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小人閑居為不善日記|ジョジョリオンは「繋がらない」――《ワイルド・スピード》と《ジョジョの奇妙な冒険》|noirse

ジョジョリオンは「繋がらない」――《ワイルド・スピード》と《ジョジョの奇妙な冒険》
Jojollion Doesn’t Connect――Fast & Furious and JoJo’s Bizarre Adventure

Text by noirse

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アメリカ同時多発テロ事件から20年が経った。自宅でニュースを見ていただけでも度肝を抜かれたし、それまでの常識が覆されたかのように呆然とするニューヨーク市民の顔は今でも印象に残っている。

当時よく「現実が映画を越えた」と言われた。その言い方自体は安直ではあるが、事件が映画界に与えた影響は確実にあった。テロを扱ったり飛行機を舞台にした映画が次々と公開延期。しばらくしてからは《ワールド・トレード・センター》(2006)や《ユナイテッド93》(2006)など事件を再現した作品が製作された。

間接的にはどうだろう。あくまでも印象の話だが、80年代から90年代にかけて隆盛を誇ったアクション映画の流行がテロ以降落ち着いて、代わって《ハリー・ポッター》シリーズ(2001-2011)や《ロード・オブ・ザ・リング》三部作(2001-2003)などファンタジー映画ブームが到来、潮目が変わったと思ったものだ。バイオレンスをウリにする作品よりも、空想の世界に連れて行ってくれるような映画が望まれたというところか。

もちろんこれは大雑把な見方で、アクション映画の後退には、看板俳優たちの年齢の問題など多々理由があるのだろう。また2002年には、テロ以降のアクション映画の基調を作ったと言ってもいい《ボーン・アイデンティティー》シリーズが開始、現在のマーベル作品の隆盛の契機にもなった《スパイダーマン》シリーズも登場し、アクション映画の新展開が始まったという側面もある。

けれど90年代までのアクション映画と、現在のそれとはやはりどこか違う。比べてみたいのは《ワイルド・スピード》。奇しくも一作目の公開はテロの3ヶ月前だった。初期はストリートレースを取り扱った映画だったが次第にド派手なアクション映画へ移行、20年経った今では、シリーズ作品として史上10位に喰い込むモンスターコンテンツへ成長した。

かつてのアクション映画も《ワイルド・スピード》シリーズも、何かにつけて世界の危機を救うというような話なのは変わらない。違うのは主人公の動機だ。《007》シリーズでのジェームズ・ボンドは世界平和のために身を捧げていた。《ターミネーター2》(1991)の主人公たちも人類の未来のために立ち向かった。《ランボー/怒りの脱出》(1985)や《ランボー3/怒りのアフガン》(1988)はアメリカ軍の捕虜を救出するというもの。《リーサル・ウェポン》(1989)や《ビバリーヒルズ・コップ》(1984)などの刑事ものには、法で裁けない悪を許さないといった義侠心がある。

シルヴェスター・スタローン、ブルース・ウィリス、メル・ギブソン、カート・ラッセル、チャック・ノリスなど、この頃のアクションスターには共和党支持者、もしくは共和党寄りの政治信条を持つ役者が多い。イーストウッドやシュワルツェネッガーは共和党の政治家として市長や知事まで務めた。レーガンからブッシュ政権時にかけてのアクション映画隆盛の背景には、彼らの政治信条も少なからず関係しているだろう。

税金は納めているし国への義務は果たしているのだから干渉するな。自分の身は自分で守るから放っといてくれ。共和党支持者にはこういった信条を持つ人が少なくない。自由主義と個人主義、場合によっては家族主義や自警主義、愛国主義が加わったのが、この頃のアクション映画を支える政治思想(というと大げさだが)だろうか。

《ワイルド・スピード》はどうか。主人公のドムは家族を何より大切にしており、妻や子に何かあれば身体を張って立ち向かうが、そうでなければ世界や国家の危機であろうと動くことはない。ドムも基本的には自由主義と個人主義、家族主義の持ち主だが、さらに徹底的な非干渉主義が顔を覗かせている。

イラク戦争の支持者が多かった理由は、その頃のアクション映画を支える信条と共通する点があったはずだ。けれど大量破壊兵器の痕跡は見つからず、リーマンショックも勃発して、アメリカは次第に疲弊していく。《ワイルド・スピード》シリーズの非干渉主義は、そうした変化を反映しているのではないだろうか。

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2021年は東日本大震災から10年の節目でもある。震災から2ヶ月後に連載が始まったマンガ《ジョジョリオン》の最終巻が先月発売された。荒木飛呂彦の人気シリーズ《ジョジョの奇妙な冒険》(1987~)の「第8部」に当たる作品だ。

《ジョジョ》はマンガにはめずらしい大河ドラマ形式で、章が改まるごとに登場人物も時代も舞台も変わる。ただし主人公は何らかのかたちで「ジョースター家」の血縁にあり、物語上もゆるやかな繋がりがある。

『ジョジョ』がマンガ界に与えた最大のインパクトは「特殊能力バトル」だろう。第3部からお目見えした「スタンド能力」は超能力の具現化で、スタンドを駆使したトリッキーな心理戦は後続のマンガ家に大きな影響を与えた。クセのある絵柄やホラー色の強い作風でも基調は「友情・努力・勝利」と呼ばれる少年ジャンプのカラーに基いていて、家族や仲間たちのために命を賭けて戦うジョジョたちの姿は、ちゃんと少年誌の王道を歩んでいた。

しかし5部の終盤から変化が訪れる。第6部の最後にジョースター家の戦いはパラレルワールドに突入、世界線がリセットされ、第7部は18世紀半ばの西部へ時代が戻っていった。その次に始まったのが《ジョジョリオン》だ。

舞台は現代の日本、M県S市杜王町。大震災によって現れた隆起物からある男が発見される。彼の身体にはジョースター家の血統であることを示す「星のアザ」があるが、記憶を失っていて何者なのかまったく分からない。ひとまず地元の名士・東方家に引き取られ、東方定助と名付けられる。

物語は東方家にかけられた呪いに重点を置いていく。東方家の長男は代々治療不可能な難病にかかることが定められている。奇病を治すための手がかりを巡る争いとなり、一歩外を出れば誰が敵でもおかしくないような状況に突入。さらに東方家内でもウラの読み合いが始まり、家の中でも疑心暗鬼で油断のならない局面に陥っていく。

《ジョジョ》シリーズは次のコマで何が起きるか予想がつかないサスペンスやスリルが魅力だが、仲間や家族が裏切ることはけっしてなかった。世間では家族間の不安や憎悪を描いた作品はありふれているが、荒木はそれだけはやらないと決めていたのだろう。《ジョジョリオン》ではその前提が崩れていく。

そのためか《ジョジョリオン》の評判はいいものばかりではない。少年ジャンプの熾烈な人気争いを潜り抜けてきた作者・荒木なら、それは予想できたことだろう。ならば彼は、何故こうした展開を選んだのだろうか。

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東方家の難病は、第5部以降のテーマ、「運命」と関連する。荒木が描きたいのは、たとえ運命が定まっていたとしても、それに抗う人間のありかただ。

これをあえて死の恐怖への抵抗としてみよう。《ジョジョ》は基本的にはバトルマンガなので、だいたいにおいて死の危険と隣り合わせにある。第4部だと殺人鬼・吉良吉影が死をもたらす存在だったが、吉良を打ち倒すことで死の恐怖から解放される。少年誌のマンガらしく、分かりやすい構図だ。しかし《ジョジョリオン》で東方家にもたらされる死の恐怖には、分かりやすい解決策がない。

定助たちの前に最後に立ちはだかる敵の能力は厄災が降りかかるというもので、これにはどんな人間でも太刀打ちできない。たとえば地震がそうで、遭遇すればどんな人間でも逃げようがない。災害のあとなら、国や地元の人々、友人たちが支えてくれることもあるかもしれない。しかし厄災や死など、避けようのない運命に直面し、死の恐怖に晒されたとき、究極的にはひとりで立ち向かうしかない。

東日本大震災のあと、「絆」という言葉がメディアに溢れた。何かと「繋がって」いたい、「繋がって」いるべきという心理、同時多発テロのあとの愛国心ムードにどこか似ている。

アクション映画を支える個人主義や自由主義、《ワイルド・スピード》の非干渉主義は、誰にも頼らないでいられる存在だと(時には無根拠に)信じられるから通用するものだ。一方、愛国主義や自警主義、家族主義は、他人と「繋がっている」と信じられることを前提にしている。しかし東方家のように家族とすら「繋がり」を見出せなかったり、定助のように自分を信じられない場合はどうだろう。

東方家にかけられた呪いには、最近話題の反出生主義、いわゆる「親ガチャ」を連想させる点がある。もし東方家の長男だったら、この家に生まれなければよかったと思うこともあるはずだ。《ジョジョリオン》の戦いとはつまるところ、病弱だったり、問題のある家庭に生まれついたり、地震や災害に遭遇したりといった、避けられない運命とどう対峙するかにある。

「繋がり」を希求する一方、世界各国で見られる右傾化、コロナ・ショックで強まる排他主義など、「繋がり」から除外される人たちを排除する気運が高まっている。「絆」という言葉からはどうしても、そこに加わらない、または加わることのできない人たちの存在を感じてしまう。大震災直後にも関わらず《ジョジョリオン》が「絆」や「繋がり」を志向しなかったのは、「絆」や「繋がり」を強く望んだ結果、社会不安をもたらした現在を鋭く照射していないだろうか。
《ワイルド・スピード》のように、けして裏切られることのない「繋がり」のもと、強い自己を誇る主人公が活躍する作品も、楽しむ分には悪くない。過去の《ジョジョ》もそうした価値観を共有していた。しかし災害が多く、長い不況やパンデミックで不安定な状況に晒されている今の日本で本当に求められている強さとは、《ジョジョリオン》のように、運命に対してどのように向き合っていけるのか、そういうことではないだろうか。

(2021/10/15)

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noirse
佐々木友輔氏との共著《人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅》発売中