紀尾井「明日への扉 20」久末航 |丘山万里子

紀尾井「明日への扉 20」久末航 ピアノ

2018年7月31日 紀尾井ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 藤本史昭/写真提供:紀尾井ホール

<曲目>
J.S.バッハ:トッカータ ニ長調 BWV912
ハイドン:ピアノ・ソナタ 第47番 ロ短調 Hob.XVI/32
フランク:前奏曲、コラールとフーガ ロ短調
〜〜〜〜
カーター:Intermittences
デュサパン:Did it again (2017年ARDミュンヘン国際音楽コンクール委嘱新作)
ラヴェル:夜のガスパール

(アンコール)
リスト:リゴレットのパラフレーズ

 

久末航の、鮮烈東京デビュー。

この人は音に対する本能的嗅覚を持っているようだ。自然界のあらゆる事象に瞬時に反応する動物のように、スコアの音符を一瞬で嗅ぎ分け、こうとしかありえない確信(動物は常に自身の身の最適を選択するセンサーを持つ、それと同じ直覚)を持って音楽をさばいてゆく。迷いなく、無駄なく、ゆるぎなく。

どんなフォルティッシモだろうが、身体(腰・背骨)はピシリと端座、動かない(言うところの体幹)。腕を大仰に振り上げたり腰を浮かしたりは一切なし。最強から最弱までほぼ変わらぬ上腕の平静を保つ。であるのに、あえかなピアニシモから轟音まで、よく響く(鳴るのでない)。
つまり、打鍵によって身体動作を都度、変えない、ということは、どのようにも可動な構造が身内にある、ということで、その削ぎ落とされた省エネ美型には感心。

滋賀出身、滋賀県立膳所高校からフライブルクに留学、現在ベルリン芸術大学大学院在籍の24歳。昨年ミュンヘン ARD国際コンクール第3位、課題曲の委嘱作品をただ一人暗譜で演奏、特別賞を獲得した。
その「Did it again」はなるほどさもありなんと受賞を納得の演奏。裂帛の気合いと静寂の凪に一瞬ジャジーな揺らぎが風を孕む佳品で、クラスターから単音まで、響きの変転を鮮やかに斬り取って見せた。
その前の「Intermittences」、中断・断続のこちらも錯綜したほぼ6分、音の面から飛び散る鉄鋼片、あるいはぽたり水滴と音色の絶え間ない変幻が見事。
現代曲に必要な勘所をきちん押さえ、楽曲構造・構成知に確かなセンスと眼力を見る。

それ以上にワクワクさせられたのがフランク。前半3曲を一つの物語として聴いて欲しいとプログラムにあったが、言われるまでもなく、フランクの中にそれが聴こえた。
コラールのアルペジオの波の夢幻・無限での音色調合はほとんど画家の眼で、ルーベンス、フェルメールからルノワール、スーラに至る色彩感覚が網羅されている、と言っていいほど。そこに浮かぶ旋律線は波上をかすめとぶ海鳥、そのこまやかな筆先に鼓膜を撫でられるようであった。バッハのカンタータを転用したフーガでの、前奏曲・コラール・フーガの主題、旋律の三つ巴、重層する響きの大伽藍は教会オルガニストであったフランクにふさわしい壮麗なスケール。高田博厚がフランクを語った一節「音律の波と滝のような内陣の列柱と高いところの瑠璃窓の無量の色彩が私の魂の中で溶けて夢を生む」そのままの交響楽を聴いたと思う。むろん、そこに刻まれた歴史、すなわち、バッハ、ハイドン、そして後半ラヴェルに至るまで、を含め。すなわち、直覚に裏打ちされた久末の思惟の痕跡。

ハイドンがとてもチャーミング、ラヴェルはフランクを聴けば当然の出来。
知情意の三角錐はその演奏坐形に象徴されよう。同時に、特異な音嗅覚・身体能力が異彩を放つ新鋭の出現に、暑気蒸れる四谷の夜道を心弾みつ辿ったのである。

                                 (2018/8/15)