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Pick Up(17/03/15)|スタニスワフ・スクロヴァチェフスキの訃報に寄せて|藤原聡   

スタニスワフ・スクロヴァチェフスキの訃報に寄せて

text by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

個人的な記憶から本稿に入る。

とあるCDショップの店員を筆者が務めていた時代から、1990年代半ば~後半のこと。1994年に設立され、当時BMGの傘下であった廉価盤レーベルのARTE NOVAからスクロヴァチェフスキ(以降ミスターS)&ザールブリュッケン放送響(現在は同オケとカイザースラウテルンSWR放送管が合併されて<ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィル>となっている)によるブルックナーの交響曲が順次発売されて非常に大きな話題となっていた。値段の安さもさることながら、その演奏はいわゆる「ブルックナー指揮者」のそれとはかなり趣を異にする。響きは非常に凝縮され、その結果としてスケールは必ずしも大きくなくなるが、それを補って余りある細部の魅力に溢れる。巷間言われるブルックナーの「オルガントーン」とも違い、それぞれのパートの線と絡み合いを明確に表出するので、その音楽はいきおい陶酔よりは覚醒へと向かう。『交響曲第5番』終楽章コーダでの「木管浮き上がり」に象徴されるような音響バランスの巧みな調整…。ヴァントもある意味で似た系統の指揮者ではあるが、ミスターSはまたそれとも明らかに違う。それまでにない新たなブルックナーを聴いた、との感覚が確実にあったのだった。

それと並行して、N響がミスターSを指揮台に招く(1996年)。そもそも指揮者のスケジュールはたいてい何年も先まで決まっているものだ。この指揮者がCD業界とマニアの間で俄かに話題を巻き起こしていたからN響が招聘した、ということではなかろう(推測だが)。この時の演奏はALTUSレーベルから発売されているCDで聴くことが出来るが、今聴いてもその異常なまでの響きの密度には仰天させられる。この2つの出来事により、日本での「スクロヴァチェフスキ再発見」が始まった格好。

その3年後の1999年にも再度N響はミスターSを招くが、それよりも決定的に日本の聴衆にこの指揮者の凄みを認識させたのが、2000年初頭の22年振りの読売日本交響楽団への客演ではなかったか。この時のブルックナー『交響曲第9番』はもはや伝説化している感があるけれども、ともかく魂が抜かれるかの様な凄い演奏で(とある楽員は「チェリビダッケ客演時以来の感動」と語ったという)、サントリーホールのRB席に座っていたこと、その際の自分の精神状態もありありと記憶している。これが「ダメ押し」となったと個人的には考えている。

筆者はスクロヴァチェフスキのファンだが、「コアな」ファン、とは言えない。より熱心な方の中には、「ブルックナーも良いが、むしろ昔のミネソタ管を指揮したストラヴィンスキーやプロコフィエフなどの近代物の方がミスターSの資質にはより合っている」、あるいは「ミスターSは昔から凄かった。今になって騒ぐのは遅い!」などの声もある(筆者は、それらの「以前の」演奏を後年の演奏の後に聴いた)。だが、1990年代後半以降の一連のムーヴメントがあったからこそ、ミスターSというユニークで稀有な指揮者の名前が一般的なファンにも浸透し、そこからは決して商業主義的側面から「業界」が主導するのを待つまでもなくその演奏の価値が大きく認知され、より広がったのだ。

本稿の冒頭で、エクスキューズのように「個人的な記憶から…」と記した。しかし、先に記載したあれやこれやは、その実多くのファンと同じなのではないか、と(勝手に?)思っている。だからこそその認識を改めて共有するためにそれらを書いた。ベーム晩年における日本での大熱狂はいざ知らず、同様に神格化されたヴァント晩年、その最後の来日である2000年に辛うじて間に合って2公演を聴くことができた筆者が考えるに、ヴァントも同様にある意味で「再発見」された存在であろうが、やはりその本質はファン層の自発的かつ自然な広がりにあったと思う。むろん、あのBPOを指揮した1995年のシューベルト録音とそのプロモーションがなければそれ以降の流れはなかったようにも思うが、最晩年におけるファンの熱狂の本質は決して「付和雷同」というものではなかろう。スクロヴァチェフスキも同様だったろう。夜郎自大的に日本のファンを特権化している訳ではない。スクロヴァチェフスキが、あの高齢にも関わらず頻繁に来日してくれたのは恐らくは日本とそのファンを愛してくれていたためだろうし、ファンもまたそんなミスターSの音楽とその人を愛した。これは幾らかは誇ってよいことだと思うのだが、どうだろうか。

ミスターSの最後の来日となってしまった2016年1月、読響とのブルックナー『交響曲第8番』。2回もたれたコンサートの双方を聴くことが出来た。この指揮者としては必ずしも万全な演奏ではなかったが、その演奏には齢92とは思えぬ気概とさらなる新機軸があり、テンポもほとんど弛緩しない。これをさらに以前の「より完璧だった」演奏と比較して欠点を挙げつらって何になろう。もちろん批評は大事だ。しかし時には批評が及ばぬ領域というものもある。これは、まさにそれだった。前回来日時よりも足腰はいささか弱ったように見受けられはしたが、指揮者はこの大曲を大きな身振りで立ったまま振り通した。この指揮者は今後もずっと指揮台に立ち続けるものだと思わず錯覚しそうになり、この度の脳梗塞も必ずや克服して復帰するものだと確信していたが、ここに訃報が届けられた以上は観念するしかあるまい。

最後にはこれ以外の言葉が浮かばない、今まで素晴らしい演奏をありがとうございました、ミスターS。安らかにお眠り下さい。

関連評:読売日本交響楽団特別演奏会《究極のブルックナー》|藤原聡