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ベトナム便り|~南部解放50周年と映画「トンネル:暗闇の中の太陽」|加納遥香

ベトナム便り ~南部解放50周年と映画「トンネル:暗闇の中の太陽」

Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh): Guest  

2025年4月30日は、解放戦線の戦車がベトナム共和国(南ベトナム)の首都サイゴンの大統領官邸に突入してサイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結してから50年を迎えた日であった。ホーチミン市(旧サイゴン)では、4月30日に大規模な記念式典・パレードが開催され、テレビで生中継もされた。この日は国の祝日であり、私のいる首都ハノイの街中でもにぎやかな祝賀ムードが街を覆った。また、この日を迎える前の4月頭くらいから、街中に赤地に黄色の星の国旗がはためきはじめ、公的なものから民間のものまで、国家統一を祝うイベントが多く開催されていた。 


4月30日を控えたハノイの街中の様子(2025年4月、筆者撮影) 

その1つが、4月4日にベトナム全土で公開された、ベトナム戦争映画「トンネル:暗闇の中の太陽(Đa Đo: Mt tri trong bóng ti / The Tunnel: Sun in the Dark)」である。かつては政府主導で数多く作られていた戦争映画だが、この映画は、政府が後援、協力、検閲しているとはいえ、民間主体で作られた作品である。この作品を手がけた1968年生まれの映画監督ブイ・タク・チュエンは、これまでに4つの長編映画を作ってきた。このうち長編デビュー作の「癒された土地」はベトナム戦争後の南ベトナムの帰還兵とその家族を描き、国内で高く評価されたというが(坂本 2019: 118)、「トンネル」は戦争そのものを題材とした、彼の初めての長編作品である。かなり話題になっており、公開4日間で約300万米ドルの興行収入を記録した(Viet Nam News 2025年4月8日付記事)。 

出所:IMDb Tunnel (2025)

映画の舞台は、南部ベトナムのビンアンドン社というところにあるクチトンネルだ。クチトンネルは現在、ホーチミン市から日帰りで行ける観光地として有名なので、この名前を耳にしたことがある人もいるかもしれない。南ベトナム解放民族戦線側のゲリラ部隊が生活したトンネルで、最終的には全長200キロメートル以上にも及んだという。何層にもなる構造で、かがんだり這ったりしないと前に進めない小さな通路がいくつもの「部屋」をつないでいる。写真は私が昨年観光で訪れたときに撮影した、クチトンネルの構造を紹介する展示である。 

クチトンネルの模型の展示(2024年6月、筆者撮影)

この映画は、1967年の米軍による焦土作戦の直後の、一帯が焼け焦げた情景から始まる。21人のゲリラ部隊の隊員たち―ほとんどが戦いの訓練など受けたことのない若者である―が、地下トンネルで衣食住をともにし、和やかに会話をし、冗談を言いあい、笑いあい、愛しあい、武器を持ち、戦いの訓練をし、罠を仕掛け、トンネルを守り、米軍兵と戦う様子を描いている。彼らはある日、重大な任務(表向きは野戦病院の薬を守るという任務、実際は情報作戦の拠点を提供し、情報伝達が完了するまで死守するという極秘任務)を言い渡され、祖国を守るためという使命を背負って任務を遂行することとなる。 
物語が進むにつれ、ゲリラ部隊と米軍との距離が縮まり、最後には、米兵がトンネルに侵入してトンネルを破壊する。戦闘が激しさと残虐さを増していく過程で、爆撃や銃撃によって若者たちが次々と死んでいき、最後には幹部や隊長も死んでしまう。最終的に生き残るのは、まず、無傷の情報部隊。そして、ゲリラ部隊の女性バー・フォンと、身元不明で敵か味方かがわからないものの武器を作る高度な技術ゆえに生かされていた機械工トゥー・ダップだ。二人は映画冒頭で、バー・フォンが銃を向けるという形で出会うのだが、心の中で愛し合うようになり、米軍がトンネルを破壊する終盤で愛を交わす。その後、トンネルの外へと歩いていき、彼らのその後は描かれないままに物語は終わる。そして映像は、実際にゲリラとして活動していた方々へのインタビューや実際の戦時の写真などに切り替わる。 
この映画の表象や受容を深く考察すれば、映画を制作した芸術関係者たち、映画を鑑賞する老若男女が、ベトナム戦争をいかに捉え、継承していくのかが見えてくるだろう。とはいえ、現時点の私にはそこまでのことはできないので、以下では、この映画を鑑賞して感じたこと、考えたことをつづってみたいと思う。  

まず、この映画を観た直後の私は、無垢な若者たちが次々に亡くなっていく様子があまりに悲惨で、そして銃撃や死といった暴力的なシーンが見るに堪えず、心がひたすら苦しかった。きっと実際はもっとひどかったのだろうと思う。このことを一緒に観に行った知人に伝えると、「映画では、臭いとかわからないですもんね」と言った。確かにその通りである。トンネルの上一帯に火を放たれた時の焼ける臭い、焼け跡の臭い、死体の臭い、身体を蒸すような灼熱、気管に入り込む土埃、肌にまとわりつく泥。冷房の効いた快適な映画館では、どれも体感することのない感覚である。では、肉体的にも精神的にも極度の緊張が続くあの状況を耐え抜く力を彼らに与えていたのは、愛国心たるものなのか、それとも彼らを支えたのは戦争と併存していた朗らかな日常だったのだろうか。
また、印象的なのは、責任感、使命感に満ちたバー・フォンの険しい表情だ。弱みを見せずに強くあろうとする彼女の表情には始終、緊張感と警戒心がにじみ出ている。彼女はトゥー・ダップに想いを寄せながらも、心を許すことをしない。もし戦争がなかったら、彼女はどのような表情をしていたのだろうか、と思うと、ここでも心が痛む。
物語が終わるタイミングでスクリーンには、クチトンネルはベトナム戦争での勝利に向けてとても大きな役割を果たした、といった文言が表示される。この文言により、彼らの死が無駄ではなく、戦争終結、祖国統一に向けた意味ある死であったことが示唆されている。しかし一般人からなるゲリラ部隊が盾となることで情報部隊が生き残るという結末は、無念で仕方がない。この設定により、彼らが戦争に巻き込まれることがなかったらという思いが、強くこみあげてくる。となると、情報部隊を無傷で生き残らせることが、脚本の見せ所の一つであると言えるかもしれない。一言で表示される字幕の文言とは対照的に、ゲリラ部隊の若者たちの死が一体なんであったのかを、視聴者に問いかけるからである。
とはいえ、映画のなかの若者たちは、祖国のために、とあまりにも無邪気に任務に向かう。しかし少なくとも映画の中では、「祖国」「国家」「民族」という得体のしれない巨大で抽象的な何かのためというよりは、隊長バイ・テオやその上部にいるチュー・サウという幹部への忠誠心であったように思われた。それは軍隊的な忠誠心ではない。トンネルで衣食住をともにする疑似家族の関係性のなかで、信頼する「兄」「父」「叔父」的存在についていこうとするのである。だからこそ、若者たちは怖いときは怖いと言い、ときに命令に背いた行為にも走る。そして、まだ子どものようにあどけなく無邪気な「弟」「妹」「子ども」たちを前に、隊長バイ・テオは彼らの命を危険にさらす任務に対して強い葛藤に苛まれるのである。このようなゲリラ部隊の登場人物たちの人間味あふれる様子は、情報部隊の隊員たちが異常なほどに機械的な人間として描かれることにより、より際立たせられている。  

この映画について、視点を変えてもう1つ触れておこう。それは、歌である。ゲリラ部隊の一人であるウット・コーという若い女性は、ドンカータイトゥという南部民謡を歌う。隊員たちが彼女を囲んで聞き入るシーンは、まだ地上に出ていられる時間の和やかで親密な雰囲気を表現していた。ウット・コーを演じたジエム・ハン・ラモーンは、幹部チュー・サウを演じる歌手・俳優のカオ・ミンとともに、この映画の主題歌も歌っている。

この歌は映画の物語とメッセージを凝縮したかのような歌詞である。せっかくなので、視聴者に対するメッセージ色の強い最後のフレーズの仮訳を紹介しておこう。 

Rồi mai đây nước nhà vẻ vang
Có dịp về ngang mảnh đất còn mang
Nghĩa ơn bao đời luôn sẵn sàng
Nguyện hy sinh đổi lấy bình an
Địa đạo năm đó giờ mây quang
Chẳng còn thương tang nắng chiếu ngân giang
Cảm ơn dân mình đã vững vàng
Vì quê hương chẳng màng nguy nan

やがて祖国が栄光を手にするその日
再びこの地を訪れるときが来る
代々受け継いだ恩に応え、
平和のためなら命を惜しまない
あのトンネルは、今では雲が晴れ
悲しみも消え、陽光が川を照らす
揺るぐことのなかった民に心からの感謝を
故郷のため、恐れずに立ち上がったその勇気に

さらに、この歌で興味深いのは、旋律と発音の使い方である。冒頭カオ・ミンが独りで歌うヴァース部分は、ベトナムらしさがあまり感じられない旋律の上に北部の発音で歌われるのだが、そのあとに続くラモーンのソロおよびコーラスで歌われるサビ部分は、南部の発音で、かつ旋律もベトナム民謡の音律が明確に表れる。この対比には、戦争を「国家」という枠に安易には回収させず、南部へのまなざしを強く促すような印象を受けた。  

今のところ「トンネル」の日本での公開予定はないようであるが、早いうちに日本でも見られる日が来ればよいと思う。なお、近い時期に日本では、アッシュ・メイフェア監督によるベトナム映画「その花は夜に咲く」が公開された。日本人が制作に関与しているからとのことだが、トランスジェンダーの愛の軌跡を描くというこの作品は、ベトナムでは未公開である。この映画をベトナムの映画館で見られる日が来ることも願っている。 

2025/5/15)

参考文献 

坂本直也. 2019.「作家論:ブイ・タク・チュエン」石坂健治・夏目深雪編『躍動する東南アジア映画:多文化・越境・連帯』論創社. p.118.  

*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。

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加納遥香(
Haruka Kanoh 

2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。