Menu

工藤あかね&松平敬 Voice Duo vol.2 あいうえお|齋藤俊夫

工藤あかね&松平敬 Voice Duo vol.2 あいうえお
Akane Kudo & Takashi Matsudaira Voice Duo vol.2 A-I-U-E-O

2020年1月12日 近江楽堂
2020/1/12 Oumi-Gakudou
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演>        →foreign language
ソプラノ:工藤あかね
バリトン、物体:松平敬

<曲目>
アルヴィン・ルシエ:『物体を伴ったオペラ』(1997)[松平(物体)]
ルチアーノ・ベリオ:『セクエンツァIII』(1966)(詩:マルクス・クッター)[工藤]
松平敬:『石の花』(2019,初演)(詩:大木潤子)[工藤、松平]
池辺晋一郎『バイヴァランスXI』(2016)[工藤、松平]
高橋悠治:『母韻』(2001)(詩:藤井貞和)[工藤]
ハヤ・チェルノヴィン:『ホウライシダI』(2015,日本初演)[松平]
鈴木治行:『口々の言葉』(2016)[工藤、松平]
高橋悠治:『ザンゲジ・ザーウミ』(2019,委嘱初演)(詩:ヴェリミール・フレーブニコフ)[工藤、松平]

 

開場時刻3分後の近江楽堂に筆者が入ったとき、会場に限界近く詰められた椅子の半分以上が既に埋め尽くされていた。それも普段の「現代音楽」層とは明らかに異なる、「歌の好きなおばさま」風の方が多く見られる。彼女らの和気あいあいとしたお喋りの中にも含まれる、工藤あかねと松平敬への期待度の高さにもまた嬉しく驚かされた。

そこに2本の鉛筆を持って松平が入場。ルシエ『物体を伴ったオペラ』である。机の上に並べた木箱、紙箱、金箱、コップ、木の筒、竹筒、ガラス瓶、磁器皿、灰皿、などに鉛筆の1本を接触させ、もう1本でそれを「トントントントン……」と叩き続ける。鉛筆と物体との接触箇所、その鉛筆の角度、鉛筆同士の叩く場所などで微妙に音色・音高がグラデーション的に変化していく。「トントントントン…コンコンコンコン…ポンポンポンポン…カンカンカンカン…」そのかすかな音の移ろいに耳をそばだてているうちに、濁世たる外界から、浄化された音楽世界へといつの間にか誘われていた。

張り詰めた表情で、ブツブツと独り言をつぶやきながら工藤が入場。この入場の時点でベリオ『セクエンツァIII』は開始されているのである。「tktktktktktk!」「aaaaaa!」「hahahahahahaha!」「oooooo!」等々、痙攣・絶叫・哄笑・号泣・朗唱などが感情を伴いつつ表現されるが、その前後に連続性がない……ようでいて、不条理な音楽的繋がりが感じられ、無茶苦茶のようでいて、しっかりとした独唱曲――それも工藤ならではのコケティッシュな魅力に満ちた――足り得ている。お辞儀をするように前かがみになりながらディミヌエンドし、音も絶え、了。現代音楽の古典の風格ここにあり、といった熱演であった。

松平敬作曲の『石の花』は、テクストに選んだ大木潤子の詩集の特殊な〈レイアウト〉をも音楽化したもの。大木の本は見開きの右ページが完全に白紙であり、左のページにごく短い言葉だけが書かれているのである。よって松平と工藤の歌は左右のページの〈空白〉をヴォカリーズ、無声音、口笛、息の音、クラベスなどで〈表現〉し、その間に「いしのはな」「いしのはな、さく」等の朗読が挟まれる。〈何も無い〉を〈聴く〉、〈何も無い〉が〈聴こえる〉という、どこか寂しくも豊かな時間が流れた。

池辺晋一郎『バイヴァランスXI』はとにかく松平・工藤の〈引き出し〉の多さに恐れ入った。鳥か猿の鳴き声かという出だしから、オノマトペと日本語の歌詞が混在しつつ〈デュオ〉として互いに響き合い、2人で声の大博覧会、大サーカスを繰り広げる。ただ、ベリオ作品に比するとやや羅列的かつ遊戯的で、呑み込まれるようなあの迫力にはいま一歩及ばないとも感じた。

椅子が5つ置かれ、工藤がそれに座ったり立ったり歩いたりしながら歌い、語る、高橋悠治『母韻』。椅子に座ると母韻、すなわち「あいうえお」だけでできた歌詞を歌い、そこから立つと子音も伴った、ただし時折子音もどこかに行ってしまったり、イントネーションがおかしかったり、吃りやため息を伴った歌と朗読がなされる。
プログラム・ノートによると、工藤は「母韻だけになってしまった老母の歌」と「行方不明の子音を求める身振り」を、椅子に座る、そこから立つ、で歌い分けているとのこと。歌詞と歌唱にはもがくような生々しい緊張感が張り詰め、腕を振り回し悶え苦しむような身振りも交えられる。
キーワードはどうやら「あおいえ」すなわち「青い絵」であり、その記憶を「老母」は歌い、語ることによって必死に手繰り寄せ手繰り寄せしているようであった。悲壮感漂う舞台だったが、最後には「指の向こうに真っ青な空間の広がり」と語られ、その「広がり」がこちらの心の中にかすかな希望を開いて、終曲。

チェルノヴィン『ホウライシダI』は歌う前に松平が「服を擦る音くらい小さな音だけでできています」とことわりを入れた通り、無声音とハミングと呼吸の音でほとんどが構成された歌曲。その超微弱音の中に仄かな色彩が満ちており、自分の息の音も邪魔なくらいだが、決して苦しくならない。また、古典的な形式・構成によって作曲・構築されているようにも感じられた。

鈴木治行『口々の言葉』、この作品の〈モノスゴサ〉を、筆者も大口をポカンと開けたままただひたすらに聴くに徹さざるを得なかった〈モノスゴサ〉をどう記述すべきか……。
テクストは民話か落語にも似た、句点が最後にだけ付く妙に長い一文のようだった。「ようだった」というのは、そのテクストが途中で切断され、反復され、異物が挿入され、それでも跛行的に進んでいくため、どんな文であったか正確に把握できなかったからである。作年の芥川也寸志サントリー作曲賞ノミネート作品『回転羅針儀』もその中に入る、鈴木の「反復もの」シリーズに入るのだが、この〈モノスゴサ〉を方法の解読・解説だけで伝えるのは難しい。しかし今回はテクストが使われていたため、筆者も鈴木に倣ったテクストを書いてみたい。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳のさんは、そういうふうに川だと言われたり乳の流れたあとだピーーーと言われたりしていたみなさんは、そういうふうに川だとこのぼんやりとではみなさんはそういうふうに川だと乳の流れたぼんやりとギョーーーぼんやりとギョーーーぼんやりと白いものがほんとうは何かそんなふうに川だと言われたりしていたものがほんとうは何かご承知ですか」
これは宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の冒頭「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだといわれたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」(岩波文庫、236頁、演奏会で使われたのはこのテクストではない)を、筆者なりに鈴木の真似をして構成したものである。せめて雰囲気だけでも伝われば幸いである。
しかもである、これが工藤と松平のデュオで朗読されるのであるからして、その「反復」の重層的記憶迷路の複雑さたるや!テクストが最後まで読まれた後、会場からこの〈モノスゴイ〉作品に対して盛大な拍手が沸き起こった。

最後は高橋悠治『ザンゲジ・ザーウミ』。「ザーウミ」とはロシア未来派の詩人たちが用いた「超意味言語」と翻訳される、アルファベットを恣意的に組み合わせた一種のナンセンス語であり、「ザンゲジ」とは、それを用いて書かれたロシア未来派の詩人ヴェリミール・フレーブニコフの遺作であるという(+)。本作ではザーウミの部分が作曲者による自由な発声法で、そうでない詩の部分が日本語訳されてテクストとされた。鳥、神々(ギリシアの神々であろうか?)、星、などなど、人間とは異なった存在の歌と言葉が「ザーウミ」によって発せられる。歌手2人は会場を歩き回りつつ歌い、朗読することにより、近江楽堂内の位置の違いに応じてその反響に多様さが生まれ、表現力がさらに増していた。なんと朗らかで、なんと自由な〈声〉が聴けたことか。

そして終演。会場の皆、「歌の好きなおばさま」方の皆が満面の笑みを湛えていた。実に幸福なコンサートであった。

(+)亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』岩波新書、1996年、を参照した。

(2020/2/15)


—————————————
<players>
Soprano: Akane Kudo
Baritone, Objects: Takashi Matsudaira

<pieces>
Alvin Lucier: Opera with Objects [Matsudaira (Objects)]
Luciano Berio: Sequenza III (text: Markus Kutter) [Kudo]
Takashi Matsudaira: Stone Flower (text: Junko Oki) [Kudo, Matsudaira]
Shin-ichiro Ikebe: Bivalence XI [Kudo, Matsudaira]
Yuji Takahashi: Bo-in (text: Sadakazu Fujii) [Kudo]
Chaya Czernowin: Adiantum Capillus-Veneris I [Matsudaira]
Haruyuki Suzuki: Mouths and Words [Kudo, Matsudaira]
Yuji Takahashi: Zangezi Zaum’ (text: Velimir Xhlebnikov)[Kudo, Matsudaira]