五線紙のパンセ|《レインボーサーペント》《夜の霧》|浦部雪
《レインボーサーペント》《夜の霧》
Text by 浦部 雪(Yuki Urabe): Guest
今月と来月の記事では、これを機にここ数年のうちに書いた幾つかの作品をご紹介できればと思っています。昨年末に作曲個展を開いた動機とも通じるところがあるのですが、ヨーロッパ滞在を終えたことを自分の中での一区切りとして、その間に得たもの、そこからアウトプットされたものをまとめて記録として残してみたいと思っています。
1)
レインボーサーペント (2022)
Rainbow Serpent for Didgeridoo, Bass clarinet and Contrabass
編成: ディジュリドゥ、バスクラリネット、コントラバス
委嘱: Ensemble Free Labo
初演: ブッダマシーンとディジュリドゥ Ensemble Free Labo Live
2023年11月18日 Ftarriにて
石井宏宗(Didg.)、野本裕輝(Bcl.)、阿慈谷修平(Cb.)
https://www.youtube.com/watch?v=uH4NXP07Q1M
浦部雪作曲個展 2025/12/19 トーキョーコンサーツ・ラボ
石井宏宗(Didg.)、西村薫(Bcl.)、山本昌史(Cb.)
オーストラリア先住民により古くから伝えられる天地創造の神話「ドリームタイム」、そのうちの一つ「レインボーサーペント」から着想を得てこの作品は生まれました。オーストラリア先住民は夜、焚べた火の周りで歌い(語り)手、踊り手、そしてディジュリドゥ奏者の三者でストーリーテリングを行うことでドリームタイムを後世へと伝承します。物語が歌われる中、踊り手が体で、ディジュリドゥ奏者が声と音でその世界を模するといいます。「ドリームタイム」とは単なる創造神話の伝承ではなく、過去・現在・未来を繋ぎ、そしてそれが円環を成す、時間構造を一方方向に進むものと考えないオーストラリア先住民独特の感覚によって生み出される行為だと言います。
———レインボーサーペント———
大昔、大地は凹凸もなく真っ平らで、そこには生き物ひとついませんでした。ある日、虹色の巨大な蛇が地中から目を覚まし大地を這い回ることで世界に山と谷が作られました。虹色の蛇は地中から蛙を呼び覚まし、それが吐いた水が川となり、そこから豊かな植物、たくさんの生き物、そして人間が生まれました。こうして世界は始まったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=T8RA7-yktM0
委嘱はかねてよりお世話になっているアマチュアオーケストラ「アンサンブルフリー・イースト」に所属される石井宏宗さん、野本裕輝さん、阿慈谷修平さんより。お三氏はフリー・イーストから派生した「アンサンブルフリーラボ」というアンサンブルとして活動されていて、本作はそのアンサンブルのコンサートのために書かれました。そこではそれぞれが普段演奏されている楽器(石井さんは本来はトロンボーンを演奏されます)に限らず様々な楽器を使って委嘱初演や即興演奏など幅広い音楽をされます。この作品の委嘱を受けた時、「できるかできないかはわからないけど浦部くんのやりたいように書いて。挑戦はする。」というお言葉をいただき、おかげさまでなんの忖度も無い、25分間の循環呼吸やスコルダトゥーラをはじめ、難易度としても全く遠慮のない作品を書くに至りました。初演は僕自身がヨーロッパにいて伺えなかったのですが、リハーサルや本番の記録映像では無理難題に全く屈しない本当に見事な演奏を聞かせていただきました。
先月の記事にて少し取り上げましたが、作曲という行為をする際の姿勢が内省的なものから外へと意識が明確に向かい始めた最初の頃の作品だと振り返ります。その姿勢を実現する方法の一つとして音を通して特定の文化を見つめるということは自分にとって有効な手段だったと思っています。文化というものは、それが自国のものであれ他国のものであれ、知れば知るほどに人々の積み上げたその厚みと奥行きに敬意を感じさせられずにはいられず、だからこそ僕はなるべくそこに寄り添い、その中から見えてくる音をそのままに書いてみたいという思いを持っています。それは今も変わらず自分自身の創作の態度の一つとして一貫していることでしょう。
この作品を書くにあたって、自分が見えている音を楽譜にどう落とし込むかということが何よりも大きな最初のハードルの一つでした。特にディジュリドゥの特性、たくさんのピッチの選択肢は持たず、そして声による発音を演奏に必ず伴うということをどのように五線紙に書くかということは非常に苦心しました。同じくして、ドリームタイムが西洋圏の文化ではないという意味で拍子や拍節構造は限定された使用に留まる必要があるということもあり、それを排除した上でどのように三つの楽器を同期するかということも課題の一つでした。結果的には、拍節構造を持たない部分では三つの楽器が厳密に縦を合わせる必要はなく、ある程度同じところにいられれば演奏は成立したので、イヤホンでクリックを聞き、秒数をモニターに表示することでその問題はクリアされました。何か頭の中に、ディジュリドゥの長く太い音とそれにバスクラリネットとコントラバスが絡み合う様子が巨大な蛇が地上を這い回る様と一致し、その動きから山や谷が作られ川ができ動植物が繁栄する様、最後には人間、そして「音楽」というものさえもが生まれる様が音の奥に見えればということを願いながら書きました。
ミュンヘン音楽大学のイザベル・ムンドリーのクラスでこの作品のプレゼンテーションをした時にイザベルから、「この作品はコンサートホールの舞台で演奏されることが必ずしも好ましいことなのか考えなければならない。私にとってはもう少し演奏者と聴衆が(少なくとも舞台によって高さが隔てられないような)フラットな関係で聞かれるものに思われる。演奏者の前だけでなく横や後ろにも聴衆は座っていても良いかもしれない。もっと言えば、室内で演奏されることすら考え直しても良いかもしれない。」というコメントを受けたことを思い出します。言ってしまえば聴衆は演奏中に立ち歩くことすらもおかしなことではないかもしれないし、始めから最後までを全て固唾を飲んでじっと聞くというコンディションがそもそもこの作品の文脈とは一致していないかもしれない。ひょっとしたらオーストラリアでドリームタイムが語り継がれる様子そのままにこの作品が聞かれることが最もこの作品が聞かれるシチュエーションとしては最適なのかもしれない、ということを思います。
2)
夜の霧 – ジャクソン・ポロックにちなんだ (2026)
Night Mist after Jackson Pollock
編成: バリトン、チューバ
委嘱: 低音デュオ
初演: 低音デュオ第18回演奏会
2026年4月22日 杉並公会堂小ホール
松平敬(Bar.)、橋本晋哉(Tu.)
https://youtu.be/Ufd1PMA0gJA
演奏は上述のもの。
ジャクソン・ポロックによって描かれた同名の作品より。
「私の絵画の源泉は無意識である」という言葉は、ポロックが自身の作品制作において「無意識」を重要視していたことの証明に他なりません。ポロックの創作の上で「無意識」が大きな役割を担うことになったきっかけの一つとして、ポロックが長く受けていた、フロイト派、ユング派の医者からの精神分析の治療があげられることは有名な話だと思います。その治療を受ける時期に描かれた絵画は、素描的なものも含め、蛇や女性、あるいはアメリカ先住民などの何か象徴的な物が描かれることが多いのですが、その後ポロックの絵画はより高純度に抽象的な「オールオーヴァー」と言われる作品群を制作するに至ります。この《夜の霧》はその具象性から抽象性に移り行く過渡期に描かれ、その二つの要素が絶妙に拮抗する作品です。
創作の方向性が角度を変える転換点に立つ時そこに大きく遠心力がかかる、複数のものがアンビバレントに混在しながらも明確な次の方向へと推移している様をとても面白く思い、その意味から、言ってしまえば僕はこの作品をその後のオールオーヴァーの時期よりも面白く見ているのですが、多くの要素が整然とせず様々なベクトル、奥行きを作り出している様をそのまま音で再現できないかという試みのもと、この作品を書きました。限りなく混沌に近いけれども、全くのしっちゃかめっちゃかではない、それでいて作品そのものの推進力と力強さ、何処か一貫性を持っている、そんな音楽を書いてみたいと思いました。
この作品でも他と同様、やはり僕自身の中から表出されるものは多くは必要ありませんでした。だからなるべく何処か他の場所から材料を集める必要があったのです。その考えから、テキストはフロイトが出版した《夢判断》に書かれている同氏自身が見た夢を使うことにしました。それを音素やシラブルなどに細かく分解、そして再配置。ピッチに関しても、テキストを音程へと置換したものを乱数で並び替え。そこにテキストが持つ焦燥感などの「心理性」を肉付けとし、ポロックの音世界を作ろうと試みました。
以下が作品に使用したテキストです。
<原語>
Ich gehe in sehr unvollständiger Toilette aus einer Wohnung im Parterre über die Treppe in ein höheres Stockwerk. Dabei überspringe ich jedesmal drei Stufen, freue mich, dass ich so flink Treppen steigen kann. Plötzlich sehe ich, dass ein Dienstmädchen die Treppen herab und also mir entgegenkommt. Ich schäme mich, will mich eilen, und nun tritt jenes Gehemmtsein auf. Ich klebe an den Stufen und komme nicht von der Stelle.
<日本語訳>
居住するアパートの一階からだらしない身なりで上の階へと向かう。軽快に階段を三段ずつ駆け上がっていけることをとても嬉しく思う。突然、ひとりの女中が向こうから階段を降りてくるのを見て恥ずかしくなり急ごうとするが、抑止の感覚に襲われその場に釘付けになり動けなくなってしまう。
音楽的に目指したい本質的なところ、要するにポロックあるいはフロイトの世界に僕の個人的なものが干渉しない範囲で僕自身による音の取捨選択、楽譜を書く行為が行われなければならなかったのです。よって、音選びやリズム、セクションなどはテキストが導くものに素直に身を委ねました。どちらかといえばある意味で半ば自動作曲的と言えるかもしれません。いずれにしても、「無意識」というのは今作のキーワードの一つですから、なるべく自分の意思というものが創作に反映されないように作曲を進めました。
具体的にどうしたかというと、テキストをそのまま数値化して音名に置換したのです。その表の一部を以下に貼ってみます。アルファベットを数字に対応させ(a=1、b=2など)、それをさらに音名と紐付け(1=Do、2=Do♯など)して一つの音列を得ました。それをその後乱数で順番をバラバラにし、それに従って楽譜を書き進めます。このあたりのことは、ポロックの記号的な具象性、そして混沌とした性質に近いものが音の塊として得られることを期待した、ということでもあります。
フォルムに関してもテキストをそのまま利用しています。作品をテンポ60(実際の作品の速度はテンポ120ですが)で方眼紙のように区切り、テキストの文字数をそのままフレーズとし、それぞれに異なる単一の表情/キャラクターを当てはめました。つまり、冒頭で言うと、テキストの「Ich gehe in sehr…」の3文字、4文字、2文字、3文字と続くものをそのまま3秒、4秒、2秒、3秒といった具合に置き換え、テキストを最初から最後まで順に読んだのと同じように構造を設定したのです。ですので作品はテキストの350文字と同じ数字の350秒で終わります。
一方リズムやテキストの配置に関してはほとんど明確なルールは設けず、ある程度自由にやりました。それでも少なくとも音高やフォルムに関してだけでも自分の感覚ではないものを拠り所にしたということは、少なくとも僕にとっては大きな意味があったように思います。果たしてそれが客観的にどう映るのか、どのような成果に繋がったのかは分かりませんが、少なくとも僕自身の表現ではなく「ポロック」をやりたかったので、ポロックにまつわるものを素材とした方がいずれにしても目指す場所には近づくのではないかなと思います。
この委嘱をもらってからかなり長い間呆然と立ち尽くしたことをよく覚えています。それは連絡を受けたその場もそうでしたが、それ以上に作曲の方向性が見え始めるまでにものすごい時間がかかったということです。憧れる二人からの委嘱であったことが一つのプレッシャーを生んだということは間違いないでしょうが、何よりも声とチューバという組み合わせの難しさに相当な時間頭を悩ませてしまいました。結局本当にギリギリまで決まらず、チラシを刷るためにタイトルを渡すその時まで何を書くか決められていませんでした。その時点でコンサートで一緒に演奏される作品の一つに湯浅先生のデ・キリコに由来した作品があるということを聞き、そこで初めてポロックのことを思いついたのです。
今月は以上の2作品、また来月は別の2つの作品をご紹介できればと思っています。
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浦部 雪
1991年千葉生まれ。東京芸術大学作曲科卒業後ミラノ国立音楽院作曲科、ミラノ市立音楽院指揮科、ミュンヘン音楽大学作曲科にて学ぶ。作曲を安良岡章夫、野平一郎、ガブリエレ・マンカ、イザベル・ムンドリー、指揮を杉山洋一の各氏に師事。
指揮者としては日本をはじめ、イタリア、ベルギー他様々な場所で新作初演等に携わる。2021年サントリーホールサマーフェスティバルにおいてマティアス・ピンチャー氏のアシスタントを務める。サントリーホールチェンバーミュージック・ガーデンや紅葉坂プロジェクト等に出演。
作曲家としては芸大フィルハーモニー、Ex Novo Ensemble、低音デュオなどにより作品が演奏される。2025年12月に自身の作品個展を開催。東京芸術大学在学中に長谷川良夫賞を受賞。




