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三つ目の日記(2025年5月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2025年5月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

2025年5月1日(木)
きのう見た寺崎英子の写真のこと。案内状にも使われている、後ろに木が生えた草むらで女の子が手と手を前に握って首をややかしげひとりでポツンと立っている写真。会場で、コーヒーやお湯を飲みながら、いつの間にかその写真ばかり見ていた。そして、その左側にあった草むらだけがアップで写っている写真。ほぼ等間隔に一列に並んでいる額縁のなかで、それだけが少し離れて掛けられていた。その、ほかとは異なる隙間はなにか。そこに込められた、展示した者と撮影した者のやりとりに耳を澄ます。壁の鏡。テーブルのガラス。展示された写真が映り込んでいる。
写真集をつくってと遺されたフィルム。写真集は評判になり売り切れた。それで終わりだろうか。写真の展示は続いている。写真集には、この展示のタイトルには、記憶でも表現でもない「記録」ということばが選ばれ使われている。暮らしとともに、土地と自身とのあいだに写真機を構え、覗いてフィルムに残したこと。
2023年11月28日の日記)

 

5月10日(土)
新宿駅構内でそばを食べる。湘南新宿ラインの宇都宮行きに乗る。上下ジャージを着た高校生と思われる人が立ったまま縫いものをしている。小山駅に着く。両毛線に乗り換え。あしかがフラワーパーク駅で多くの人が降りる。その次の足利駅で下車する。一軒のギャラリーで展示を見る。
もう一軒、カフェ&ギャラリーに移動。「小島敏男展 彫刻・素描」。彫刻にも素描にも見られるのは、植物の細い枝と葉。大きな素描の前に立つ。対象を目で仔細に捉え、その輪郭を線にうつしていく作業だろうか。彫刻は、床に直接、または台座の上に、ときにテーブルの上に、置かれている。ある作品を見て、ふたつの精霊的存在が叶わない合一を希求して螺旋運動をしているように夢想してしまうのだが思い違いだろう。広い空間。グランドピアノや椅子、テーブル、印刷物なども目に入る。そのような環境で展示することに、作者が見出したなにかを感知しようとする。カレーライスを食べてアイスコーヒーを飲む。ホットコーヒーを飲む。作者にいくつか質問をする。世間話をする。知人が訪れる。4時間くらい経って閉店近く、その知人と一緒に東京方面へ帰る。
2020年10月1日の日記)

 

5月14日(水)
先週見た土方英俊展の作品のことを思い出す。アクリル絵の具をスポイトで一滴ずつ滴らして描いているという。画面はその絵の具で覆われている。集積は近寄れば凹凸に、離れるとしぼのように見える。乾く際に生じたと思われる気泡のような皺のようなものは奥から湧き出る開花のよう。コロナ禍に始めた描き方と聞いた。ライトゴールド。ディープゴールド。それらの混合。パールホワイト。メタリックブラック。シルバー。その他。ホワイトの作品の隣の壁にゴールドの作品があり、わずかに白に金が反映している。それぞれの単色が、認識されなくとも影響を与え合っているのではないか。支持体に直接触れずに描くということ。絵の具を垂らして描くパフォーマンスが思い浮かぶが、スポイトをつかった作者の描画は、もの静かに粛々と行われるのではないだろうか。だが、絵の具が滴下した場には、劇的な変化が起こっているだろう。作者は禅宗の僧侶でもある。作品を前にして光と太陽の話をしたかもしれない。

 

5月16日(金)
病院で採血。今日の人は指で一回軽く触れただけですぐに針を刺した。検査の結果は前回より改善していてすこし安心。ハンバーガーのチェーン店で食事して新小岩へ。展示の開始までまだ時間があり、時間を潰すためラーメンのチェーン店で食事する。
高橋武史の作品の前にいる。目を開放にして作品を視野に入れたままこの空間のなかにいるという状態。会場はビルの4階。ガラス窓から外の景色がよく見える。下には陸橋があるのだろうか、割と近くに自動車が走行している。自動車の音もよく聞こえるがうるさいというのとは違う。13時ころ。ふんだんに注ぐ外光。照明はほとんど点いていなかったのかもしれない。美術の展示専用の会場ではない場所。壁ではなく仮設の柱に設置されたボード上に、あるいは柱に、また、仮設のテーブルの上に斜めに設置されたボード上に、作品がある。床に置かれていた作品をひとつ見過ごしてしまっていたことに気づく。床の上のブロックの上にも額に入った一点がある。
作品の横に、無作為に絵の具の置かれた跡のある紙片がテープで貼って展示されていた。その紙の上で色をつくったパレット代わりのようなものだという。作品制作の過程で生じたものだが、「本当はこっちを描きたかったのではないかと思ってしまうことがあった」と聞き、たしかに、つくっているもののかたわらで起こってくるものごとがあり、その端っこの部分にも宿ることはあるように思えた。表と見えることがあり裏と見えることがある。表も裏もない。
紙に鉛筆を置いたときの感触。鉛筆の芯の先は今後どちらへ向かうか。それを尋ねるとしたら誰にだろうか。芯の先の移動によりなにが呼び覚まされるのか。そこに込めたことで逆に溢れ出してしまうことはなにか。
会場を出て時刻を確認すると15時すこし前。今日は早起きして陽を浴びることができためったにない日となった。

 

5月21日(水)
京橋の立ち食いそば屋で食事してから、森田順子、スザンナ・ニーデラー、髙馬浩(2022年6月17日の日記)(2024年6月13日の日記)、平原辰夫2023年4月27日の日記)の各氏ほかの展示を巡る。森田順子の絵画作品では、絵の具を乗せ、絵の具を剝し、単純なものをどう描くか、ということが考えられ実践されていた。
夕方帰宅して宅配物を受け取り、食事をしに行くか迷ってやめてインスタントのうどんとサラダを食べる。届いていたファクスを読み、手がけている本の制作が進んでいることを確認する。昔発行していた雑誌『etc.』を美術館の図書室で所蔵してもらう件も進展あり。ホットケーキを焼く。

 

5月22日(木)
しばらく眠ったのち、「絵が描きたい」と起きた人へ。どくだみの花が満開です。

 

5月24日(土)
竹堂史嗣の展示。判別する十分な時間がないほど高速にあらわれてはきえてゆく、おびただしい量の画像によるスライド映像。まばたきをしたらその一瞬を逃してしまう。それは、まばたきをしているあいだにも画像が表示されている時間があったということにもなる。蓄積された場面が噴出し、ときに見るものに残像を残し、上書きしてゆくように、残像が残ったということを残す。スライド映像を通過するように、古い映画の場面のような映像が透けている。モニターからの光の明滅を受けてそこに落ちてゆくような感覚になる。会場の一番広い壁面には、更紙にプリントされた写真が隙間なく展示されている。その上に額に収められた、いくつもの像が重ねられたと思われる写真が4点、壁面の写真が隠れてしまうことなど構わないかのように展示されている。
ずっと、音が聞こえている。
会場に掲示されていた作者の文章に、地下鉄都営大江戸線の長いエスカレーターのことが書かれていた。帰宅途中、たまたま大江戸線のエスカレーターに乗ることになり、この展示が重なる。風景は、展示作品のような高速スライドではなく、幾重に透けているように見えもしない。それでも脳裏には、見てきた作品を経た、自分固有の風景が流れていたのではなかっただろうか。

 

5月27日(火)
印刷会社で、著者と一緒に本に使用する用紙の見本を見せてもらう。候補の用紙は廃番となっているようで入手できるかどうかは不明。第二候補を考える。
駅へ戻る途中に大きな寺院があり、著者がお参りすることを提案。手を合わせて「絵が描きたい」人のことを二人で思う。寺院の隣にあった広い公園のベンチに座って、缶コーヒーとどら焼きを飲み食いしながら世間話をする。
地下鉄に乗り、著者と別れて新宿三丁目駅で下車。サードディストリクトギャラリーで「篠原宏明写真展 new horizon」を見る。正方形の大きなモノクロ写真。上部に空、下部に地面。空は暗い。地面はもっと暗く、土と岩だけが広がっている。地面の向こうにその向こうがのぞいている場合がある。空からの大気が介在していたりもする。この光景をどう形容すればいいだろう。荒涼ということばが浮かんだのだが、違うような気がしてそのことばは消えた。もっと静かだ。
そのような写真が6点並んでいる。なかに、空に小さな円形の光を認めることができるひとつの写真がある。
景色は、空と地面に分断されているのだろうか。とり囲む景色としてただそこに広がっているのではないだろうか。でも、分たれたように見えている。地平線。線はあるだろうか。地面によって空が隠されその境界を人は線と言っている。
誰もいなくなり、長い椅子に腰掛ける。ほぼ目の高さに写真がある。白黒に変換された平面の上で、空は、地面は、続いているだろうか。

 

〈写真掲載の展示〉
細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム 会場:トトノエル gallery cafe 会期:2025年3月23日〜4月30日
小島敏男展 彫刻・素描 会場:artspace & café 会期:2025年4月23日〜5月11日
土方英俊展 会場:Gallery Q 会期:2025年5月5日〜5月10日
◆高橋武史個展 〜まうしろ〜 会場:Gallery & Space TATSUMI 会期:2025年5月16日〜5月18日
You’re a Buffer Here: Emission 竹堂史嗣写真展 会場:Alt_Medium 会期:2025年5月16日〜5月28日
篠原宏明写真展 new horizon 会場:サードディストリクトギャラリー 会期:2025年5月20日〜6月1日

(2025/6/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年にウェブサイトとして再開した『etc.』を展開中。https://tenrankai-etc.com/