三つ目の日記(2025年10月)|言水ヘリオ
三つ目の日記(2025年10月)
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) :Guest
2025年10月2日(木)
誰かが行った行為を、まるで自分がしたかのように記しているのをネット上で見つけて憤怒する。罵りのことばが頭に浮かんで消えない。
10月7日(火)
先月の日記で「見ている人に、なにかが生じる場合がある」と記した。今日、ある美術家の文章を読んでいて、作品とそれを見る人の「あいだ」になにかが生じる、という考えを知る。
10月13日(月)
新宿から高速バスで福島県の郡山へ。駅でそばとカレーを食べて夕方になる前にギャラリーに着く。中根秀夫の展示。「浜通り」。「反原発デモ」。「小さな花」。ケーキを食べてコーヒーを飲む。テーブルを囲む方々とすこし話す。キッチンの、流しの上の壁に、作者の身近な日常にあると思われるわすれな草の小さな写真がひとつかかっている。帰りも駅で食事して、新幹線で東京駅まで。
(*)(*2020年10月4日の日記)(*2022年4月11日同日、4月16日同日の日記)(*2023年11月27日の日記)(*2025年3月3日、3月4日、3月11日、3月14日、3月20日の日記)
10月14日(火)
田町へ。篠田優の映像を見る。長野県信濃美術館の解体前から解体中の様子がうつっている。小鳥が美術館の屋根にとまる時間や、美術館を前に人がその建物のスケッチをしている時間がある。解体が始まる。解体へと至る時間と、重機が美術館を解体している最中のなまなましい現場の時間が断続的に繰り返される。どちらもそのときの現在。それぞれの時間が流れている。解体最中の映像がリアルではあったが、映像における時間には前後がないように思えた。上映前のトークで、時間が直線的に進んでいくのではなく、層として重なっている、というような話があった。
(*2022年1月15日の日記)(*2023年3月16日の日記)(*2023年8月22日の日記)(*2024年4月3日、4月25日の日記)(*2024年8月24日の日記)(*2025年1月24日の日記)
10月17日(金)
地下鉄で小伝馬町へ。携帯の地図アプリをたよりにギャラリーまで歩く。3つの部屋で3つの展示が行われている。最後に入った部屋。藤井浩一朗の展示。暖色系の照明のなか、壁にはドローイングが、木を立ててつくられた台の上と床には木の彫刻作品が、それぞれ展示されている。会場をゆっくり何周も歩きまわる。この展示の異なる層へ入り込んでゆく。すこしずつではあるが、わたしと、作品とのあいだに生じてくるものがある。そうなれば、あとはもうここにいるだけでいい。
白っぽく、長細く薄く、片側が窪んでいる木。台の上で短い幹に屹立している。その様子が祭壇のように自分には見えている。窪んだ薄い木の彫刻を背に、不可視の精霊が依り集まっているかのようで、そのときが訪れれば風が鳴るだろう。
床に落ちている作品、棚に並んでいる作品を「よかったら持っていってください」とのこと。そうは言っても……と思い作者の声を聞き流していたのだが、帰り際、小さな木片をひとつ選んでハンカチに包んだ。そうすることをこの展示はもとめていたように思う。
帰宅。ハンカチをほどいて小さな木片をつまんで本棚の上に置いた。
10月20日(月)
荻窪へ。杉並公会堂小ホールでの「1938→現在へ 〜日本の5人の作曲家たち〜」。入場時、チケット代わりのQRコードを受付の人に見せると、「入場可能です」と言われる。この演奏会が行われる会場へわたしが入場することが「可能」であるとこの人は宣言した。さてどうしよう。
10月23日(木)
16時ころ起きる。早起き?したので、皮膚科の医院に行って薬をもらってから、初台へ。菅野まり子と川野芽生のコラボレーションの展示を見る。菅野は絵に川野の短歌も描いている。絵の漆黒に、追いかけても届くことのないことば。空に、湖に。絵は絵であることを超えて語る。「忘却術」というタイトルの付くこの展示。忘れ去ったとしても残っているこの痕はなに? その問いをどこに向ければいいだろう。
すぐ近くで別の展示を見る。川崎祐の写真展。「旧知の他人」の、記憶の場所にまつわることば。写真家はその場所を訪れて撮影する。写真はいずれも、屋外にいると思われる撮影者によりうつされた屋外の風景。空に樹木の上部がうつっている写真がある。隅には別の樹木の枝葉の部分がごくわずかにあり、その存在が示唆されている。四角におさまった空に樹木の写真を見て、いつか窓から見た風景の個人的な記憶を重ねてみたりする。展示されている作品は額装されており、写真の画面外の白紙部分と額装のマットとの隙間が1〜2ミリ程度にほぼ統一されている。写真のこのような額装においては、もうすこし余白があるか、または画面をすこし覆ってトリミングすることが多いように思う。紙の上に像を置くということ。枠をつけるということ。
10月27日(月)
眠るのが怖い。
10月30日(木)
近づくと、絵のなかに細い線が迷路のようになっている。線、なのだろうか、通路のようでもあり、ひび割れの跡のようでもある。迷路であるなら、目的地や出口に辿り着く道があるはずだが、この絵には、そういった終着点はなさそうであった。辿っていっても、すぐに分岐して曲がりくねり、先へと進むことをいつのまにか断念することとなる。張り巡らされた毛細血管を想起しても、これでは流れが滞り破裂するだろうと思った。行き先も中心もない。画面全体には、飛沫がはねて散らばりかかったような描画。隙間には隙間自体を開くような短い描線。絵から離れて眺めると、描かれた線は離散したかのように細かな点描にも見える。作品を前にしているこの体験がなにかわからない。それでも、作品とのやりとりが続く。
会場から来場者がいなくなり、作者とわたしだけになった短い時間。話を聞くことではなく、写真を撮らせてもらうことを選んで声をかける。それでよかったかどうかはわからない。脇嶋通の展示。タイトルには「Events and Windows」とある。
帰宅して写真を確認すると、斜めからのものばかりであった。絵だけではなく、この展示自体を空間としてうつしたかったのかもしれない。それにしても正面からも撮ればよかった。
〈写真掲載の展示〉
◆藤井浩一朗展 IMAGINE IN THE FOREST ─森の新たな再生─ 会場:K’s Gallery Room A 会期:2025年10月13日〜10月25日
◆脇嶋通展 ─Events and Windows─ 会場:ATELIER・K ART SPACE 会期:2025年10月21日〜11月1日
(2025/11/15)
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年にウェブサイトとして再開した『etc.』を展開中。https://tenrankai-etc.com/




