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評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺―6.敗戦、故国喪失の民となりて……『ギリヤーク族の古き吟誦歌』|齋藤俊夫

6.敗戦、故国喪失の民となりて……『ギリヤーク族の古き吟誦歌』
6.Japan was defeated, Japanese became exiles…… “Ancient Minstrelsies of Gilyak Tribes”.

Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)

敗戦1年後の1946年8月16日、伊福部昭と妻アイ、娘玲子は上京を目して北海道を発った。東宝交響楽団(現東京交響楽団)から映画音楽の作曲が打診され、応じてその仕事に就くためには東京に越す必要があったからである。しかし戦後まもなく、東京への転入は定職ある者に制限されており、伊福部一家は早坂文雄の伝手を頼って、彼の友人の持つ栃木県日光の久次良(くじら)という土地の山荘に落ち着いた。
その夏に早坂の招待で訪れた鎌倉の随筆家・森田たま宅で伊福部が披露した歌曲が『ギリヤーク族の古き吟誦歌』である。この作品に感動した森田が東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の新学長・小宮豊隆に伊福部を推挙することによって、伊福部は作曲科講師という定職を得ることになる。1)

今回取り上げる、4曲からなるこの歌曲集『ギリヤーク族の古き吟誦歌』(以下、『吟誦歌』と略)の誕生には、人類学者・服部健(はっとり・たけし)(1909-1991)との出会いが関わっている。彼の『服部健著作集―ギリヤーク研究論集―』を見ると、遅くとも1937年(昭和12年)以前に伊福部は服部のギリヤーク調査研究に一助したことがわかる。2)
ギリヤークとは主にアムール川下流地方と樺太(サハリン)島北部に居住する北方の先住民族である。ギリヤークとはロシア語の呼称が日本に伝わりさらに訛って定まったもので、自称は大陸ではニブフ、樺太島ではニクブンであり、この語は「人間」を意味する。3)昭和17(1942)年、日本領土時の樺太島南部でのギリヤークの人口はおよそ100人と数えられている。4)
さて、伊福部が服部の調査研究に一助したのは服部著作集112-113頁の「芸術・娯楽・物語」の項、ギリヤークの音楽についての項である。以下、服部著作集112頁より引用する。

伊福部 昭氏――同氏は筆者の提供した資料より採譜した――によれば略々次の如く要約される。
(1)歌は無伴奏単旋律 Monodia で多くは独りで唄はれ、極めて旋律的であり、持続音はすべて特徴ある際立つた顫音 Trillo で唄はれる。宣叙調風 Recitativo に唄はれる箇所以外は余り律動的ではない。
(2)旋法は上行・下行同一の五音音階 Pentatonica で構成され、音域は狭く八度 Octavo に亙らない。又、長調 Maggiore 、短調 Minore が認められる。
(3)形式について言へば、一般に簡単な二個の動機 Motivo に依つて楽句 Frase が組み立てられ、単にこれが繰返へされるに過ぎない。
(4)律動は四或は二で構成されて居るが、アクセントは必ずしも楽典とは一致しない(第21図)。

上記引用の最後に挙げられた「第21図 採譜された歌曲(伊福部氏による)」を譜例1、2に挙げる。

そして伊福部『吟誦歌』からの抜粋を譜例3、4に挙げる。


『吟誦歌』第3曲と第1曲のこの部分は伊福部が採譜したギリヤークの歌に由来すると考えられよう。
となると、『吟誦歌』第2、第4曲にもギリヤークによる原曲が素材として使用されている可能性にも行き当たるが、これは今後の伊福部1次資料調査研究の進展に委ねたい。

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では『吟誦歌』実作品に当たってみよう。本作は作曲に加え、古語による作詞も伊福部による。

第1曲「アイ アイ ゴムテイラ ai ai gomteira」(譜例5,6参照)は出版譜にある伊福部自身の付記によれば

アイ アイ ゴムテイラとは「それはそれは、困ったね」と云う程の意であるが、この歌は、ギリヤークの部落に、オロッコ(引用者注:北方先住民族の1部族)の若者がはるばる嫁を探しに来るが、誰も云うことを聴くものがなく、すごすご帰るのを、冷やかし弥次る唄。5)

であるという。


この曲の特徴は音階がAsを第1音としたミクソリディア(移動ド唱法でソを第1音としたソラシドレミファソの旋法)であり、また歌唱パートで使われるのはAs、B、C、Desのみなことである。
Asミクソリディアでは第7音が実音でGesであるが、イオニア(長音階)と異なる音はこの第7音だけである。
歌唱パートの4音はAsミクソリディアでは移動ド唱法で「ソラシド」であるが、この音程は「ドレミファ」とも等しいため、歌唱パートだけだと完全に長音階に聴こえるのだ。
この2つの特徴から、本曲は一聴すると伊福部としては例外的な長音階の作品だと勘違いしかねないのである。 この軽々とした「冷やかし弥次る唄」に潜んだ作曲者の仕掛けは存外に意地悪である。

第2曲「苔桃の果拾ふ女の歌 ujungajujana(正確にはgの上に「~」(チルダ)が付く、伊福部独自の使用法と思われる)」(譜例7,8,9参照)、また作曲者自身の付記から引用しよう。

苔桃とは、真珠程の赤い小さな果で、ギリヤークの生活には欠くことのできない食物であるが、また、女たちはこの果で赤い酒を醸し、男たちを喜ばせる。
この歌は、喜んでくれる男は既にこの世に亡く、苔桃の実る秋が再び訪れたけれども、今は、只むなしく果を摘まねばならぬと、凍原に嘆く歌である。
ウユンガユヤナとは、この種の嘆きを表す詠歎詞、オタスとは幌内河の河口近くにある半ば砂丘、半ばツンドラから成る中洲の名である。6)

作曲者の付記によれば大変に悲しい歌のはずであるが、何故か穏やかな曲調に聴こえ、ただ「ウユンガユヤナ」の箇所が暗い影を落とす。
その原因の1つ目は、本曲の音階はDisを第1音としたフリギア(移動ド唱法でミファソラシドレミの旋法)であるが、楽句の最後でそのDis、移動ド唱法でミ、が唄われる時に伴奏でGis、H、Dis、すなわち移動ド唱法でラ、ド、ミが鳴らされることにより、楽句が長音階の偽終止で終わって、次に終止が持ち越されているように聴こえるからである。
そして「ウユンガユヤナ」ではDis、Eis、Fis、Gis、Aisが使われ、これらは移動ド唱法では順にラ、シ、ド、レ、ミとなり、この楽句は最後のDisを第1音としたエオリア、すなわち短調なのである。

第3曲「彼方(あなた)の河び takkar」(譜例10,11参照)、作曲者の付記をまず引く。

冬は、凍結した河を渡って、ひそかに逢瀬を楽しむこともできたが、春となって氷は消え、今は、それも叶わぬと嘆く唄。
セーニョイラとは、この種の心情表現に用いられる詠嘆の詞である。7)

Fの音が強く何度も何度も反復されるが、楽句と歌唱パートの終わりの音はCである。曲全体としてはCを第1音としたフリギアと捉えられるが、反復されるFは移動ド唱法ではラ、さらに伴奏ではA、すなわち移動ド唱法でドが反復されることにより、F-Aがラ-ドの短3度の音程を作り続ける。この音程がこの曲に一種の悲痛感をもたらしていると言えよう。

第4曲「熊祭に行く人を送る歌 lokoruːja」 (譜例12,13参照)、作曲者の付記によると

熊祭は、厳冬に行われるかれらの最も重要な祭礼であるが、式に当って、熊を射殺する役は他の部落の者が行ない、この役に選ばれることは大変な名誉とされている。
この歌は、名誉ある射人に選ばれた人を送る壮行の歌である。
ロコルーヤとは「しっかりやってこい」と云う意、オロンコーラ・ホノボーヤとは、「さらば」と云う意であるが、かなり格式ばった言い回しである。8)

とある。


伴奏はCisを第1音としたフリギア、ロクリア(移動ド唱法でシドレミファソラシの旋法)、エオリアと、臨時記号によって旋法を変えながら進行する。
注目すべきは、歌唱パートである。歌唱パートはGis、H、Cis、Dのみで書かれており、またDは装飾音以外は第49から第54小節のみで使われる。残りのGis、H、Cisで曲のほとんどが歌われるのだが、この3音の進行には規則がある。CisからHに、HからCisに進行すること、またGisからHに、HからGisに進行することはあっても、CisからGisに、またGisからCisといった風に、中間のHを飛ばして進行することはないのである。この規則により、リズム・拍子と顫声は違えど極めて類似した歌唱が続く、独特の迫力ある歌曲となって『吟誦歌』の最後を飾っている。

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ギリヤーク族とは、黒竜江下流沿岸と、北樺太、および多来加(たらいか)湾の一部にかけて住む種族である。
(略)
しかし、何の故か、この壮大な歴史をもつ民族は、しだいに衰退に傾き、古い伝承も年々失われていくのが現状である。
幸い、戦前、かれらの音楽に接することができたが、この近隣種族の滅亡に頻(ママ)した詠唱のおもかげを、いくらかでも、とどめたいと考えて生まれたのがこの作品である。9)

本作品は戦中から戦後にかけて作曲され、1946年に完成した。前稿で論じた次兄勲の急死を経ての日本の敗戦、自身の放射線被曝事故は伊福部の心の中の「日本」のイメージにどのような影を落としただろうか。
上記の伊福部の『吟誦歌』付記中の「この近隣種族の滅亡に頻した詠唱のおもかげ」というセンテンスに注目されたい。伊福部は滅亡に瀕した近隣種族の姿に、事故により近づいた自らの死、そして日本の滅亡を重ねて見たのではないだろうか。
結果的には伊福部は事故では死なず、日本は滅亡はしなかった。だが、確かに日本は敗北し、一時的とはいえ、連合国軍総司令部の管理下に置かれたのだ。「日本」は「日本ならざる」土地と化し、それに続いたのは全てがアメリカナイズされていく文化的敗北であった。

エグザイル(引用者注:故国喪失者)状態は、エグザイルみずからの生まれ故郷に対する愛着と絆の存在のうえに成立している。あらゆるエグザイルにあてはまること、それは、故郷や故郷愛が失われたことではなく、ただ両者のなかに喪失が存在するということなのだ。10)

日本は敗戦により一度エグザイルの住まう土地と化した。伊福部の『吟誦歌』はギリヤークの「おもかげ」を残すと共に、エグザイルたる日本人・伊福部が喪失した自らのおもかげを残さんとする歌だったのではなかろうか。

伊福部昭―独り立てる蒼鷺(1)~(5)

(動画)ソプラノ:藍川由美、ピアノ:遠藤郁子

  1. この辺りの事情は木部与巴仁『伊福部昭の音楽史』春秋社、2014年、148-158頁に倣った。
  2. 服部健『服部健著作集―ギリヤーク研究論集―』北海道出版企画センター、2000年に所収の、伊福部が協力した記事「ギリヤーク」の出典(129頁に記載)は「北海道帝国大学理学部会誌」第5号 北海道大学 昭和12年とある。
  3. 本稿では伊福部の作品名に倣って「ギリヤーク」の呼称を使うことを諒とされたい。
  4. 服部、前掲書、93頁。
  5. 使用楽譜、75頁。
  6. 使用楽譜、75頁。
  7. 使用楽譜、76頁。
  8. 使用楽譜、77頁。
  9. 使用楽譜、74頁。
  10. エドワード・W・サイード「故国喪失についての省察」『故国喪失についての省察 』みすず書房、2006年、192頁。

使用楽譜:内田るり子編『伊福部昭歌曲集』全音楽譜出版社、1970年初版。

参考録音:CD「山田千代美 伊福部昭の古歌」Carpe Diem Records, 2018年, CD-16316

(2021/6/15)