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プロムナード|未来のアトランティス|チコーニャ・クリスチアン


序章

雨露(うろ)に包まれた街
暮れなずむ空の重みに耐えず
大理石の円柱が 色(にびいろ)の涙を流す

時間(とき)の息に磨かれた石畳が
街灯からこぼれる明りを滑らせ
閑静な路地の迷路に響く足音が
数多(あまた)の橋を漂う古の旋律に溶け込む 

十字軍の勢いにわなないた四頭の馬が
未だに郷愁に駆られ
アレキサンドリアから持ち去られた
聖マルコの遺骸が 有翼の獅子と合体した  

干潟に眠る美女 ヴェネツィアは
論理に美しく逆らう 矛盾の宝蔵
魚を象った棺(ひつぎ)がその寝床
水の都は 沈んでゆく
鐘楼から響き渡る鐘声は
ぜんまい仕掛けのオルゴール

最期(いまわ)の際 老婆になった美女は
断末魔の叫びを上げるのだろうか
それとも 暴れることもなく
瀟洒(しょうしゃ)な姿のまま 溺れ死ぬのだろうか
未来のアトランティス
静かに燃え尽きる蝋燭(ろうそく)
大爆発する超新星か

 

I. 茜色の夕映えに

ヘラクレスの柱を超え
西を占める海洋に
横たわる豊かな島
ポセイドンの末裔(まつえい)
強い軍事力を持つ 広大な帝国を
見事に繁栄させた
しかし 人間が混じると
天下無敵の大地が 次第に堕落し
やがて滅びてしまった

一晩で姿を消し 海底に沈没した文明が
謎めいた神話を残し 不朽の名声を得た
その名は アトランティス 

鶏鳴 暁を告ぐ
夜明けに霞みが上がり
島は朝焼けに燃えた

ジブラルタル海峡を見下ろす丘(つかさ)の脇に
連なる葡萄のつるは 隠れん坊の楽園
浜で蜻蛉を追いかけながら
はしゃぐ子供らの声も
仔山羊の鈴の響きも
浦風に乗り 牧歌と絡み合う
多年嵐に耐えた 老樹の枝(かたえ)から
ぶら下がるブランコが軽く揺れる

初秋の紺碧(こんぺき)色の空
海に点々と見える白帆(しらほ)
海面に縺れた線を刻んでゆく
大空を仰ぐ火山が千切れ雲を貪り
紫煙をくゆらせる

忽然(こつぜん) 井戸水を酌む 縄の軋む音がした
日影に猫がまどろむ 田舎家の裏庭
石窯から焼きたてパンの香りが
湯気と共に立ち込める
ローズマリーやセージの芳ばしさが加わると
家族が食事に集う
のど越しの良いワインに
塩漬けにした魚や山羊のチーズとオリーブ
食べ頃になった石榴(ざくろ)の実が食卓に輝く
まるで紅玉(ルビー)の如し 

草花のなびく広野が
大西洋にひれ伏すように見える
昼下がりから群衆が 儀式の参列に集まってきた
年老いた臓卜師(ぞうぼくし)
海の唸る岸壁の先端まで登って行った
そこで生け贄を捧げ
子羊の内臓から神々の思し召しの前兆(さが)を読み取り
直ちに結果を群衆に告げる
その時 不意の出来事
風に帆翔(はんしょう)していた海鳥が急降下し
臓卜師の被り物をつかみ奪い 飛んで行った
驚いた老師は 厳かな表情を取り戻し
群衆のざわつき出した広野を不安げに見下ろしたが
陽炎(かげろう)のように燃(も)ゆる 水平線の彼方へ
沈もうとする輪(かりん)を 骨ばった手で指差すと
群衆の高く上げる 歓声が鳴り響いた 

塒(ねぐら)に帰る 鳥たちの黒い影のついた
鰯雲の行き先は 時間(とき)の流れが異なる
別世界を覆う大空だろうか
縹渺(ひょうびょう)と無辺際に 広がる大海原が
悲壮な夕陽に染まった

 

II. 終わりの時が来るまで

宵の帳(とばり)が降りてくると
身形を直した空の東に現れたのは
赤味を帯びた満月
島は月光に照らされ
頭上に満天の星が輝きだした
静謐な夜に眠る 宮殿の支柱が光り
発掘されたばかりの巨人の骨に見える
何も知らぬ島人の寝耳に 潮騒(しおさい)が響く

羽音(はねおと)をさせずに飛ぶ梟(ふくろう)と同様
急に垂れ込めた黒い陰が
兎(ぎょくと)を襲いかかり 島を闇に包んだ
海から泡立つ音が聞こえ しばらく地鳴りが続く
山猫が目を光らせ 藪(りんそう)の奥に逃げた
激しく吠える野良犬 羊の群れが鳴き止まない
そして 轟音と共に 火山の神が目を覚ました
矢(やびや)を放ち 夜空を真っ二つに引き裂き
島の全域に火玉を降らせた

憤慨の爆破

要塞の塔が倒れ
何処もかしこも地割れが
家屋や校舎や蔵の礎(いしずえ)を鵜吞みにした
真っ赤に染まった夜空は 逃げ道を照らす
逃げ足を踏まぬ乳母も
慈母を背負い避難しようとする息子も
容赦なく溶岩流に呑み込まれて行った
倒れてゆく神殿の前で佇む老師は
神の怨恨を呪い 匕首(ひしゅ)で胸を刺し自決
挙句の果てに 津波が全てを洗い流した
まるで棺の蓋に釘打ち
流出する溶岩に 塩水が触れる度に
青白い水蒸気が 長いこと昇って行った
読み取れない狼煙(のろし)の如く

 

III. 永久(とこしえ)のアトランティス 

無限に広がる星空
波間に戦(おのの)く月が 粉々に割れた鏡のよう
妙な静けさが 火山灰と塩を吐く
野原の背中を撫でる
夜空を通りすぎる 惑星の丸い影が
月面に泣きぼくろをつけ さり気なく離れて行った
昆虫がゆらゆら飛び一休みする 一輪の花も残らず
朝の到来を告げる雲雀(ひばり)の鳴き声も聞こえない
満潮時に 草(いぐさ)がしなやかに舞い溺れる 

一寸刻みに悶える 哀れなアトランティス
海の冷たい愛撫に 無情にも沈んでゆく 

浮沈する岩壁の巖頭に
海鳥の白い羽が刺さっている
島が揚げた白旗に見え
地を呑み込むのはいいけれど
空まで海底に引き摺るのを
止してよと哀願するかのよう 

偉大なるポセイドンよ
三叉(さんさ)矛(ほこ)で地を突き
強烈な破壊力を島に向けて発揮したが
どんな罪を裁いたのだろうか
自分が創った世界の黄昏に
腹が立っていたのか
判断は正しかったのか
死と生が相克する 紡糸(ぼうし)を切ったのはなぜだ
あなたを憤慨させた 悪を懲らしめるためなのか
それとも 計り知れない孤独感をまぎらわし
単なる欲求不満を解消するためなのか 

の世界を司る神は
口をつぐんだまま
しかし 時間(とき)が経つにつれて
喜怒哀楽の激しいポセイドンは
反省し 自分が叩き壊した世界を
海底に復元することにした
そこに人間はおらず
理想を作り直した アトランティスは
再び 燦たる姿が栄え
黄金時代に蘇った 

群がった無数の鰯が描く
凱旋門をくぐると
異次元に吞み込まれる 

魔力に溢れる場所で
海中にも四季があり
珊瑚とイソギンチャクの森に
潜む妖精が 嫋(たお)やかな宴を張り
季移りを告げ知らせる 

ポセイドンが乗り込んだ 荷車を引っ張りながら
竜の落とし子の群れが 青いシャボン玉を吹き
それを楽譜代わりにして 人魚のオーケストラが
甘美な旋律を奏でる

未来のアトランティス

終章 

未来のアトランティスに変化(へんげ)した
ヴェネツィアの運命(さだめ)は?
海底の闇を破り 宝珠のように煌(きら)めくことか
ポセイドンが弄ぶ ただの愛玩になることか
しかし 海に葬られた秘密は
早晩明かされてしまうのだろう
もし その純然たる存在が
人間の鄙陋(ひろう)な目に発見されたら
杜撰(ずさん)な扱いにより 零落し兼ねない
汚らわしい指先で ポセイドンの宝冠に
触れるのに勇気が要るけれど
星明りに頼れない 烏滸(おこ)がましい人間よ
そんな卑劣な行為は 許されると思うのか
怒りに顔を歪(ゆが)めた 神々の不興を買ってしまったら
滄海(そうかい)劫火(こうか)となり 全世界が破滅するのに違いない
それは 愚昧な人間にふさわしい閉幕だろう 

そして 海も消えた 

 (2026/3/15)