ベトナム便り|~故郷バックニンを歌う「Bắc Bling」|加納遥香
ベトナム便り ~故郷バックニンを歌う「Bắc Bling」
Text by 加納遥香 (Haruka Kanoh) : Guest
2025年3月から、ベトナム全土に旋風を巻き起こしているミュージックビデオ(MV)がある。3月1日にリリースされると瞬く間に再生回数が上がり、Youtubeチャート週間ランキングでは3月1週目に新着ランキング世界トップを獲得、1か月に満たないうちに再生回数1億回を突破したのだ。
そのMVとは、1995年生まれの歌手ホア・ミンジ(Hoà Minzy)が自らの故郷バックニン省(首都ハノイの北東に隣接する省)を舞台に歌い撮影した「バックブリン(Bắc Bling)」。タイトルは省名バックニン(Bắc Ninh)をもじったもので、ホア自身は、「わたしの目に映る、ほんとにきらきらして輝いてて、どんどん発展しているバックニン(1 Bắc Ninh thật lấp lánh, tỏa sáng và vươn tầm phát triển trong mắt eeem)」を表現しているという。こちらがそのMVである。
冒頭では、のどかな田舎道を練り歩くお祭りの行列が映し出され、続いてベトナム人なら誰でも知っているであろう、ベトナムの民間伝承詩カーザオ(ca dao)の下記の一節を流用した歌がはじまる。
Ta về ta tắm ao ta 家に帰って家の池で水浴びしよう
Dù trong dù đục ao nhà vẫn hơn 澄んでいても濁っていても、やっぱり家の池のほうがいい
多様な解釈ができる一節であるが、MVにおいては、故郷への愛着を表すとともに、やや遠景から寄っていくカメラ効果とあわさってバックニン省の村の中へと視聴者をいざなっていく。そしてバックニンの農村風景を描写する歌詞に続き、ホアが「さぁみんな、私のバックニンにきて遊びましょう!」と呼びかける。
冒頭で歌を歌うのは、ベトナム北部の伝統舞台芸能チェオの役者で「北部の喜劇王」と呼ばれる、バックニン省出身のスアン・ヒン(Xuân Hinh、1960年生まれ)だ。ベトナムの伝統的なアオザイとターバンにサングラス姿でラップ調の歌を歌う姿は、視聴者を作品の世界にさらにぐっと引き込む。スアン・ヒンの味のある声と演技は、「きれい」「かわいい」にとどまらない奥行きを作品に与えている。
続いて登場するトゥアン・クライ(Tuấn Cry、1992年生まれ)もバックニン省出身で、2017年から音楽活動を開始、バックブリンの作曲者でもある。今回音楽プロデューサーを務めたMasewとの初仕事で、19世紀頃の詩人の詩を歌詞とした歌曲を作曲して以来、民間音楽を取り入れた作曲に挑戦してきた。
この作品は、月琴、太鼓や竹笛といった伝統楽器を使用しつつ、曲自体はヒップホップ調だ。ベトナム語は上昇下降のある声調言語なので自然と抑揚が生まれるため、メロディ性が薄い箇所だと、歌詞を読みあげるだけで自然と実際のメロディとリズムになり面白い。先述したカーザオは、ベトナム語の抑揚ゆえに詩でありながら音楽性を持ち合わせているのだが、ベトナム語の言語と音楽の関係から見てみると、歌に近い形で朗誦されるカーザオと口語に近い形で歌われるラップが実は似ているのでは、と思えたりする。
さて、このMVで印象的なのは、ベトナムやバックニンの生活文化を綿密に、魅力的に映し出していることだ。最も核にあるのは、バックニン省が誇る民謡クアンホ(Quan họ)ではないかと思う。クアンホは、旧正月の祭りで男女のグループが掛けあいする相聞歌で、主に恋愛などを題材とする。2009年にユネスコ無形文化遺産に登録された。私は楽理に疎いので下手なことは言えないのだが、五音階に基づく「バックブリン」は、現代的な歌でありながらクアンホの響きを漂わせているように聞こえる。また、この歌には三番まであるのだが、一番ではクアンホをめぐる情景を紹介している。二番、三番の後半では民謡の原型をとどめない超高速のテンポで、クアンホの一フレーズ「あなた、ああ、どうかここにいて、帰らないで(Người ơ í ơi ì a í a / Người ở đừng về)」も歌詞に挿入され、クアンホの特徴である恋愛的要素が込められた歌詞となっている。
なお、補足説明を加えておくと、序盤でスアン・ヒンが弾いている柄の長い弦楽器ダンダイ(đàn đáy)はかなりクローズアップされているが、クアンホで使用される楽器ではない。ダンダイはカーチュー(ca trù、同じくユネスコ無形文化遺産に登録されている)というベトナム北部の伝統芸能で用いられることで有名なベトナムの楽器である。このMVではベトナム特有の楽器として導入されていると思われる。
本作品が強調しているベトナムの生活文化をもうひとつ紹介しよう。それは、ビンロウ(trầu)の文化だ。おばあちゃんたち(彼女たちのなかにはホアが幼いころからよく知っているおばあちゃんもいるという)がホアを囲むシーン(「最後の晩餐」を想起させる)が視覚的に印象的だが、そのシーンの冒頭では次のように歌われている。
Ăn một miếng trầu ビンロウを一口
Ăn một miếng trầu ビンロウを一口
Ăn vào cho đỏ 口に入れると赤くなる
Môi mình môi ta 私の唇、私たちの唇
ビンロウとは、ビンロウジ(ビンロウジュの果実)に石灰を混ぜてキンマの葉に包んだもの。口に入れて噛む嗜好品で、噛むと口の中が赤くなる。ビンロウを嗜むのは一般的に女性で、たばこのような効果があるという。ビンロウジとキンマを夫婦の愛の象徴とする民話もあり、田舎の結婚式などでは今でもみられるのだが、文化としてはかなり衰退してしまっている。
衰退し、消えつつある文化も含め、ベトナムやバックニンの文化を色濃く映し出したこのMVには、ホアの出身の村の人びとが、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで300人が参加しており、ホアの故郷への愛着心を作品の隅から隅に浸みこませている。細やかに美的に作り上げられた映像でありながらも一般の人たちがわいわいと参加している様子には、見る人を和ませる効果もある。さらに、身体を左右に揺らすだけでMVの一員になった気分になれる楽しさもある。こういうところにも、老若男女問わず人気を得ている理由があるかもしれない。
この現象に対して、ベトナム文化を現代化、国際化し、世界に広めることをめざす政府も黙っているわけではない。バックニン省は同MV制作関係者に対し、同省の観光に貢献したとして褒章を授与。さらにファム・ミン・チン首相は、3月24日に開催された若者を対象とした会議にて、「バックブリン」が、ベトナムの先進的で民族色の濃い文化を世界に発信し、人類の文明を民族化して我が国に取り入れることに寄与していると発言した(文化スポーツ観光省、2025年3月25日付記事)。この作品は、アーティストとしての成功や商業的成功のみならず、国家の政治にとっても見逃すことのできない成功例なのである。
伝統と現代、そしてアートと商業と政治が一緒くたになり駆け抜けるベトナムの音楽シーンは、これからも変革、発展を遂げていくであろう。
(2025/4/15)
*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。
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加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。