんばかりの本音。ここで、「本当の自分」がつい顔を出してしまったのだ。

最後に演奏について言えば、現代の日本を舞台に、日本語による上演でもあったためか、歌やセリフ、所作に不自然さがみられず存分に楽しめた。いずれのキャストも甲乙つけがたく、むしろ全員が一つの世界の創造に貢献していたという点を高く評価したい。日本にも「お笑い」の伝統があるとはいえ、オペラ喜劇という西洋の音楽、文化の上にそれを演出するのはなにせ容易ではないのだから。

さてこのオペラ、東京ではどのように受けとめられたのか。気になるところである。

関連評:アーサー・サリヴァン コミック・オペラ《ミカド》|藤堂清
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