ベトナム便り|~今をときめく音楽リアリティ番組|加納遥香
ベトナム便り ~今をときめく音楽リアリティ番組
Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh)
今年も暑い季節がやってきた。ベトナムでは、南部や中部では年中暑く雨季と乾季の2つの季節があるのだが、ハノイが位置する北部には一応四季がある。「一応」というのは、やはり夏が長く、心地よい春と秋は一瞬で過ぎ去り、じめっとした寒さが身に染みる冬も短いからなのだが、とはいっても四季がある。今の時期は、夏のはじまりが声高に告げられる時期で、どんどんと気温が高くなり、青空が広がる日も多くなり、日差しも強くなっていく。
先月号では、4月30日に「南部解放」記念が盛大に祝われたことを紹介した。その際、「南部解放」という言葉を断りなく使ってしまったのだが、当然のことながらこれは、革命勢力側の考え方に基づく表現である。南ベトナムやアメリカ側から見れば、4月30日は「サイゴン陥落」の日であって「解放」ではないことは、改めて述べておきたい。
5月には、「建国の父」ホー・チ・ミンの誕生日(1890年5月19日)が祝われ、いつものように、町中には看板が出没した。とはいえこの日は祝日ではなく、4月30日に続く国家の祝日として待ち構えている記念日は、9月2日である。この日はホー・チ・ミンが、19世紀後半以降統治していたフランスと、第二次世界大戦期にベトナムを占領していた日本からの独立、そしてベトナム民主共和国の建国を宣言した日である。親日度が極めて高い国とはいえ、祝賀ムードに満ちるこの日に日本人としてどう向き合うべきなのか、昨年に引き続き今年も考えさせられる。今年は80周年という節目の年であり、ホーチミン市で行われた4月30日のイベントに劣らない(あるいはそれよりも)盛大な祝賀式典、イベントがハノイで開催されることであろう。
毎年設置される、ホー・チ・ミンの誕生日を祝う看板。
左は2024年、右は2025年のもの。(筆者撮影)
先月号で映画「トンネル」を紹介したことに絡めて言えば、この作品が「南部解放」記念日に合わせて作られたのに続き、9月2日に向けては、ベトナム人民軍映画社が映画「赤い雨(Mửa Đỏ)」を制作しているという。これは、ベトナム戦争のさなかの1972年夏の81日間の戦闘、爆撃で壊滅した、中部クアンチの城塞を舞台とした作品で、建国記念映画だからと言って1945年の出来事を題材とするわけではないようだ。予告動画を見るかぎり痛々しい場面が多そうなのだが、どのような映画なのかは注目しておこうと思う。
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さて、映画といえば、ある人気音楽番組の記録映画が5月16日に公開されたので、観に行ってみた。映画のタイトルは「炎の雨:兄は幾多の苦難を乗り越える(MƯA LỬA: Anh trai vượt ngàn chông gai)」。サブタイトルの「Anh trai vượt ngàn chông gai」(以下、ATVNCG)は元となったテレビ番組のタイトルで、2024年にベトナムの女性たちのあいだで爆発的に流行った音楽リアリティ番組である。
Anh trai vượt ngàn chông gaiのロゴ(出典:Wikipedia)
テレビ番組では、最年長で1973年生まれ、最年少で1995年生まれの33名の男性の歌手や俳優が出演する。彼らは番組の中で「アインタイ(anh tài、直訳すると、才能あるお兄さん)」と呼ばれている。アインタイたちが一堂に会し、番組が設定する様々なルールにしたがって、個人やグループで音楽パフォーマンスを披露。会場にいる観客が採点し、一部の出演者は途中で脱落する。2024年6月から10月にかけて全15回放映され、シーズン完結後には、番組を通して披露されたパフォーマンスを集めた屋外ライブが何度か開催されている。
私がこの番組を知り、関心を持ったきっかけは、昨年の後半、所属の異なるベトナム人女性3名とそれぞれやりとりをしているときのことだった。3名とも別のコミュニティの知人なのだが、3名ともが同じATVNCGのコンサートに行くということを知り、なんだこの現象は!と思ったのである。テレビ番組は一話につき3時間程度あり、はじめの数話しか視聴できていなかったのだが、今回映画が公開されるということで観に行ってみた。
映画では、テレビ番組の展開をたどった後、実際に実施された屋外コンサートのハイライトが放映された。私が映画を観に行ったのは平日の夜で、思ったほど観客はおらず、若い女性や女性の親子連れなどが多少いる程度であったが、観客たちは出演者の言動に笑ったり、音楽に合わせて身体を揺らしたりと、楽しんでいる様子がうかがえた。また、映像に記録された屋外コンサートの規模と観客の熱狂は想像を絶するもので、映画館で観ただけでもすっかり圧倒されてしまった。2025年6月中旬にもハノイでコンサートが予定されており、もちろんチケットは完売である。
番組のなかでアインタイたちが披露するのは、基本的には既存の歌のカバーやアレンジで、お題として与えられる曲はポップスが中心であるものの、なかには昔の歌謡曲や民謡なども含まれている。民謡の一例を挙げると、第一ラウンドで3人から成るグループが披露した北部民謡「米太鼓(Trống cơm)」がある。民謡をそのままの旋律でリズミカルに歌う部分に加え、その場面へと自然に誘う冒頭のポップ調の歌と演技、さらに伝統的な歌唱法によるソロ、ラップやロック風の音楽などがあり、元の民謡を核とした印象的なパフォーマンスを披露した。
メンバーの一人は、1973年生まれの伝統歌劇チェオの役者で、2024年末から軍隊チェオ団の団長を務めるトゥ・ロン(Tự Long)。パフォーマンス後の舞台上では、民謡を若い世代に継承していく大切さを語るシーンもあった。政治性の高い地位に就いており、同時に伝統芸能において実力派の人物がこのようなエンタメ音楽番組に出演し、奥の深い歌声を披露し、若者たちから歓声を浴びているというのは、なかなか興味深い。また、1994年生まれの人気歌手スビン(Soobin)が奏でるベトナムの一絃琴の見せ所もある。スビンの父親は民族楽器の名手であり、スビンも幼いころからダンバウを習っていたという。ダンバウはすべてハーモニクスで音を出す仕組みのため、もともと音が非常に小さく、伝統楽器としてもエレキ化が早期から進んでいた楽器だが、今回はそのエレキ感を最大限に活かした演奏が披露され、終盤のクライマックスを作り出した。
以前紹介した歌「バックブリン(Bắc Bling)」もそうだが、ポップカルチャーと伝統芸能が接近し、型にはまることなく融合することで、音楽の新たな境地を生みだしているといえるだろう。
以下のYoutubeは、ATVNCGのなかで取りあげられた曲のうち、制作会社が「ベトナム文化の色濃い演目」を集めてアップした動画で、1曲目に「米太鼓」が収録されている。そのほか、軍隊の冬用の防寒ベストを主題とした1946年の歌曲「冬の服(Áo mùa đông)」(2曲目、1946年作曲)、ベトナムの故郷の美しさを歌いあげるノリのよい歌曲「ベトナム一周(Một vòng Việt Nam / Around Vietnam)」(3曲目、2023年作曲)、日本でも上映された映画「ベトナムを懐う」のテーマソングである南部歌謡「夜鼓懐郎(Dạ Cổ Hoài Lang)」(7曲目、1919年作曲)なども、この動画に含まれている。
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女性を中心としてベトナムの人びとを熱狂させる、エンタメ×音楽のリアリティ番組。実はオリジナルは、中国のMango TVが制作した番組「Call Me by Fire」にある。株式会社YEAH1グループというベトナムの会社がこの番組の版権を購入してベトナム版をつくり、ベトナム国営放送(VTV)で放送されたのである。同社はこの番組制作に先立ち、女性歌手、俳優、モデルを集めた中国番組「Sister Who Make Waves」のベトナム版「美しい姉が風を切って波を分ける(Chị đẹp đạo gió rẽ sóng)」(2023年10月~2024年2月)でも成功を収めている。中国のドラマは韓国と並んで人気が高く、多くの作品がベトナムに流入していることは知っていたが、このようなエンタメ番組もそうなのかと驚かされた。
さらに興味深いのは、2024年の同じ時期に、VieChannel株式会社によってベトナムオリジナルの類似する音楽リアリティ番組「お兄さん、こんにちは!(Anh trai “say hi”)」が制作され、ATVNCGと並行して放映されたことだ。こちらの番組も、グループに分かれてパフォーマンス対決し、ライブコンサートが開催されるというもの。ただしこちらに出演するのは皆歌手で、「アインチャイ(anh trai、お兄さん)」と呼ばれ、アインタイに比べて若い世代で、芸能歴も比較的浅い。また、彼らが披露する作品はいずれもこの番組のために新しく作曲されるなど、さまざまな点でATVGCGとは差別化されている。
Anh trai “say hi”のロゴ(出典:Wikipedia)
似ているけれど差別化された2つの音楽番組が並行して放映されている状況こそが、エンタメ界を盛り上げている印象を受けるが、番組の輸入や国産に関して政治的、経済的な動きが背後にあるようにも感じられる。ベトナムのエンタメ業界の奥深さを目の当たりにしている夏のはじまりである。
(2025/6/15)
*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。
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プロフィール
加納遥香( Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。