野村誠の動態展示 音楽で絵を描く|チコーニャ・クリスチアン
野村誠の動態展示 音楽で絵を描く
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2021年5月18日 ながらの座・座
2021/5/18 Nagara no Za Za
Text & Photos by チコーニャ・クリスチアン
2021年5月14日~21日、登録有形文化財「橋本家住宅」(旧・正蔵坊)にて8人以内の予約制
梅雨入りしたばかりの大津市は非常状態宣言の効果もあってか、平日の昼下がりなのにとても静かだ。霞棚引く琵琶湖は濁った白い色で、曇り空と区別がつかない。湖を見下ろす長等山(ながらやま)は広大な敷地の三井寺を木々の深緑で護っている。
山裾に立つ「橋本家住宅」にある「ながらの座・座」にたどり着くと、野村誠は裸足にカラフルなシャツという姿で参加を予約した私を玄関の三和土まで迎えてくれる。
作曲家、ピアニスト、鍵盤ハーモニカ奏者、フェスティバルディレクター。活動の幅が広い野村誠を一言で定義するのは簡単ではない。
ピアノ曲『たまごをもって家出する』(2000)、ペットが美術館に集合する『Music with Pets』(2004)、銭湯のお湯を楽器にする『お湯の音楽会』(2009)、『どすこい!シュトックハウゼン』(2021)など、今まで発表した作品やイベントの題名を見るだけで、彼が奇抜な音楽家であることは明白だ。
動態展示とは、一体何だろう。
生活の中でアーティストの発想、発見するプロセスを見学できる実験的な企画だ。
野村誠はいきなりピアノを弾き始める。しかし、かなり変ったピアノだ。弦にねじやボルトを付け、丸見えのハンマーの前に木の板や鳩サブレの蓋を置いたりしている。音に変化を付けるために本人がその家に眠っていた古いピアノを改造したそうだ。椅子ではなく、座椅子に座ることで、鍵盤が目の高さになる上、足でタンバリン越しに弦を抑えるという不便な姿勢で演奏する。
出る音は、音楽教室に初めて集まった3-4人の子供が異なる楽器を好き勝手に叩いているような感じだ。しかし、馴染みのない旋律を聴いているうちに、読み返した本に違う終わり方を発見したような気分になる。
次に、壊れたオルゴールの部品を壁や柱に当てながら、手でぜんまいを巻いて音を聞かせたかと思うと、廊下にあった子供用の琴の絃(げん)を摘み、日本庭園を眺める広い和室に移る。鯉が泳ぐ池に面した縁側にはおもちゃの白いピアノが置かれていて、妖精が姿を現して演奏しても不思議ではないような雰囲気が漂う。
畳に様々な物が置いてあるが、「楽器で顔を描いてみた」という野村誠の言葉を聞いて改めて見てみると、何とも言えない表情のある顔が私をじっと睨んでいる。
英語では「楽器を弾く」のも「遊ぶ」のもplayと言う。「自分で作曲をしているのでインスピレーションを得るために楽器を触るのが好きで」と言いながら、彼はギターのように琴を抱えて音を出す。彼の様子を見ていると、彼のパフォーマンスはplayを両方の意味で体現している。
野村誠は和室の奥に手書きの楽譜を19枚畳の上にL型に並べて展示していた。5人のゲストに囲まれ、作曲のきっかけについて話す。
『たまごをもって家出する』は、3歳の娘と一緒に演奏したいと15分間の曲を依頼してきたピアニストのために作曲したものだ。15分を5歳から80歳までの一つの人生としてイメージすると、一つの物語が自然に生まれてくると思って作ったと言う。
作曲に当たって決めたルールがあったそうだ。それは、一小節書き終えたら後戻りしないこと。過去に戻ることができないのが人生だから、同じようにしようとしたのだ。
当時32歳で、それくらいの歳までは曲を書けたけど、それ以降は経験がないから行き詰ったり、書きかけては止めたり思い悩んだりした。ところが、50歳を超えたところから一気に進んだ。80歳まで書いたところで、5歳の時に何になりたかったか、何人かの人に訊いてみた。問いに対する答えとは少しずれるが、卵を持って出かけたと言った一人のおばあさんの話からインスピレーションを受けて、外国に行くとか、経験のないことをするとかということをイメージしたので、『たまごを持って家出する』というタイトルにした。
最後に5歳になってコンサートに出たくないと言い出した依頼人の娘の声と、5歳の思い出を語った88歳の老人ホームにいた人の声を合わせて曲を完成させた。
彼は譜面を指で追いながらパソコンで聞かせてくれる。
コーヒーがふるまわれる時間になって、野村誠は即興について語る。
思いついたものを書く。まず輪郭を描き、凡庸で面白くないと思ったら、一音だけ変えたり、音を入れ替えたりする。そうすることによって、同じ和音でも一つを変えるだけで風景が変わる。世界が変わる。思い浮かんだものをなかなか切り捨てられない。オーケストラ用の曲の場合、音を鳴らして聞くよりも、譜面を遠くから眺める方がビジュアル的に音の多い部分と足りない部分が確認できる。絵を描くように音楽を作るのだと言う。
彼は最後に鍵盤ハーモニカを演奏する。ホースを口にして、片手で鍵盤を叩き、もう片方の手で畳に楽器で描いた顔の口だったおもちゃの赤いピアノを即興で弾く。一瞬、彼が漫画「ピーナッツ」に登場するシュローダーに見え、また指をしゃぶって安心毛布を抱いているライナスにも見える。
庭からは鳥たちのさえずりと強まった雨音の共演が聞こえてくる。
時間がゆっくりと過ぎていく。長居が気になって暇乞いをする。
三井寺の晩鐘は激しい雨にかき消されて聞こえない。
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