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プロムナード|流れのままに|丘山万里子

流れのままに

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

大好きな、というか毎年、気狂いする桜の季節、そろそろ満開か、と桜散策予定週の夜中、救急搬送されそのまま入院した、あれから。

立ちあがろうとして宙を泳ぎ、メリーゴーラウンドを時速50キロで回っているような激しい回転性眩暈。「自分の重量」、つまり「ここに居る」(実存、なんて言葉、実に薄っぺらいものだ)という感覚が足元からすくいとられ放り出され、墜ちてゆくブラックホール。救急隊員の質問に答えるのも嫌になり黙ったら、「なんで答えないんですか、丘山さん。」 助けて、と、ほっといて、がごっちゃに渦巻く。あの時、でも気を取り直して答えたのは何故だろう。救急車へ運ばれるとき、雨粒がぽつぽつ頬を打った。冷たかった。
実はこの病院、5年前の9月、まさにコロナ期に緊急入院したが、リニューアルオープンの今は、何もかも新しく、ホテル並みの涼やかな中庭を備えた今どきスタイルに変身していた。
退院の日、院内車椅子での移動で息子の車に乗り、窓に満開の桜を見る。阿佐ヶ谷神明宮猿田彦神社、爛漫の春。朱い鳥居が美しく、その一瞬が、失い、飛び去った時間を私に教えた。
時は決して、還らない。

医者は常に最悪を想定する。「心因性」メニエールとの診断に加え、1ヶ月以内に同様発作が起きたら耳に大きなダメージを受けます。3ヶ月は要注意期間。とにかくストレスの無い生活を。
いやいや、その言葉こそ、最大のストレスなんだけど。

私の助けの神(手)、横浜の内科医(於中国)かつ整体かつ気功・導引術の先生、何磊さんは(3年前の夏、衰弱の極みを救ってくれた人で、本誌コラムにも書いた)、またもやすっ飛んできてくれた。あったかい手と、静かで穏やかな会話で、呪縛の1ヶ月をクリア、残り2ヶ月の不安に付き添ってくれている。
私の訴えへの「金言」をいくつか。
私:いつも頭が休みなく働く。脱力できない。肩から上が無くなればいい!
――頭は、脳です。あなたは「腸」で考えなさい。――
命は、結局のところ「入れる」と「出す」に尽きる。つまり摂取と排泄。赤ん坊と同じだ。胎内から出て「おぎゃあ」は、外気(大気)圏での最初の「息」。死は、息絶えること。
なるほど。外気と栄養の通り道である「腸」が要(かなめ)ってことか。

――まず、身体。心は後からついてくる。――
うーむ。思い悩むな、自分の身体の声をまず聴きなさい、か。そう言えば、先日Netflixで見た海外映画に、長い道中を馬に乗るインディアンの途中休憩は、馬を休めるのでも人が休むのでもない、「魂が追いかけてくるのを待つのです」という会話があったことを思い出す。身体は先走る、魂はそれに追いつけない。だから身体に入ってくるまで待つ時間が必要で、今、あなたは立ち止まり「魂が来るのを待っている時間にいるのです」と語る、あれは沁みた。何処も金言は同じ。

ウェストの背骨を挟んで両サイドに、押されて痛いツボがあり、「そこ、痛い!痛い!」
――ここは、志室というところ。志が宿っている部屋です。――
はあ。志か。確かに入院時、私は悩み深く、心のベクトルがあちゃこちゃに千切れ、カオス状態だった。
――私は日本に来て腰を痛め、中国に戻って手術しました。その時、志も取ったのです。あなたは痛むから、志はちゃんと残っているーー。
途端に私は、涙目に。
知ってるよ。東大で成し遂げるはずだった東西医学の壮大な研究を断念したんだよね。中国に居るのも嫌で、日本でも苦労して、夢を諦めた。志をなくしちゃったんだね。と、ポロポロ涙。
彼は驚いて、
――いや、部屋(室)はありますよ。また新しい志が入ります。――
なあんだ、全部無くなっちゃったのかと思った。でもあなたは、私を泣かせたね。これも治療なの?

彼はそんなふうに、身体と心の点(ツボ)をつなぐ線、流れ、経絡、つまりネットワークを実感させてくれる。自分の身体を知る、とはそういうことだが、通常の私はそんなことに構わず、頭でっかちの「歪み」を自分に強いている。文脈とか人脈とか言うように、私たちは全てあらゆる「脈絡」、関係性のもとにあるのに、忘れる。痛い目にあわないと、わからない。
そう、ずいぶん前から身体は危険信号を発していたのに、無視した。

毎回、そんな会話の間にも、彼は私の身体の反応に気を配り、手を休めない。身体と心を解きほぐし、かつ、自力での努力を要求し、エクササイズを実演指導するのである。これがなかなかに厳しく、きつい。実演に従い、「こう?」とやってみるものの、呼吸一つとっても「そうじゃない!喉を締めてるでしょ。音を立てずに吸って出す。吐くんじゃありません。力を抜けば自然に出るものは出る。音がするのはどこかが緊張している証拠。」
それにしても美しいのだ、何先生の挙措は。どこまでもしなやかで柔らかい。私はあちこちによけいな力みがあり、ごちごちがたがたと音を立てる。まさに、生き方そのもの。
「練習です。やっていれば、だんだんできるようになります。」
退院当初、生真面目で何事も全力の私は、ほぼこのエクササイズで一日終わったようなもんだ。「やりすぎ、は逆効果」。でもその案配が自分じゃわかりません。痛ければ効果あるかと思ってたけど。「それは自虐です!」

直近の「金言」は。
――生きることは、変わることです。――
私は自分の「老い」(病を含む)を、下降線を辿るのみ、と自嘲していたのだが、これは胸に響いた。進化でも退化でもなく、「変化」と捉えよ。そんなことはヘラクレイトスの「万物流転」でなくとも、長大な人類の歴史での世界認識根本了解事項(みんながなんとなく気づきわかっていることをいかに言語化するか、がその時代時代の思想家・哲学者の役目だろう)なのだが、でも、それを腹の底から「確かにその通り!」と「わかる」(実感する)のは頭でなく全身、観念でなく具体的なことごとにおいて。
日々、変わらぬように見え、本当には変わってゆくことごとにどう向き合うか、は、まあ自分次第。自分もまた自然の一部と了解する感じか。
例えば? 若い頃は朝10時すぎでも寝ていたかったが、今は日昇とともに目覚めてしまう。空が明らむと小鳥たちが小さな庭と隣の公園に来る。その囀りとカーテン越しの光に、朝か、と。うーん、まだ5時? それからうとうと朝夢を見る。

打てば響くように、私の問いに即座に返ってくる言葉に、なんでそんなになんでもすぐ答えられるの? 毎日、勉強してるの?
――全部、患者さんが教えてくれます。――
そうか。人から学ぶんだ。一人一人の具体的な痛みとか不具合とか、それに一つ一つ丁寧に向き合う。そうして、その術、知恵が、彼の総身に(全体重を指先にかけることもある)行き渡っているんだ。刻々、積まれてゆく「知恵と術」の総体。「医は仁」じゃなく「医は人」なり。深すぎ……。

*   *   *

いつぞや、本誌連載『三善晃の声を聴く』(by丘山)の一節に対し、ネット上で「音楽評論家として無責任だ」との指摘を見かけた。以下、対象となったその一節を引く。

2023年5月、東京都交響楽団の反戦三部作(山田和樹指揮2020年の延期公演)に、筆者は打ちのめされていた。これまで何を聴いてきたのか、と。阿鼻叫喚の『レクイエム』から『詩篇』の「はないちもんめ」、そして『響紋』の「かごめかごめ」への道程を、生死を見据えての「祈り」への昇華とするのは定式だ。だがこの日、『レクイエム』の絶叫と音塊のわずかな間隙、裂け目に、筆者はふと漏れる三善の「声」を聴いた気がしたのだ。激越に撃ち込まれる言葉の砲弾に滲む、ヴァイオリンの嘆きあるいは慰撫の声。『詩篇』のⅧ《おわりのないおわり》の清明な合唱に頭を垂れても、それ以上に、器楽による殴打蹂躙の陰に潜む「うた」に近い声の欠片(かけら)にこそ、なぜもっと深く心を傾けなかったろう。――後略

「これまで何を聴いてきたのか」が、無責任、批評家失格に値したらしい。
作品は演奏によっていくらでも変わる。あの時はこうでも、この時はこう。作品の豊かさは、その可変性にある。バッハが無限のバッハ演奏を許容し続けるように。聴衆も各々全員異なる個体で、「今日の私のバッハ」を聴く。批評家もその一人でしかない。あの時はこうでも、今はこう「聴こえる」。それは進化でも退化でもなく、変化であり、作品解釈の正当性とは関わりない。そもそも正当な解釈などない、が私のスタンスだ。作曲家も実のところ、本当には自分の作品のなんたるか、などわからない。「ここだけはちゃんとやってね」と書き置き、あとはそれぞれの裁量で、というところにこそ「創造の神秘」は宿る。そうして創作家は最後は、その神秘に作品を委ね、演奏家を、聴衆を、信じるのだ。だから。
ーー生きることは、変わることです。ーー

*   *   *

時は、還らない。
入院以前の私が見ていた景色は、もうとても遠い昔の写真集に思える。
あの頃、私はこれまで書いてきたようなコンサートレビューはもう書けない、と思っていた。端的に言えば、一つの演奏会について深掘りする個評を負担に感じることが増えてきたのだ。それはこの5年ほど、日本の作曲家のスコアと音に向き合い続けてきたこととも関わろう。
一人の作曲家の作品の持つ広大な世界を眺望する長旅と、演奏会という一期一会、今、ここにしかない音の生成と消滅の瞬景に身を置き生き切ることの往還にあって、個評でない何か、が欲しくなった。
一つの演奏会であろうが、複数であろうが、自分が足を運ぶコンサートがみな、音の流れで、その瞬間瞬間の多様な変化、その背後に見える演奏家、作曲家、あるいは今という世界、あの音、この音、あの時、この時、あの人、この人、そういう流れゆくもの全て、流れ去るもの全て、それをそのままに映しとって、私も流れのままに書きたい、という欲望。
それがどんなものかわからなかったけれど、でもこういうことは、書くうちにわかってくるだろう。昔、批評について何もかもわからなくなった時、恩師遠山一行先生に問うたら、「書くことです」と一言。そういうことなのだ。

でも、後頭部、首の根元中枢あたりにありありと刻まれている眩暈の恐怖、その種芯の硬さ重さ。何気ない動作にもつきまとうそれ。
この状況で、何が書けるか?

*   *   *

私は今、久しぶり、近くの原っぱ公園の藤棚の下にいる。
花の頃は蜂がぶんぶん飛んで危ないし、大抵、誰かが憩っているのだけど、今日は誰もいない。青々した木陰で風に吹かれ、ふと、根っこから伸びる枝のものすごい絡まり具合に気づく。いわゆる盆栽や禅庭などに見られる人工的な絡み具合でなく、んじゃ、アタシこっち行くから。そうかい、じゃ、オレはこうするか、みたいに。いろんな枝が好き勝手に、でもうまい具合に伸びあがり、緑の棚を作っているのである。
そうそう、カンボジアのタ・ブロームで見たガジュマルの根っこが寺院を呑み込むように這い回っている、規模こそちがえ、あれとおんなじ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨秋、家の庭師さんが道路ぎわの植え込みを刈っていて、そのうち右端1本が根っこを横ばいにずんずん伸ばしているのに、「しゃあない、こっちがダメならこっちだって。この子(木)、だいぶやんちゃですね。」と言うのに私は大笑いした。
あ、住人に似たんですかねえ。以来、その子を愛しく思うようになった。

そうか。
これが、命というものの姿だ。
なんと逞しく、変化に満ち、美しいことだろう。

私も自然の一部であれば、刻々変化する大気や風や水や光に包まれ、私という体内体外・内観外観の「脈絡」もまた、流れのままに絡み合い睦み合って、何ものかと成り、朽ちて行く。
創造の神秘はそのようにあらゆる命に宿り、そのなりゆきに、最期まで寄り添い働き続けるのだろう。

    2025年6月28日記

                             (2026/7/15)