パリ・東京雑感|男の涙と民主主義の誕生|松浦茂長
男の涙と民主主義の誕生
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
トランプ・チームは、発足1~2ヶ月で世界の様相を一変させる、すさまじい破壊力を見せつけた。バンス副大統領や、イーロン・マスク氏から、一番激しい憎悪が向けられたのは、ロシアでも中国でもなく、ヨーロッパだったので、フランスもドイツもイギリスもアメリカ抜きで身を守るにはどうすれば良いか、暗中模索の真っ最中だ。
なぜ、それほどヨーロッパを敵視するのか? トランプ・チームのスター、イーロン・マスクが、意味深長な〈文明論〉を披瀝している。
西洋文明の根本的弱みは共感ですよ。共感はつけ込まれる。
彼らは西洋文明のバグ(欠陥)を利用しているんだ。共感反応だね。
イーロン・マスクは、〈文明的自殺〉とか〈自殺的共感〉とか、不穏な言葉使いを繰り返し、〈共感〉と呼ばれるバグを全面修正しない限り、西洋文明の自滅は目前に迫っているかのような、予言者的口ぶりだ。
遅れた貧しい国にカネをやって助けるなんて、〈共感〉につけ込まれた最悪の無駄づかいだから、USAID(国際開発局)は解体。アフリカの子供が栄養失調で死のうと、ワクチン接種ができなくなろうと、現地の医学研究援助を止め、エボラ熱が蔓延しようと、同情すべきではない……これがマスク流の「政府効率化」である。
世界一の金持ちイーロン・マスクは、電気自動車テスラと、戦争に威力を発揮する巨大な通信衛星網スターリンクを支配し、そのうえ政敵を簡単に倒すことのできる言論の武器、X(ツイッター)を握っている。息子を肩車してホワイトハウスに乗り込み、大統領執務室で、記者たちに役人首切りの哲学をぶち、トランプさんがうしろで大人しく傾聴している光景は、異様だった。
確かに、「自殺的」かどうかはともかく、ぼくも若いとき初めてヨーロッパを体験して、真っ先に感じたのが「共感力」の強さだったのを記憶している。どの都市も大寺院のそばには、たいてい立派な病院の建物がある。オテル・デュー(神の館)とよばれ、中世以来、貧しい病人を収容してきた。「赤ひげ」先生のような人道主義者ががんばらなくとも、貧者にやさしくする制度が、昔からあったのだ。
自分の国で迫害された人々をあたたかく迎え入れる寛容さも、きのう今日始まったことではない。20世紀初めには、共産革命を逃れたロシア難民。よほど大勢逃げて来たのだろう、いまでもロシアっぽい名前のフランス人に出会うし、亡命者が建てた正教教会が、パリにはいくつもある。
しかし、最近のように難民・移民が数十万人単位で押しよせてくると、「共感」の限度を越えるらしく、移民、異文化を敵視する極右政党に、選挙民の期待が集まってしまう。イーロン・マスクの目には、これぞまさに〈自殺的共感〉そのものだから、反移民・反難民を訴えるドイツの極右AfDの集会に、みずからビデオ参加し、「AfDだけがドイツを救える」と持ち上げた。西洋文明のバグ=〈共感〉を修正した極右は、トランプ・チームの思想的同志なのだろう。
さて、前置きが長すぎた。本題に入ろう。
フランスでテレビニュースを見ると、大の男がカメラの前でおいおい泣くのにびっくりする。洪水で家中泥だらけになったと泣く。たくましい羊飼いが、狼にかじられて散乱する羊の死体を指さして泣く……
今年2月、ミュンヘン安全保障会議の締めくくり演説をした、クリストフ・ホイスゲン議長は、「バンス副大統領の演説(ヨーロッパの〈言論抑圧〉を非難)によって、私たち共通の価値基盤は、もはや共通でなくなったのではと、恐れています。」と述べ、民主主義を守るために奮闘しているゼレンスキー大統領たちに感謝した後、「結論を申し上げるのが難しくなりました」と声をつまらせ、手で涙をぬぐった。会場は総立ちになって長い拍手。女性の代表が議長を抱きしめた。歴史的決断のとき、政治家の涙は称賛されるのだ。
日本の男も、源氏物語の時代にはよく泣いたようだが、いまは人前で涙を見せない。(スポーツ選手の涙は許されるらしく、勝っては涙、負けては涙。)
ひとがどんなとき、どんな風に泣くか、涙のTPOから文明の歴史を読み取ることができる。ラジオ・フランスが、古代ギリシャから近代ヨーロッパまで、「涙の歴史」について、縦横に語り合う番組を放送したのでご紹介しよう。今の文明の病を考えるヒントを与えてくれるのでは?
ぼくは、アゼルバイジャンに行ったとき、墓場で葬式の一行に出会った。日本でもヨーロッパでも、現代の葬列は、泣くひとがいても厳粛な静けさが破られることはないが、アゼルバイジャンの葬列は、正反対。死者の未亡人だろうか、母親だろうか、中年の女性が墓地全体に響く音量で、泣き叫ぶ。顔に何本か傷を付け、血が流れている。身体を右へ左へ大きく揺らせ、葬列全体が、激情にとらえられているかのようだった。
ヨーロッパでも、昔は遺体に付き添う泣き女、泣き男がいたから、静かな行進ではなかったにちがいない。ルーブル美術館には、頭まで黒い衣で覆った不気味な8人の泣き男が、遺体をかつぐ等身大の彫刻がある。フィリップ・ポという男が、52歳のとき、ディジョンの修道院に自分を葬るために作らせたのだそうだ。彼は13年後(1493年)に死ぬのだからずいぶん手回しが良い。死の想念に取り憑かれた「中世の秋」を、まざまざと感じさせてくれる、怖い男たちだ。
古代ローマの泣き女は、地面に転がったり、髪の毛を引き抜いたり、顔に灰を塗りたくったり、服を引き裂いたり、ディジョンの泣き男よりはるかに過激だった。身体をリズミカルに揺り動かして行進したというし、アゼルバイジャンの葬列より、派手だったかもしれない。
葬式のとき、おおっぴらに泣いてみせるのは、ヨーロッパにかぎらず世界中で見られる普遍的な慣習だという。喪の悲しみをおもてに表すのは、人類共通の義務だったのだ。
ラジオ・フランスの番組は、アフリカのにぎやかな葬送の録音を聞かせながら、「泣き方が不十分だと、死者はいらだちます。彼は生から死への不安な旅の途上なのですから。喪の痛みを表わすことは、死者の家族への礼儀でもあります。」とコメントしている。
騒がしいほどに泣く喪の儀礼に、修正を加えたのがキリスト教だ。
聖書にヤイロという男が、死にそうな娘を助けてくださいと、イエスに頼む話がある。イエスがヤイロの家に着くと、娘はすでに死んだあと。「イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て」、騒々しい連中を家の外に追い出してしまう。聖書の書きっぷりは、喪の痛みをむき出しにする儀礼を、嘲笑しているようにとれる。
4世紀頃のキリスト教教父は、泣き女批判をはじめた。たとえばヒエロニムスは、葬儀のあいだ甲高い叫び声を出すな、と書いている。しかし、死者を大きな声で泣き送るのはよほど人間の本性にかなっているのだろう、キリスト教世界でも泣き女、泣き男はなくならない。とはいえ、フィリップ・ポの墓の泣き男から想像するに、内省的な泣き方に変ったに違いない。フランスで泣き女が禁止されるのは、19世紀初めである。
ひとが死んだとき泣きたくなるのは、当たり前と言えば当たり前。喪の涙に説明はいらないけれど、ヨーロッパには、英雄が重大な決意を示すときの涙とか、歴史的合意成立を喜んで涙に暮れるとか、近くはミュンヘン安全保障会議の涙とか、日本の私たちにはちょっと奇異に思える涙がある。
ユリウス・カエサルは、ルビコン川を渡るとき、兵士の前で服を引き裂き、涙を流しながら演説した。説得の涙、確信の涙である。軍団を率いてローマに入るのは法律で禁止されていたので、処刑されないためには、戦って勝たなければならない。涙を用いて、内戦に打って出る悲壮な場面を演出したのだ。ラジオ番組司会の歴史学者は、「現代の将軍が、決戦の前に兵士の前で泣いたりしたら、お笑いですね」とコメントし、その日の二人のゲストから、「古代ギリシャ、ホメロスの叙事詩の英雄たちはたいへん涙もろかった。」「カエサルはアキレウスの涙を意識していたに違いない。」などの説明を引き出している。政治的涙は、人類の神話時代の英雄譚につながっているのだ。
カエサルは、若い頃、今のスペインで、アレクサンドロス大王の彫像を前に、さめざめと泣いた。アレクサンドロス大王は20代で世界を征服したのに、30歳過ぎたこの私はなんだ、と嘆きの涙? あるいは奮発しなければという決意の涙? いずれにせよ、ローマの政治家・英雄の涙の裏にギリシャがある。
敵を征服した大勝利の瞬間の涙もある。スキピオ・アエミリアヌスは、カルタゴを滅ぼしたとき泣いた。なぜ? 第一に、トロイアを滅ぼしたギリシャの英雄になった気持。叙事詩の英雄を見習うのが、教養と品格の見せ所だったのだから。第二に、滅ぼされたカルタゴの人々への憐れみと考えたいところだが、ローマの軍人は、民の苦難など、さして気にかけなかった。第三に、今はローマに幸運がめぐってきたが、いずれ幸運に見放されるときが来るだろう、という諸行無常の歴史意識。「美しかったカルタゴの街々、いまそれらはローマの支配下にある。悲しいことではないか。歴史の流れは一瞬でその向きを変える。いつローマが、歴史の日の当たらない側にまわるのかを、誰も知らない。」古代の歴史家は、偉大なローマ軍指揮官たちが、自分の征服のために涙を流すシーンを好んで書き残しているそうだ。
ギリシャの英雄からローマに受け継がれた政治的涙は、近代ヨーロッパにも継承される。
フランス革命で人権宣言が制定された瞬間、国民議会は〈涙〉のるつぼと化した。新しい社会を生み出すよろこびの涙、議場の全員が一つの涙にとけ合う、伝染性の涙だった。革命の起こった18世紀は、古代ローマのように悲壮な、いささか芝居がかった演説が好まれる時代。エモーション過多の時代だったのである。
18世紀人は、泣くのが大好き、泣いているところを見られるのも好き。誰も彼も、お涙ちょうだいの芝居に押しかけ、膝にハンカチを広げて、泣ける場面が来るのを待ち構えたとか。役者は、ひざまずいて泣いたり、ため息をついたり、観客の涙を絞り出すため、全身で〈感動〉を表現した。観客は泣くことしか求めなかったので、大作家も泣ける戯曲を書きまくった。その中で19世紀まで生き残ったのは、『フィガロの結婚』のボーマルシェだけだそうだ。
ルーブル美術館に、グルーズという画 家の、甘ったるい絵が何枚もあって、「趣味が悪いな」と、素通りしてきたのだが、あの絵をよく見れば、涙におぼれた18世紀のこころに近づけそうだ。
18世紀から19世紀へ、ひとがいかに泣くかに大変化が起こる。19世紀は死を崇拝したといっても大げさでないほど、死に取りつかれた時代だったのに、死者を悼む儀礼は慎み深くなり、「度を越した泣き声はひかえる」、「ハンカチを出してハナをかむのは人目を忍んで」、など、涙を滝のように流すのが良いとされた18世紀とはすっかり様変わり。涙をひとに見せる時代から、涙が私的空間にとじこめられる時代へ、泣くことがパブリックな性格を失い、プライベート化されたのである。
同時に女性の涙への配慮が失われる。涙もろい18世紀には、女性的感性が、それなりに大切にされたのに対し、19世紀になると、女性の涙は軽蔑の対象でしかない。いわく、女性の身体は水っぽく、やわらかで、無秩序。すぐヒステリーになるような神経仕掛けだから、女の涙には何の意味も無い……
ラジオ番組で18~19世紀の涙について語ったアンヌ・ヴァンサン=ビュフォーさんは、最後に「迫害され、苦しめられるひとのために涙を流すことから〈人権〉という思いが生まれるのです」と、ひと言付け加えた。不当に虐げられたひとのために流す涙=共感だけが、民主主義に生命を与える。フランス革命の闘士たちが、人権を宣言するとき、全員涙に溶けてひとつになった、と言う歴史物語は、民主主義の誕生神話と呼びたいほどに魅力的ではないか。
たまたまこのエッセイにとりかかった前後、ワグナーの楽劇『パルジファル』のCDを聞いていた。吉田秀和はこの音楽について「リズム感の驚くべき衰弱が、きくものを(中略)ひどく、疲れさせ、身心の正常な機能を、狂わせるみたいな麻痺的効果をうみだす」と書いている。では、あの麻痺はいったい何? 涙にしびれ、涙によって自意識が浄化され、他者との境界が消え去る〈狂気〉ではないか? 楽劇全体、苦悩の涙、共感の涙、歓喜の涙と、涙の諸相を巡回し、涙を讃えているように聞こえる。数年前『パルジファル』のバイロイト公演について触れた文章を思い出した。
テレビで見て、はじめは「なんだこれは」という感じだったが、繰り返して見るうち、歴史を見つめる真摯な姿勢に打たれ、納得させられた。時代はナチスが支配した戦時から民主化される戦後に設定され、最後の場面の背景はベルリンの国会議事堂である。前奏曲のあいだ、パルジファルの母の死が無言劇で演じられる。大人たちが幼いパルジファルをベッドの母に近づけようとするが、身をもがいて逃れ、外でのんきに遊ぶうちに、母はのたうちまわって息絶える。この冷酷・鈍感な少年がやがて聖杯王国を破滅から救い、癒えることのない罪の傷の痛みにもだえ苦しむアンフォルタス王に平安を与えるまでの物語であり、痴者による贖罪と救済がテーマだ。
舞台はパルジファルが思いやりのない痴者として放浪する間、ナチスの軍国主義支配が続き、パルジファルが共感の心を獲得し(誘惑者クンドリーに迫られ、キスされた瞬間、アンフォルタス王の苦悩を自分の苦悩として感じとり、憐れみの激情に打ちのめされる。〈誘惑〉は痴者には逆効果だった)聖杯王国の救済を果たすとき、ドイツは民主主義に生まれ変わる。苦しむ人を見て一緒に苦しむことのできる人間に生まれ変わるまでのパルジファルの試練が、ドイツ再生への試練に重ねあわされるのである。(パリ・東京雑感|謝罪の力~少女像をめぐって|松浦茂長 |)
「共感」はヨーロッパ文明の魂である。イーロン・マスクが期待するように「共感」をバグとして修正すれば、ひとを不幸にする資本主義しか残らない。
(2025/4/15)