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未練の幽霊と怪物(挫波・敦賀) 忘却に抗う音楽劇|チコーニャ・クリスチアン

未練の幽霊と怪物(挫波・敦賀) 忘却に抗う音楽劇
Il rimpianto del fantasma e il Mostro – Opera contro l’oblio
2021年2月、第72回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)を受賞した、劇作家・演出家の岡田利規(チェルフィッチュ主宰)の音楽劇
=======> イタリア語版

2021年7月4日 兵庫県立芸術文化センター
2021/7/4 Hyogo Performing Arts Center
Reviewed by Cristian Cicogna

<演者>        →foreign language
作・演出:岡田利規
音楽監督:内橋和久
出演:
森山未來
片桐はいり
栗原類
石橋静河
太田信吾
演奏:
内橋和久
筒井響子
吉本裕美子
七尾旅人(謡手)

<スタッフ>
美術:中山英之
照明:横原由柘
音響:佐藤日出夫
衣裳:Tutia Schaad
衣装助手:藤谷香子
ヘアメイク:谷口ユリエ
舞台監督:横澤紅太郎

 

私が岡田利規の芝居を観るのは二度目で、ロームシアター京都で観劇した2019年の『消しゴム山』以来だ。
今回、私の好奇心をかきたてた点がいくつかある。
まずは、題名だ。
日本の妖怪特有の世界には興味ない私だが、ただの幽霊や「普通の」怪物の話と違うだろうと思い、さらに「未練」と「忘却に抗う」という言葉に引っかかった。
戯曲が第72回読売文学賞を受賞したこともあり、チラシの説明を読むと、面白そうだった。そして、内容に驚いた。
『挫波』はイラク出身のイギリス人建築家ザハ・ハディドをめぐる話だ。
2020東京オリンピックのメイン会場、新国立競技場のデザインコンペでザハ・ハディドの案が2012年に選ばれたが、その後白紙撤回された。それからほどなく彼女は亡くなった。
『敦賀』は福井県敦賀市にある原子力研究開発機構の高速増殖炉を指している。全国的に悪名を轟かせている「もんじゅ」のことだ。
これが怪物なのだろう。よく分からないが、ますます気になった。
本公演を観に行こうと思ったもう一つの理由はキャスティングだ。魅力的な顔ぶれがそろっている。
しかし、何と言っても、一番そそられたのは歴史のある能という演劇形式が持つ構造を借りている点だ。魅力的な挑戦に相違ないが、手を焼く恐れもある。
三島由紀夫が『近代能楽集』で著したような試みだろうか。芝居への期待が一気に高まった。

能は、室町時代に成立し、六百年を越える歴史を有する日本の代表的な古典芸能として、海外でも知られ、高く評価されている。
演劇人がそんな貴重な宝箱からインスピレーションを得られるのは羨ましい限りだ。深い井戸から綺麗な水を汲みあげるような感じだ。しかし、桶を丈夫な綱につなげないと、失敗する危険性が高い。
西洋の演劇を見ると、もちろん、ギリシャ悲劇や即興喜劇、オペラからインスピレーションを受けている演出家はたくさんいる。しかし、歴史は異なれど、いずれも観客は一種の娯楽として楽しんで来たし、今も楽しんでいる。ところが、外国人の視点から見ると、能は娯楽ではない。儀式だ。
岡田はその儀式に敬意を払い、真似をすることを良しとしなかった。舞台の作り方からして能の構造を借りているのは一目瞭然だ。しかし、能舞台をそっくりそのまま設けたわけではない。アクティングスペースに段差を設けず、灰色の敷物で舞台と花道を作りだしたのだ。老松が描かれている鏡板も橋掛りも柱もない。まさに「無の空間」。ミニマリズムのマニフェストと言っても良い。そして、一ノ松、二ノ松、三ノ松の代わりに小さな黄色の三角コーンが暗い舞台袖へと導いている。
照明はスポットライトではなく、一つの大きな長方形の照明器具が舞台の上を覆うように下げられている。平等に照らす白い明かりのせいもあり、全体的な印象として、舞台はロープのない格闘技のリングに見える。
さて、どんな闘いが始まるのだろうか。
音楽は生演奏だ。
能の囃子の後席には演奏者が三人いる。楽器は、笛・小鼓・大鼓ではなく、ダクソフォンとエレクトリックギター。客席から見て右側にある地謡座には謡手を務める七尾旅人が一人、黒ずくめの格好で黒い椅子に座っている。
聞かせてくれるのは能の音楽でないことは間違いない。

岡田が能からそっくり借りた形式とは役柄だった。ワキ、シテ、アイが順番に登場していく。
芝居が始まっても、客電が消えない。昼間の野外で行う能楽の雰囲気を観客に感じさせるためだろうか。
もんじゅの建屋を浜辺から眺めようと敦賀にやってきた観光客(栗原類)は標準語を話している。助かった。演者たちが話すのは日本人にも分かりづらい能の言葉ではない。
能とのもう一つの大きな違いは衣装に表れている。華麗な能装束からはほど遠い、素朴で、地味な色の衣装ばかり。ワキ役の栗原類と太田信吾はサンダル姿で登場、シテ役の石橋静河と森山未來はなんと、それぞれ白と蛍光イエローのスニーカーを履き、演奏者の服装は黒幕に溶け込んでいる。幽霊となったシテの衣だけが長絹を思わせる。
演じられたのはタイトルと逆の順番で、前半は『敦賀』だった。
本格的に稼働することなく廃炉になったもんじゅがシテとして現れ、意表を突かれた。夢のエネルギーをもたらすはずの実用的な巨人から、悪者の怪物に変身。前シテの石橋静河はナトリウム漏洩、火災事故、安全性問題、住民運動団体による騒動や訴訟についての無念の思いを語る。
後シテとしても幽霊になった石橋静河が花道をゆっくり通って再び登場する。今度は仮面を付けているが、能面ではない。プラスチック製で、顔にぴったりくっついているので、役者の顔が見えるものの、顔立ちが妙に変化している。表情のないアンドロイドのようだ。
能では囃子は単なる伴奏音楽ではない。シテの演技に加え、目に見えない世界を作り上げるのに欠かせない要素だ。打楽器の掛声や演奏の間は役者の限られた動きでは表せない情趣を生み出す効果がある。
この大事な役割を内橋和久、筒井響子、吉本裕美子の三人が見事に成し遂げている。
ダクソフォンから出る音は金切り声のように聞こえる時もあるが、時に鋭く、クールに心の深いところに突き刺さってくる。エレクトリックギターの伴奏は前衛的な音楽となって、立ちこめる朝霧のような幻想的な雰囲気を生み出す。
石橋静河が披露するのはコンテンポラリーダンスのパフォーマンスだ。このパフォーマンスに謡手の声が重なり、演じるのは七尾旅人で、ラップに近いスタイルでもんじゅの声だ。
地謡は、古代ギリシャの演劇でコロスが果たす役目と同じく、情景や出来事、登場人物たちの心理などを描写して謡う。
シテの踊りはプルトニウムや電子の舞いのようで、もんじゅに閉じ込められた無駄な粒子が浜風に乗って踊っているように見える。

後半の『挫波』にも未練の幽霊と怪物が登場する。前シテ・後シテを演じるのは森山未來。怪物は建設中の新国立競技場だ。ワキ役の太田信吾はそういう姿を見られる機会は今しかないと思って工事を見に来たと言う。未練を残しこの世を去った建築家ザハ・ハディド。コンペで選ばれた彼女の案は高額な建設費が非難の対象となり、白紙撤回された話が繰り広げられる。批判されても、もう反論ができない身となった悔しさと悲しみが森山未來の演技とダンス、七尾旅人の謡い、演奏される音楽によって見事に表現されていく。
能では名もない市井の人々の声はアイが上げる。前シテが舞台から去って後シテとして登場するまでの間に、アイは村人や役人として登場し、前半のストーリーをおさらいして後の場面をつなぐのだ。『敦賀』でも『挫波』でもアイを務めるのは片桐はいり。前者では夢のエネルギーを期待して裏切られたと言う福井県民の気持ちを表し、後者ではザハ・ハディドと日本政府との間に起った闘争や薄れてゆく都民の関心を語る。
石橋静河と森山未來の優雅で力強い踊り、片桐はいりの抜群のコミカルな語り、栗原類と太田信吾の簡素でよそよそしい演技、軋むような音で幽霊の心を表す演奏、七尾旅人の斬新なラップ調の謡い。岡田にとってもっとも重要なテーマが完ぺきと言っても良いバランスのパフォーマンスから浮かび上がる。
それは忘却だ。正確に言うと、忘却に抗う努力。日本人は過去に起こったことを簡単に忘れてしまうと彼は訴える。
日本人は、文殊菩薩にちなんだ名前をつけた高速増殖炉のことも、日本政府の方向転換ののち世論の敵愾心と戦った一人の女性建築家のことも、忘れていく。あるいは忘れようとしている。
何故だろうか。痛ましい事故、恥ずかしい事件、嫌な出来事を忘れたり、起こらなかったことにしたりすれば、生きるのが楽になるのだろうか。しかし、福島の原発事故、私たちが現在体験しているパンデミック、感染者が増える中で開催される予定の東京オリンピック。これらの出来事を忘れたら、どうなるだろう。
記憶を消してしまうと、自分を見失ってしまう危険がある。失敗を繰り返し、進捗を止める。記憶を大事にしない国は過去の過ちを正す能力が衰え、滅びに至る。忘却に抗う必要がある。
能という貴重な井戸から乾いていく記憶を潤す清水を汲み上げた岡田利規が度重なるカーテンコールの最後に出てくると、スタンディングオベーションとなった。熱狂的に拍手する観客に、彼の大事なメッセージが伝わっただろうか。
三島由紀夫は『近代能楽集』を書いて、能を超えたと言われている。
岡田は能に対して、21世紀にふさわしい現代的かつ前衛的な表現方法を見出したと言える。
お見事。

7月7日記

(2021/8/15)

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<Cast>
Testo e regia:Toshiki Okada
Regia musicale:Kazuhisa Uchihashi
Interpreti:
Mirai Moriyama
Hairi Katagiri
Rui Kurihara
Shizuka Ishibashi
Shingo Ota
Esecuzione:
Kazuhisa Uchihashi
Kyoko Tsutsui
Yumiko Yoshimoto
Tabito Nanao (voce)

<Staff>
Scenografia:Hideyuki Nakayama
Luci:Yuu Yokohara
Suono:Hideo Sato
Costumi:Tutia Schaad
Aiuto costumi:Kyoko Fujitani
Hairmake:Taniguchi Yurie
Direttore di scena:Kotaro Yokosawa