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プロムナード|韓国ソウル旅行記(あるいは少女たちの「かわいい」景福宮)|西村紗知

韓国ソウル旅行記(あるいは少女たちの「かわいい」景福宮)

Text by 西村紗知(Sachi Nishimura)

今年のGWは韓国に旅行に行こうと思い立ったのは、GWまで1ヶ月を切った頃だった。直前での航空券購入に加え、初めての渡韓で現地の様子がわからないから安宿はやめとこうと考えて宿泊先を選んでいるうちに、旅行費用は否応なしにかさんでいった。
TikTokには、若い女性向けにソウルの観光情報をまとめた投稿があふれている。最初こそブックマークして見ていたが、すぐに嫌になった。映像を見ていると、それだけで脳のキャパシティを使用してしまい、この情報を旅行計画に組み入れるほうにまで頭が回らない。

AREX車内

成田空港から仁川(インチョン)国際空港までおよそ2時間半。空港に着いたら「AREX」という空港鉄道に乗ってソウル駅へ向かう。AREXの車内前方には二つの大きめのモニターがあり、そこには天気予報、観光情報、ドラマの番宣、今日の献立など、夕方のワイドショーよろしく生活情報が流れていた。
その中に独島(竹島)の領有権を主張するVTRが紛れ込んでいる。そのVTRでは、「History knows the truth. 」というスローガンののち、日韓両国の古い資料を提示することでもって、どちらの資料に基づいてもやはり独島の領有権が韓国のほうにあるのは明らかだ、といった具合の主張がなされているのだった。なるほど、「true history」とか「historical truth」なんて言わないのだな、と思うと同時に、その頑なさに不謹慎ながらちょっぴり笑いが込み上げそうになる。
韓国に到着した実感が急にこみ上げ、感慨もひとしおだった。

BORNTOSTANDOUT 店内その1

乙支路入口(ウルチロイック)駅の近くに宿をとり、この駅から地下鉄で移動してソウル市内の観光地を巡った。
屋台が多く出ており、夜中12時を回っても観光客で賑わっていた明洞(ミョンドン)。国立現代美術館があり、多くのギャラリーが集まっていて、美意識の高いカフェや小売店が立ち並ぶ安国(アングク)・仁寺洞(インサドン)エリア。それから、ドラマ『梨泰院クラス』で一躍有名となった梨泰院(イテウォン)エリアにも行ったがここは大使館が多く、瀟洒な高級住宅街であった。梨泰院エリアにはサムスン財団が経営するリーム美術館があり、美術館周辺にはフレグランスや雑貨を取り扱った、外観からではぱっと見てジャンルのわからないハイセンスな店が多い。代官山で過ごしているようで気後れしてしまったが、どこの店にも客が入っていた。
例えば、「WHO FUCKIN’CARES? 」というスローガンが書かれた真っ赤な建物がリーム美術館の側にある。なんとなく惹かれて入って行ったそこは、フレグランスブランド・BORNTOSTANDOUTの店舗だったことを後から調べて知る。店内はさながら個展のよう。朝鮮時代の白磁など、韓国の伝統的な素材を使用しつつ現代的なメッセージを込めた日用品が並ぶ。「hikiki……komori」(おそらく日本語の「引きこもり」)の文字が入った皿が印象的だった。伝統的な素材を用いつつ、伝統的な思想(例えば儒教であるとか)への反抗心をクリエイティブの根幹に据えているのがユニークだ。しかもその反抗心の参照先の一つとして、日本語を採用しているのが興味深い。

BORNTOSTANDOUT 店内その2

 

onionでの購入品

どの場所も時間帯に関わらず人が多かった。欧米、日本、アジア諸国など、人口の比率としてはあまり偏りなく、多くの土地から人が集まっているようだった。それに加えて韓国語話者も多かった印象だ。
なぜかソウルでは、ベーカリーカフェという業務形態の店を多く見かける。安国にあるonionという、韓国旅行情報を発信するインフルエンサーがよく紹介しているベーカリーカフェに寄り、塩パン、ヤンニョムソースのかかったソーセージロール、それから看板メニューだという粉砂糖がたっぷりのったクグロフのようなものを食べた。韓国ではコーヒーと言えばアイス・アメリカーノが定番と聞いていたから、これも注文した。どれも美味しかったがパンを3つも注文したからおよそ18000ウォンも使ってしまった。

onion

ここは多くの、さまざまな土地から来たであろう観光客で繁盛していた。古民家をリノベーションした店舗で、客の多さに比して飲食スペースが少なかったため、いろいろな土地からやってきた人々と外の飲食スペースを譲り合い、パンめがけて飛んでくるドバトをともに追い払ったものだった。

明洞の屋台が密集する地帯は、人々の歩みもゆっくりになるため、休日の竹下通りに匹敵する混み具合であった。混み具合で言えば、国立現代美術館、リーム美術館もなかなかのものだった。これらの美術館の企画展では、いわゆる現代アート作家の個展が開かれていた。
国立現代美術館では、ロン・ミュエックの韓国初となる個展が開催されていた。ハイパーリアリズムと呼ばれる、サイズの大小さまざまな、人間を象ったインスタレーション作品が展示されていた。点数が少なかったこともあり、一つの作品に多くの人が群がるため、なかなか落ち着いて鑑賞できなかった。
リーム美術館のほうは、ピエール・ユイゲの「Liminal」と題された個展が開催され、こちらはアジア初の個展だったとのこと。真っ暗闇の空間と、薄暗い空間と、二つのフロアにそれぞれ映像作品とインスタレーション作品とが配置されていた。映像作品は、アルゴリズムでその場で生成される映像だったようで、つまり始まりも終わりもないので、いつまで見たものか、と思えば人がどんどん溜まっていく。リミナルなものと言えば、2010年代後半からインターネット上で「リミナルスペース」と呼ばれる、blenderで作ったようなCGが依然として流行しているのであるから、個展のテーマ自体にそこまで先進性を感じることはなかった。だが、いつ終わるともない映像はついつい見入ってしまうものだった。

COYSEIO店内 その1

COYSEIO店内 その2

今回ひとつだけ、事前に是非見に行こうと決めていたものがあった。若者の街である、弘大(ホンデ)・聖水(ソンス)エリアにある、COYSEIOの実店舗である。
COYSEIOとは韓国発の若い女性向けファッションブランド。私がこれを知ったのは、今年の3月下旬のこと。この時期に渋谷PARCOにて国内初のポップアップストアが開催され、会場の写真が私のTikTokのタイムラインに流れてきたのであった。
今季コレクションのアイテムのうち、綿麻素材でできた深緑色のチェックのティアードスカートがある。私はこれを見て、なんてかわいいのだろう、私があと20歳若く10kg体重が軽ければ買っていたであろうに、と思った。
それからすぐ、確かにこれらは今から20年前に、私が地元で見たものにどうも似ている、と気がついた。ジャスコ(イオンではない)やビブレ(サティですらない)の、テナントに入ったファッションブランド、あるいは「婦人服売り場」で見たような気がする。
けれども、実店舗で実際にその商品をよく見てみると、シルエットと生地のカッティングがとても凝っているのがわかる。日本にかつてあった大量生産品にイメージの上ではどことなく類似しているのと同時に、ファッションとしてかなり高度に形作られていることが実感できた。
「Y2Kリバイバル」や「平成女児」といったキーワードが、少し前から日本のファッションに関してよく聞かれる。2000年代や1990年代への憧れを日本の10代たちが本当に抱いているのかどうかはわからないが、彼らは韓国の若者の姿を介して自国の過去に憧れているのだろう。
私はCOYSEIOの洋服を見ていると、かつて私が好きだったものを思い出す。店頭に置かれていた真っ赤なトラックジャケット、これに縫い付けられた綿のレースを見て、私は、自分の手芸箱の奥に似たようなレースをストックしていたことを思い返す。それに、ティアードスカートなら自分で作ったことがあることだって、すっかり忘却していた。
COYSEIOのセンスは、単にハンドメイドの野暮ったい感じを越え出ている。小花柄やチェック柄の生地で誂えられたクッションが固めて置いてある店の一角は、自宅のような雰囲気というより何かインスタレーションのようであったし、香水が置かれている棚は生地の端切れで飾られ、なんと言えばよいか、例えるなら新宿眼科画廊で開かれる若手女性作家の展示のような趣である。
韓国の今現在のファッションの潮流の一つに、「日本感性」と呼ばれるものがあるという。COYSEIOがここに分類されるかどうかはわからないが、日本のカルチャーに参照点を多く持っていることはわかる。岩井俊二の映画のような憂鬱で儚げな雰囲気を纏っている。店先に座っている女の子の等身大フィギュアを見て、私はどこかで見かけたような気になって、なぜだか恋愛シュミレーションゲーム「ラブプラス」を思い出したりするのだった。「リリィ・シュシュ」と「ギャルゲー」が総合されたような世界像だと思えば、しかもこの世界像が男性からの目線をもはや撥ね除け、女の子たちの心情に訴えるところの強いものならば、そこには単なるノスタルジーを越えた感慨がある。
それと、そもそも全体としてはストリートファッションの文脈にある。モノクロームやアースカラーの、ニットキャップやカーゴパンツが店頭に並ぶ。弘大は原宿によく似た街である。COYSEIOの店舗は賑やかなメインストリートより一本外れたところにあったので、地理的に言っても「裏原系」ファッションなのだなと思い、妙に感心したものだった。

COYSEIO外観

BUTTER FAMILY

ILLUSTER-CAFÉ

他方で、もちろん観光地ばかり見て回ったせいもあるが、日本製のコンテンツは、この土地では周到に遠ざけられている印象をもった。
二次元美少女を、「萌え絵」と呼ばれうるようなものをほとんど見かけなかった。子供や、若い女性向けのキャラクター商品の店なら多く見かけた。カバンに付けるような小さなぬいぐるみを多数揃えたキャラクターグッズ店は、どのショッピングエリアにもある。それらの店ではクロミやハローキティといったサンリオの人気キャラクターや、ちいかわなど日本でも今現在高い人気を誇るキャラクターのアイテムが取り揃えてあるが、なぜかそれらに匹敵するほどに「クレヨンしんちゃん」の人気が根強い。
その一方で、LINE FRIENDS、ジャンマンルーピーなどの韓国発のキャラクターのプッシュぶりには目を見張るものがあった。明洞にはBUTTER FAMILYという韓国発キャラクターシリーズのフラッグシップストアがある。この店舗は3階建てのフロアのまるごとをキャラクターグッズが占め、内装も凝っていた。サンリオのキャラクターは3階にまとめられていて、どこか追いやられていたようにも見受けられた。
弘大・上水エリアで、何らかの美少女表象を見かけるくらいだった。メイドカフェが2、3あり、『推しの子』ののぼりが通りに立っているのを見た。店名を失念してしまったが、「ペンギンカフェ」という名の喫茶店の横に、いわゆる「一番くじ」など日本のキャラクターグッズを扱う店があり、オタクっぽい風貌の人を見かけたのはそこくらいだった。同じエリアに、『怪盗セイント・テール』ポップアップカフェが開催されているのを見たが、午前中の開店直後だったためか閑散としていた。
他にも、東大門(トンデムン)にあるヒュンダイ・現代シティアウトレットという巨大なファッションビルにて、あるフロアにILLUSTER-CAFÉといういわゆる「絵師」と呼ばれる類のイラストレーターの絵が展示されたカフェがあった。ここも、そもそもこのビル自体がショッピングを楽しみたい海外観光客向けであって、客層のミスマッチもあるのだろうが、客入りは寂しいものだった。

話は尽きないが、景福宮での経験は最も印象深いものだった。
花崗岩がところどころ露出した北岳山を借景としたような、風光明媚な王宮の敷地内を散策していると、少なからぬ人がパジチョゴリやチマチョゴリなどの、いわゆる韓服を着用しているのが目に入る。調べると、どうやらそれを着ていると入場料が無料になるらしい。意外だったのは、飽くまで体感での印象だが、韓服を着用している人々の多くが韓国語話者だったことである。
ナショナリズムなのだろうか、などと思いつつ敷地内の建物を見て回った。平屋の木造建築をぼんやり眺めて、それから解説パネルを読んでいたところ、これは坤寧閤という明成皇后の居宅で、1895年の乙未事変のまさに現場となった場所だと知った。
解説パネルの「1895年2月に勃発した日清戦争以降、日本は満州まで侵攻し、朝鮮王室はロシアと手を組み、日本を国内から撤退させようと努めた。こうした状況下で日本の軍部は、王室を圧迫する手がかりをつくろうと、10月8日未明、民間人に扮した日本の将校たちが暴徒とともに乾清宮に乱入し、王妃を殺害した。」というところまで読んで、私はおもむろに周囲を見渡して、いつの間にか日本語話者がいなくなっていることに気が付き、動揺し始めた。ここは、日本人が気楽に足を踏み入れてよい場所ではない、そもそもやはり韓国は、そんな気楽に旅行してよい土地ではないのではないか、と今更思い、人知れずうろたえていたところ、チマチョゴリを着た二人の女の子の姿が視界に入ってきた。
そのチマチョゴリは、今っぽいペールカラーで、金や銀の刺繍が施されてたいへんかわいい。彼女らは髪の毛もセットして、ラインストーンのたくさんついたバレッタが輝きを放っていた。見ていると、片方の女の子が坤寧閤の縁側にちょこんと座った。それからスカートの裾を手で持ったりしてポージングし、もう片方の女の子に写真を撮ってもらっていた。それから交代して、一通り写真を撮り終えたらしい彼女らは、笑いながらどこかへ行ってしまった。
完全に虚をつかれてしばし茫然としていた。彼女らにとってここは、もはや歴史の悲劇に思いを巡らせる場所ではなく、単なる「映えスポット」なのである。
他にも、池に浮かぶ香遠亭という東屋を背に写真を撮っている女の子たちもいた。あの、別にあなたたちの「かわいい」写真の背景素材にするために、あなたたちの国の大人が、この景福宮一帯を復元したり、維持管理しているわけじゃないのよ、などと言いたい気持ちになったが、同時にほんの少し救われたのも事実である。
私は、「かわいい」文化の最高かつ最悪の効能を、お隣の国で目の当たりにしたのだった。

(2025/6/15)