反復される「ピッ」の彼方へ――『Have a Good Day!』における労働の音響と日常のポリフォニー|内野 儀
――『Have a Good Day!』における労働の音響と日常のポリフォニー|内野 儀
Beyond the Repeated “Beep”: The Acoustics of Labor and the Polyphony of the Everyday in Have a Good Day!
2026年9月25日 ロームシアター京都サウスホール
2026/9/25 Rohm Theatre Kyoto South Hall
Reviewed by 内野 儀 (UCHINO, Tadashi)
Photos by 井上嘉和(Yoshikazu Inoue)
〈スタッフ〉
コンセプト:ヴァイヴァ・グライニテ、リナ・ラペリテ、ルギーレ・バルズジュカイテ
台本:ヴァイヴァ・グライニテ
作曲・音楽監督:リナ・ラペリテ
演出・美術:ルギーレ・バルズジュカイテ
照明デザイン:エウゲニユス・サバリアウスカス
衣装デザイン:ダイヴァ・サマヤウスカイテ
音響エンジニア:アルーナス・ズユス
プロデューサー:オペラマニア
―
翻訳:木村文
上演言語:リトアニア語
日本語・英語字幕あり
〈上演作品〉
HAVE A GOOD DAY! 10人のレジ係、スーパーマーケットの音、ピアノのためのオペラ
蛍光灯のグリッドと「オペラ」の脱臼
舞台上には白い台が等間隔に並び、揃いの制服を着た10人の女性レジ係が座っている。舞台の端に控えるのは、警備員の制服を着たピアニストひとりである。頭上には冷ややかな蛍光灯が吊り下げられている。彼女たちは互いに視線を交わすことなく、手元のスキャナーに向き合っている。そこにあるのは、華麗な舞台装置でも劇的な身ぶりでもない。
リトアニアのアーティスト3人――ヴァイヴァ・グライニテ(台本)、リナ・ラペリテ(作曲・音楽監督)、ルギーレ・バルズジュカイテ(演出・美術)――による『Have a Good Day!』は、「10人のレジ係、スーパーマーケットの音、ピアノのためのオペラ」という副題を持つ約55分の作品である。2011年に現代オペラ・フェスティバル「NOA(New Opera Action)」で短縮版が、2013年に拡大版が初演された。オペラマニア(Operomanija)の制作で世界各地を巡演し、2026年9月25・26日のロームシアター京都公演が、その日本初演であった[i]
2014年1月、ニューヨークのプロトタイプ・フェスティバルで米国初演された際、現地の批評家の評価はきわめて高いものであった。スティーヴ・スミス(『ニューヨーク・タイムズ』)は「巧妙で魅力的、そして静かに価値転倒的」と書き、資本主義の罠や消費への執着を批判する含意があるとしても、それは繊細さと機知によって伝えられる、と続けた。アレックス・ロス(『ニューヨーカー』)の評は、「緊密に構成された多層的な創作であり、そのユーモアをメランコリーが貫いている」というものであった[ii]。
なぜレジ係という、古典的なオペラの主題からおよそ最も遠い存在を、あえて「オペラ」という形式に乗せたのであろうか。キッチュなパロディや風刺と見るだけでは、おそらく十分ではない。スーパーマーケットという身近な場所は、ここで、労働と消費の関係を聴き直すための舞台となっているのである。
環境音の通奏低音と定型句の規律
上演の底で音量を変えながらかなりの場面で鳴りつづけるのは、スキャナーの「ピッ」という電子音である。それは資本と商品の循環を刻むメトロノームのようでもあり、レジ係の身体を拘束する規律の音のようでもある。ラペリテの反復的な旋律は、この音に寄り添いながら上演のテンポを決めていく。
歌われる接客の言葉は、きわめて少ない。「Hello! Thank you! Have a good day!」。冒頭と終幕の合唱で、何度も繰り返される定型句である。日本語字幕はこれを「いらっしゃいませ!ありがとうございます!またのお越しを!」と訳していた。日本のレジの定型に合わせた訳である。英語字幕と並べてみれば、客の一日がよいものであるよう願う言葉が、再来店を求める言葉に置き換わっているわけである[iii]。
レジに並ぶとき、目の前の労働者を固有の歴史をもつ他者として意識することは少ない。アーリー・ラッセル・ホックシールドは、客室乗務員の笑顔を手がかりに、感情の表出を管理し、商品化する労働を「感情労働」と呼んだ[iv]。「Have a good day!」は、その最小の単位であるように聞こえる。
同じ合唱には、「満杯の膀胱」という句が歌い込まれている。グライニテによれば、その出発点は元パートナーの目撃談であった。パンをスキャンしていたレジ係の背中に管が付いていた、トイレに行かせてもらえないのではないか、というのである。ただし彼女はレジ係に取材しておらず、労働条件を直接告発する言葉も避けたという。代わりに歌われるのは、「できるなら木の洞に座って/全てから遠く離れてフクロウをつねりたい」(日本語字幕)という一節である。歌詞に出てくる保養地パランガは、今回の字幕では熱海であった[v]。
モノローグのポリフォニー――社会史の襞
レジ係たちに固有名はない。字幕に出る見出しは、「新人のアリア」「外国人のアリア」「シングルマザーのアリア」「ミス・ヘルシーのアリア」「移民の母のアリア」「美術批評家のアリア」などである。台本は短い断片として書かれたものであった。演出家がプロとアマチュアの合唱団、ジャズ・バンド、歌劇場からテクストに合う歌い手を探し、作曲家がそれぞれの声質と気質に合わせて旋律を書いた。歌い手は誰ひとり演技をしていない、とグライニテはいう[vi]。
「美術批評家のアリア」の女性は、芸術学の学位を得て、修士論文の一部を雑誌に載せもした。職業安定所に専門に合う求人はなく、紹介されたのは質屋、保険会社、老人ホームであった。同級生の一人は編集の仕事に就き、一人は自殺し、一人はベルリンでビデオアートをやっている。彼女は同僚のレジ係たちを見下しながら、来年こそ博士課程に応募すべきかと自問する。
「移民の母のアリア」の女性は、1か月後に英国へ飛ぶ予定である。息子はそこで自転車店を営み、母とはスカイプで話す。料理の下手な嫁のこと、一緒に来ない夫のことが、とりとめなく歌われる。ミス・ヘルシーは後半のアリアで「毎日がおくりもの!」と歌う。その前のアリアでは、ハーブが値上がりして自分では買えないとこぼしていた。自己管理の言説の明るさが、家計の事情と隣り合っているのである。
職場の暦と自分たちの暦が合わない、と歌うのは「外国人のアリア」の女性だ。店長は彼女の名前を発音できない。台本の英訳では、この場面の題は「少数民族の一員のアリア」である。国のなかで別の暦を生きる人を「外国人」とした日本語字幕からは、翻訳者の苦労が強く感じられる。
ここにある独白の背後にあるのは、1990年の独立回復、その後の市場経済化、2004年のEU加盟と西欧への出稼ぎ移民という社会史である。地域固有の歴史を踏まえて本作を読むべきことは、橋本裕介も指摘するところだ[vii]。とはいえ、独白が悲惨を訴えるメロドラマになることはない。笑いを誘う細部と乾いた言い回しが、歌をその手前でとどめているためである。
合唱がつくる分断と連帯
10人は視線も言葉も交わさない。それはドラマ的対話の不可能性であり、労働の現場の分断の空間化でもある。ハンス=ティース・レーマンの『ポストドラマ演劇』の語彙でいえば、心理的な対話が退き、声と身体の現前が前に出る舞台である。横堀応彦は、同書の「脱序列化」の原則から本作を読んでいる[viii]。
それでも歌詞のなかで、彼女たちは互いを話題にする。「身持ちの悪い女」は、ひと月たっても仕事を覚えない同僚に苛立つ。「美術批評家」は同僚を品定めする。「シングルマザーのアリア」のあとには、彼女の給料がバター、サワークリーム、離乳食、いちばん安い洗剤に消えていくさまを、三人称で数え上げる合唱が続く。向き合わないまま、互いの暮らしぶりは知っている。
合唱が個人の声を遮る場面もある。「移民の母のアリア」には、「晴れの日ビーチ特売!」「奇跡を信じますか?」といった広告の文句を連呼する合唱が割り込む。古代悲劇のコロスが共同体の声であり、近代オペラの合唱がしばしば群衆の感情を増幅する装置であったとすれば、ここでの合唱の一部は、個人の語りを中断させる売り場の声である。
ただし、10の声が重なる響きは、〈中断の暴力〉だけでは説明できない。歌い手の訓練歴は一様ではない。感情を抑えたミニマルな反復、調性がほとんど感じられないメロディ、さらには民謡風の歌い回しが、異なる声質を同じ機械的な拍のなかに束ねていく。指揮者なしに揃う声は、それでも均質ではない。ロラン・バルトのいう「声の肌理」、つまり歌う身体の手触りが、揃いの制服と定型句のすきまから聞こえてくるのだ[ix]。
反復する一日と消費の円環
上演は、スキャナーの音に続く子守唄から始まる。バターミルクは眠り、卵はカルシウムのパジャマを着て一列に並び、ヨーグルトは不眠症に悩む。歌い手は自動ドアの電源を切り、警備システムを立ち上げる。一日は、閉店後の夜から始まるのである。終盤の「給料日のコーラス」で、10人は「あなたが買ったもの」を買いに売り場へ行くと歌う。私の職場はあなたの日曜日であり、土曜日であり、と曜日を月曜日までさかのぼる。働いて、買う、と歌い終えると、冒頭の挨拶の合唱が戻ってくる。
観客は、正面から10人と向き合う位置に座る。歌詞の「あなた」が名指すのは、客席の私たちである。誰のどのような労働によって買い物が成り立つのか。私たちはその問いに、客として巻き込まれるのである。
2013年の拡大版初演から13年のあいだに、セルフレジは珍しいものではなくなった。バルズジュカイテは、リトアニアでは男性のレジ係が増え、10人の女性という設定はいまでは極端に見えるかもしれないと語る。グライニテは、いま書くならクィアの、ロボットの、更年期の症状を抱えた、戦争や気候危機で難民となったレジ係が登場したであろうという[x]。2021年のドイツでは、パンデミック下の配信上演が、レジ係が「日常のヒロイン」と意識されはじめた時期にふさわしい作品として受けとめられた[xi]。本作は、自動化による不可視化が進みきる前の、働く身体の記録としても読めるであろう。
結語に代えて――歌い返す身体
『Have a Good Day!』は、資本主義の打倒を叫ぶアジプロ劇ではない。労働者の悲哀を劇場で安全に消費させる作品でもない。10人の歌の材料は、挨拶、広告、商品名といった規律の側の言葉である。橋本裕介は、本作に「抵抗の身振り」を見ている[xii]。その身振りは、レジの律動をそのまま楽譜に書き換え、劇場を一時的に異質なポリフォニーの場へ変えるところにあるのではないか。
10人は犠牲者としてうなだれてはいない。明晰に、高い音楽的密度で歌い返すのである。劇場を出てスーパーのレジに並び、「ピッ」という音と「またのお越しを」を耳にする。その音は、上演の前とは少し違って聞こえる。定型句の背後にある声を、聴かなかったことにするのは、もう難しいはずである。
(2026/10/15)
<staff>
Concept and development: Vaiva Grainytė, Lina Lapelytė, and Rugilė Barzdžiukaitė
Librettist: Vaiva Grainytė
Composer and music director: Lina Lapelytė
Director and set designer: Rugilė Barzdžiukaitė
Lighting designer: Eugenijus Sabaliauskas
Costume designer: Daiva Samajauskaitė
Sound engineer: Arūnas Zujus
Producer: Operomanija
Translation into Japanese: Aya Kimura
Performed in Lithuanian with Japanese and English surtitles
註
[i] 2011年4月11日、ヴィリニュスの現代美術センター(CAC)で開催された第4回NOA(New Opera Action)フェスティバルにて短縮版初演。2013年9月28日、アーツ・プリンティング・ハウスで開催された第10回ヴィリニュス国際演劇祭Sirenosにて拡大版初演。制作はオペラマニア(Operomanija)。2026年9月25、26日のロームシアター京都公演は日本初演で、上演時間は約55分。オペラマニア公式作品ページ(https://operomanija.lt/en/repertoire/have-a-good-day/ )、プロトタイプ・フェスティバル公式アーカイブ(https://www.prototypefestival.org/shows/have-a-good-day )、ロームシアター京都公演ページ(https://rohmtheatrekyoto.jp/event/143711/ )を参照。
[ii] Steve Smith, The New York Times, January 17, 2014(“Clever, charming and quietly subversive. Whatever critique of capitalist entrapment and consumerist obsession might be implied is conveyed with subtlety and wit.”); Alex Ross, The New Yorker, February 3, 2014(“A tightly constructed, multi-layered creation, its humor pierced by melancholy.”)。いずれも作品公式サイト(https://haveagoodday.lt/ )掲載の抜粋による(引用者訳)。同サイトには、ハイディ・ウェイレソン(『ウォール・ストリート・ジャーナル』)の「日常の渦を想起させるミニマルな質感――芸術へと変容された凡庸さ」という評言も載る。映画作家ジョナス・メカスの評言は、京都公演公式ウェブサイトおよびチラシにも引用されている(“It’s like a mini masterpiece. It’s just nothing to take away, nothing to add – it’s very solid, very simple and very real.”)。
[iii] 本公演の日本語字幕(翻訳:木村文)および英語字幕による。横堀応彦も、このタイトルは日本語に訳しにくいと述べている。横堀応彦「『HAVE A GOOD DAY!』――フラットでミニマルな日常のオペラ」ロームシアター京都ウェブサイト、2026年7月3日(https://rohmtheatrekyoto.jp/archives/haveagoodday_column1/ )。
[iv] Arlie Russell Hochschild, The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling, University of California Press, 1983(石川准・室伏亜希訳『管理される心――感情が商品になるとき』世界思想社、2000年)。
[v] Vaiva Grainytė, “Have a Good Day!: An Opera for Ten Singing Cashiers, Supermarket Sounds, and Piano,” e-flux journal, no. 154, May 2025(https://www.e-flux.com/journal/154/667274/have-a-good-day-an-opera-for-ten-singing-cashiers-supermarket-sounds-and-piano )。
[vi] 同上。
[vii] 橋本裕介「リトアニア現代オペラ・パフォーマンス『HAVE A GOOD DAY!』に寄せて」ロームシアター京都ウェブサイト、2026年8月24日(https://rohmtheatrekyoto.jp/archives/haveagoodday_hashimoto/ )。橋本は、旧共産圏から自由主義経済へ移行した地域固有の歴史と地政学を作品解釈に織り込む必要を指摘している。
[viii] 横堀、前掲。ハンス=ティース・レーマン『ポストドラマ演劇』谷川道子ほか訳、同学社、2002年。
[ix] Roland Barthes, “Le grain de la voix,” Musique en jeu, no. 9, 1972(ロラン・バルト「声のきめ」『第三の意味――映像と演劇と音楽と』沢崎浩平訳、みすず書房、1984年/新装版1998年、191–194頁)。バルトは、伝達や表現に奉仕する歌の層を「フェノ・ソング」、言語の物質性のなかで意味が芽生える層を「ジェノ・ソング」と呼んだ。後者において言語と声が出会うところに聞こえる、歌う声のなかの身体が「きめ」である。
[x]「アーティスト・インタビュー ヴァイヴァ・グライニテ、リナ・ラペリテ、ルギーレ・バルズジュカイテ」聞き手:後藤孝典、翻訳:山口恵子、ロームシアター京都ウェブサイト、2026年9月14日(https://rohmtheatrekyoto.jp/archives/hgd_interview/ )。
[xi] Katrin Bettina Müller, “Die tägliche Wiederholung,” taz, May 5, 2021(第38回ハイデルベルク・シュテュッケマルクトでの配信上演評)(https://taz.de/38-Heidelberger-Stueckemarkt/!5765443/ )。
[xii] 橋本、前掲。
