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久末航 ピアノ・リサイタル|能登原由美

久末航 ピアノ・リサイタル
Wataru Hisasue Piano Recital

2020年11月27日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホール
2020/11/27 Biwako Hall Center for the Performing Arts, Shiga Main Theater

Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)

〈出演〉        →foreign language
ピアノ:久末航

〈曲目〉
F. シューベルト:4つの即興曲 作品90より
        第1曲ハ短調
        第2曲変ホ長調
A. ウェーベルン:ピアノのための変奏曲 作品27
L. V. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 作品13「悲愴」

〜休憩〜

P. デュサパン:ピアノのための練習曲より 第2番
F. シューベルト:4つの即興曲 作品90より
        第3曲変ト長調
        第4曲変イ長調
S. バーバー:ピアノ・ソナタ変ホ短調 作品26

〜アンコール〜
F. メンデルスゾーン:無言歌集第1巻作品19より第1曲「甘い思い出」
F. シューベルト/リスト:ウィーンの夜会(ワルツ・カプリス)より第6曲

 

2017年のミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門で3位に入賞した久末航が、出身地の大津でリサイタルを開催した。高校卒業後に渡独し、現在もまだドイツで研鑽中とのこと。その華々しい経歴にもかかわらず、日本では名前が挙がることが少ないのはそのためなのだろう。今年2月にブラームスのソナタ・ツィクルス最終回を聴いて以降、活動の様子が気になっていた。

そして、ようやくこの演奏会である。とはいえ、直前まで公表されていた演目は、シューベルトの《4つの即興曲》とベートーヴェン《ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」》のみ。あとは「ほか」としかない。過去の実績からして、含蓄のある内容が出てくるに違いないと期待しながらも、半分訝しみつつ足を運んだ。

が、やはりというべきか、期待通りであった。会場に行って判明した他の演目は、ウェーベルン、バーバー、デュサパンと、いずれも20世紀以降の作品。しかも、シューベルトは4曲のうち最初の2曲を冒頭に、残りの2曲をプログラム後半に配置。前後半の末尾には、それぞれソナタを1曲ずつ―前半は古典の、後半は現代のそれ―を置く。2つの時代を行き来するかのような、趣向が感じられる内容だ。あるいは、そのキャッチボールを通して、異なる時代様式の根底に流れる接点をあぶり出すことが狙いだったのかもしれない。

一方で、このプログラミングは彼の音楽的志向を露わにしたようにも思う。

鍵を握るのは、前後半に分けて置かれたシューベルトの《即興曲》。冒頭に弾いた2曲と、プログラムの後半、デュサパンとバーバーの間に挿入された2曲の間には、その演奏に明らかな違いがあった。それは、これらの楽曲の軸となる「旋律」の歌い方である。前者で見られた流麗さが後者においては欠けていた。いや、流れがないというのではなく、「歌」が立ち上がってこないというべきかもしれない。その違いはどこから来たのだろうか。逆に、現代作品ではいずれも、「歌」が見事に浮き出ている。いずれにしても、今回のプログラムで注目すべきは各作品に通底する「旋律」の所在であり、その扱い方に久末の志向も見て取ることができるのではないか。

ウェーベルンの《ピアノのための変奏曲》。シューベルトとは全く異なると言えども、音列をもとに楽曲が展開されるという点では、《即興曲》のような水平的思考が核となる。久末の演奏で目を引いたのは、音そのものが生じる瞬間への鋭敏な感覚であり、それが水平方向への推進力となっている点だ。あるいは、音と音の連結、連関を作り出す際のキレの良さとも言えるかもしれない。とはいえ、それらの特性は楽曲全体の構成や構造に基づき緻密に制御されており、決して直感的な演奏に終始するわけではない。言わば、知性と感性のバランスが絶妙なのである。

だが、それ以上に瞠目したのは、後半のデュサパン《ピアノのための練習曲》。左手に置かれた旋律線に和音が幾重にも重ねられていき、次第に大きな響きの構造体が生成される。水平方向と垂直方向、双方への意識や感覚が求められる作品と言えよう。久末は、旋律のフォルムや流れに首尾一貫して軸足を置きながらも、立ち上がってくる和音の響きやその伸縮、変形を見事に操りながら突き進んでいく。こうした空間上のバランス感覚の良さについても、彼の持ち味と言えそうだ。

それだけに、その直後に弾いたシューベルトがいまに至ってもなお腑に落ちない。少なくとも、シューベルトよりもウェーベルンやデュサパンにその音楽性が向いていることは間違いないだろう。と同時に、これらの作品における「旋律」の本質的相違が想像以上に大きいことを示したようにも思う。

最後に、ベートーヴェンとバーバーの2つのソナタ。後者については、20世紀の作品とはいえ古典的な形式を踏襲し、前者同様に主題、あるいは旋律が構造の柱となるが、やはりこちらの方に彼の良さが現れていた。短いモチーフから目まぐるしく展開していく第1楽章などでは持ち前の直感的な瞬発力が発揮されていたし、第4楽章のフーガでは明晰な構成力が生きていた。何よりも、そこから聞こえてくる「歌」が実に瑞々しく、奏者自身の声が聴こえてくるようであった。

公演後、その演奏の謎をずっと考えていたが、2年前の東京公演についての本誌レビュー(丘山万里子「紀尾井『明日への扉20』久末航」)の中で、その音楽的資質について、「音に対する本能的嗅覚をもつ」と表されていた。まさにこれだと思った。音そのものに対する本能とも言っていいような鋭い感覚、それが今の彼の最大の魅力である。もちろん、いずれはシューベルトについても「腑に落ちる」演奏を見せてくれるであろう。けれども、この本能的、野生的な感覚は決して失って欲しくない。その上で、さらなる飛躍を期待したい。

(追記)本公演の一部は、後日、アーカイブ配信を予定しているとのこと。詳細については、主催者のサイト(https://www.keibun.co.jp/artists/music/keyboard/piano/28123)を参照のこと。

(2020/12/15)

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〈program〉
Franz Schubert : 4 Impromptus op. 90 D. 899, No. 1 & No. 2
Anton Webern : Variationen für Klavier op. 27
Ludwig van Beethoven : Sonate für Klavier Nr. 8 C-moll op. 13 ‚Pathétique‘
—Intermission—
Pascal Dusapin : Etudes pour Piano N° 2
Franz Schubert : 4 Impromptus op. 90 D. 899, No. 3 & No. 4
Samuel Barber : Piano sonata E flat minor op. 26

〈cast〉
Piano : Wataru Hisasue