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評論|伊福部昭―独り立てる青鷺|2.『日本狂詩曲』は民族性を横断する|齋藤俊夫

日本近代音楽館所蔵、『日本狂詩曲』総譜(竜吟社版)表紙

2.『日本狂詩曲』は民族性を横断する
 2. “Japanese Rhapsody” crosses ethnicity.

Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)

伊福部昭を巡る言説中に頻発する「日本的」「民族的」という単語にどこか違和感、いや、それらが〈褒め言葉〉になっているのを見聞きするときに薄寒い気持ちさえ覚えるのは筆者だけであろうか。
愛国ポルノブームのここ日本国をはじめ、世界中で自国・自民族第一主義のアイデンティティ・ポリティクスが経済的・軍事的グローバリズムと共に猛威を奮う現在、サイードの次の言葉が想起される。

けれども、まれにみるスピードでひろがりをみせる電子通信や貿易や旅行や環境・地域問題などの圧力によって歴史上かつてないかたちで緊密にむすびつけられた世界のなかにあって、アイデンティティを主張することは、けっして、たんなる儀礼的処理だけではすまない問題となっている。わたしがとりわけ危険に思うのは、アイデンティティの主張が、さまざまな情念を動員して先祖返りをおこしてしまうことである。つまり、西洋とその敵対者が両雄として対峙し、それぞれが美徳を、いうなれば戦争のために必要とされる美徳を体現するといった、まさに初期帝国主義時代へと、人びとを先祖返りさせてしまうことである。(1)

一方、伊福部はある所でこう述べている。

そのとき(引用者註:作曲を試み始めたとき)どういう意識を持っていたかというと、人種で音楽は違うんだなと。大和民族とアイヌはどうしてこんなに違うんだろうと。はじめはただおかしいなあ程度でしたけど、人種が違うと音楽がここまで違うのだから何を考えるにしても人種をベースにすべきではないか、音楽を作るとしてもそこの意識を欠くとうまいものはできないのではないか。そういうつもりには、すでにかなり強固になっておりました。ストラヴィンスキーを聴いたときも、もちろんそう思いました。それからヴァイオリンなんかやっていると、ああ、これがヨーロッパの音楽かと。音楽ってものは人種によって違うのが大前提である。そういう感じは受けていたんですけど。(2)

ここだけを抜き出すと、ナショナリズムとネイティヴィズムの後押しに伊福部昭を利用するのにもってこいのコメントとなってしまうかもしれない。

だが、本論において筆者は彼の初管弦楽作品にして出世作『日本狂詩曲』(1935)を取り上げ、「日本」という名前を冠したこの作品がいかにサイードの「逆説的なことだが、歴史的・文化的経験は、じつに奇妙なことに、つねに雑種的(ハイブリッド)で、国家的境界を横断し、単純なドグマや声高な愛国主義といった政治的行動などを無視してかかる。(略)文化は、統一的で一枚岩的で自律的などころか、現実には、多くの「外国的」要素や、他者性や、差異を、意識的に排除している以上に実際にはとりこんでいる」(3)という言葉を体現しており、アイデンティティ・ポリティクスを越える力を持っているかを論じたい。

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『日本狂詩曲』に当たる前に見てほしいものがある。譜例1~8は、CD「アイヌ・北方民族の芸能」の春採(はるとり)アイヌの民謡「ウポポ」7つを筆者が採譜したものである(4)

これらの歌は、一種のアンティフォナ、もしくは一人のコールとその他のレスポンスによる輪唱で延々と反復される(酒造りのウポポは前半が何度も反復された後、後半が反復される)。アイヌ独特の甲高く、喉を震わせての細かいヴィブラートの一種(顫声)を効かせた発声法での合唱の迫力は譜例からは伝わらないかもしれないが、分析のためこれらを使用する。

まず「ウポポの5」から『日本狂詩曲』との親近性を論じよう。この唄の構成音は下からH,C,E,F,G。H,C,Eは〈都節のテトラコルド〉(5)である。〈都節〉は『日本狂詩曲』第1曲「夜曲」のほとんどを占める音階である(譜例9参照)。また、移動ド唱法でシを第1音としたシドレミファソラシの旋法すなわちロクリア旋法は伊福部作品の多くで用いられている旋法であり、『日本狂詩曲』の第1曲「夜曲」の第57~83小節もこのロクリア旋法で書かれている(譜例10参照)。

続いて、「ウポポの3」「ウポポの4」。この2つの構成音はH,C,E,Fで、H,C,Eは先述の都節のテトラコルド、Fもまた先述のロクリア旋法に含まれる。「ウポポの3」「ウポポの4」両方がEで終止しているが、移動ド唱法でミを第1音としたミファソラシドレミの旋法、すなわちフリギア旋法もロクリア旋法同様に伊福部作品中で多用されており、この2つが移旋する、さらにはどちらの旋法とは判断しかねる場合もあるのである。

「酒造りのウポポ」の構成音はD,F,G,Aで、後半の終止音はG。小泉理論にのっとればD,F,Gは〈民謡のテトラコルド〉で、核音はG、もしあとCの音が含まれていれば〈民謡音階〉となる。
「ウポポの1」はE,G,Aの民謡のテトラコルドの下にDが付いており、D,E,Gは〈律のテトラコルド〉でもある。
そして『日本狂詩曲』第2曲「祭」で用いられているのは民謡音階と律音階を足し合わせた、フリギア旋法に近い音階なのだ(譜例11参照)。

このように伊福部が日本の伝統音階に近いが、それを拡大した形のフリギアやロクリア旋法を用いることには、アイヌの音楽の影響が考えられないだろうか。

また、ウポポは反復して歌い続けながら、譜例の下段に書いた拍子で桶を叩いたり手拍子を打ったりするのだが、そこに生まれる反復(オスティナート)のエネルギーは伊福部音楽に直に通じるものである。

此等の踊り(引用者註:アイヌのウポポ、リムセ、タプカラ、アラフックンなど)にあつて、共通なことは(略)幾つかの動きを執拗に反復して次第に興奮に導くと言う手法をとつている。音楽も此れと同様に、一つの極めて短少(ママ)な単純な動機を延々と繰り返すのであるが、此等は反復すること其れ自体に重要な意味があるのであつて、其の動機だけを取り出しても其の魅力は理解し難い。(6)

「夜曲」「祭」共に反復抜きで「其の動機だけを取り出しても其の魅力は理解し難い」ことは皆に首肯されるだろう。

筆者には『日本狂詩曲』の芯とも言える部分が和人(アイヌ語で「シャモ」)の伝統音楽と共にアイヌの音楽によって形作られているのは明らかのように思える。

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先に引用したインタビューにおいて、伊福部は小学2年生までの札幌時代を回想して「ロシアのバラライカと中国の明清楽と、少しの邦楽が同じくらいの比重で耳に入ってくる。ラジオもまだない。それらが札幌での音楽体験でしょうか」と語っている(7)
伊福部が決定的な音楽的体験をしたのは小学3年生からの音更(おとふけ)時代である。

音更時代はアイヌの音楽と民謡以外は音楽的な体験というものはほとんどないようなものですね。
(略)
やっぱりアイヌの家に行って、それまで知っていたのとはまるで違う異様な音楽を聴いたということが……。(略)衝撃を受けたというより、そういうものだと思ってしまいましたから。前にじゅうぶんな音楽の経験がないから。前に何もなくて、アイヌが原体験で、今考えるとあれはずいぶん特殊な経験であったなあというふうに思いますけれども、当時はそんなものかと。(8)

片山杜秀は、伊福部の「自己に忠実であれば民族的である他はない」という言葉を「おのれの一番信じられる道を歩もうとすれば、子供の頃に刷り込まれた体験に忠実である他はない」とパラフレーズしたことがあるが、これは正鵠を射ていよう(9)。伊福部の信念が彼をして和人とアイヌの境界を越えさしめたのである。

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『日本狂詩曲』を形作るもう一つの音楽的要素、それはストラヴィンスキーの音楽である。

それ以前にも種々な音楽に触れていたのですが、どれも何かいわゆる外国くさく、他人行儀で、ストラヴィンスキーの音楽に接して、初めてこれがひそかに自分が音楽と考えていたもののように感じられました。それでまことに愚かな恥ずかしいことですが、私はストラヴィンスキーのオーケストラを最初に聴いて、無謀なことに音楽にあってこのような観点が許されるのならば自分でもあるいは書けるのではないかと本気で考え、管弦楽法の勉強を始めたような始末なのです。(10)

「初めてこれがひそかに自分が音楽と考えていたもののように感じられました」という言葉に注目されたい。それまでも伊福部はヴァイオリンを弾くなどして西洋音楽と接していたが、それは「自分が音楽と考えていたもの」ではなかったのだ。『ペトルーシュカ』『火の鳥』そして『春の祭典』(11)との出会いによって彼は「自分が音楽と考えていたもの」を作るべく作曲家への道を歩み始めたのである。

これらストラヴィンスキーの3大バレエ作品の中で、『日本狂詩曲』に直接の影響を与えたのは間違いなく『春の祭典』であろう。そのことは『春の祭典』の「春のきざしと乙女たちの踊り」の冒頭と、『日本狂詩曲』「祭」の最初のトゥッティの和音と、その後のティンパニーのソロのリズム・オスティナートを比較対照すれば明白と思われる(譜例12、13、14参照)。

伊福部が『春の祭典』から聴き取った(12)と考えられる要素をさらに挙げてみよう。

『日本狂詩曲』の〈打楽器奏者が9人要る〉(譜例15参照)という大きな特徴、これは『春の祭典』を耳だけで聴いて模倣した結果ではないだろうか。実際、『春の祭典』では10個以上の打楽器が使われているが、必要な、つまり同時に演奏する打楽器奏者の人数は最多で6人である。されど、『春の祭典』の〈打楽器による合奏〉という当時としては画期的なコンセプトは伊福部によって正しく継承されていると言えよう。譜例15と『春の祭典』「生贄の踊りと選ばれた乙女」譜例16を比較されたい。

また、先に挙げた『日本狂詩曲』「祭」の2つの和音による和声(譜例13参照)にも、『春の祭典』に習うと思われる作りが見いだせる。
この2つの和音は第1の和音の構成音がFis,A,H,Cis。第2の和音の構成音は主にG,C,D,Eであり、例外的にGisとHも含まれている。2つの和音の主な構成音がC(Cis),D,E,Fis,G,A,H,C(Cis)と整然と並べられることに注目されたい。第1の和音のFis,A,Hは民謡のテトラコルドであり、Cisも加えてこの和音は民謡音階に含まれる音で構成されている。第2の和音はG,C,EのC長3和音の第2展開形に、Dが加わってD,E,Gの律のテトラコルドの響きを加味し、またC,E,G,H,Dの、Cを主音とする5和音の響きも聴き取れる。これらFis,A,H,CisとG,C,D,Eの2つの和音による古典機能和声とは異なる和声が、ただ「日本的」と言うだけでは足りない強靭な、また論理的な響きを作り出している。

これに似た和声が『春の祭典』「大地の踊り」に見いだせる(譜例17参照)。ここに挙げた、C,E,Fis,GとD,Fis,AとC,E,Fis,Aを主な構成音とする3つの和音は、やはり古典機能和声とは異なるが、Fisを共通の音としつつ、C,E,G(I)、D,Fis,A(VのV)、A,C,E(VI)の和音に由来するであろう、音楽的論理に基づいた和声的運動を作り出している。

リズム・オスティナート、古典機能和声を越えた和声法といったこれらの精妙な書法によって『春の祭典』『日本狂詩曲』が実現しているのは、〈理性〉〈知性〉と〈蛮性〉という近代に作られた対立を超えた、始原的で巨大なエネルギーの発現である。そして伊福部が『春の祭典』と出会って『日本狂詩曲』を書き得たことには、〈自己の民族性〉と捉えていた、彼の幼少期の雑種的な体験が深く影を落としていよう。

『日本狂詩曲』が作曲当時は日本の楽壇に受け入れられなかったことは有名である(13)。それは「外人のフジヤマ、ゲイシャ的異国趣味に迎合するものといった意見」(14)を表向きは取っていたかもしれないが、真実は、アイヌという少数民族の存在と、ストラヴィンスキーの『春の祭典』という反近代的音楽の中に秘められた、当時の日本民族のネイティヴィズムとナショナリズムを脅かす雑種の力を中央の楽壇が恐れたからではないだろうか。
このことは今日、伊福部とその音楽が「日本の巨匠」「日本の音楽」と連呼されて「日本」の中に閉じ込められていることと表裏一体の関係にある。だが本質的に、彼の音楽は「開かれた音楽」として「開かれた世界」の中に存在すべきもの、「日本」の境界や「日本」のアイデンティティ・ポリティクスを越えるものなのだ。

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私は彼(引用者註:ストラヴィンスキー)の『春の祭典』や『ペトルーシュカ』を聴いたときに、もう電撃的なショックを受けたんです。本能的に、あ、この音楽観はヨーロッパ半島のものではなくて、我々に近いと感じたんですが、あとでよくよく考えると、これはどうも血液的な美感の共感によるものなんじゃないかという結論に達したんです。
(略)
ストラヴィンスキーは『春の祭典』で、モンゴルの影響を受けている音楽を書いています。それに惹かれる彼も、何代か前にそういう遺伝子が入り込んでいないとも限らない。彼の律動感は、根元はきっとモンゴルにあるのではないか。ご承知のように、我々もモンゴルの系統です。おそらくモンゴルを中心にして同じ血が流れているのではと思います。(15)

日本近代音楽館所蔵、『日本狂詩曲』総譜(竜吟社版)中表紙

この発言に現れているのは、ネイティヴィズムの陥穽を、奇妙とすら言える科学的誤解によって乗り越えてしまう、伊福部のアイデンティティ認識である。自らの〈血〉に宿る〈血液的な美感〉と彼が言う、生来的で動かすことのできないものを辿ると、ユーラシア大陸西部にまでそれが広がっていってしまい、一般的に言う所の民族も国境も越えてしまうのである。この伊福部の広大な〈血〉の概念はサイードの次の言葉に通じるものではないだろうか。

[ネイティヴィスト・アイデンティティを越えて進む未来の可能性とは]ネイティヴィズムを越えることが、即、民族性(ナショナリティ)を捨てることにはならず、むしろローカルなアイデンティティが、それだけで完結したものではないと、またそれゆえに帰属の儀式とか、土着の愛国主義とか、限界のある防衛意識などをとおして、自己自身をなにがなんでも自己の領域に限定しなくともよいと考え直す可能性である。(16)

日本、アイヌ、ストラヴィンスキー、それらの〈民族性〉を横断して書かれ、今も鳴り響く『日本狂詩曲』は、まさに未来への可能性に満ちた音楽と言えよう。

最後に伊福部昭の卆寿誕生日の演奏会における、彼の本当の思想を示す一文を挙げて本稿を終わりとしたい。

グローバリズムのような單一な価値観ではなく、夫々の異文化が互に理解と敬意をもって共存し得る時代の到来を希って止みません。(17)

(2020/5/15)

(動画)アイヌ民族の芸能 ウポポ(2つ目のものは本稿で取り上げた「ウポポの2」である)

(動画)伊福部昭:『日本狂詩曲』、高関健指揮・東京フィルハーモニー交響楽団

連載第1回:評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺|1.だが蒼鷺は動かぬ|齋藤俊夫

(1)エドワード・W・サイード『文化と帝国主義1』(大橋洋一訳)、みすず書房、1998年、88-89頁。

(2)伊福部昭(談)片山杜秀(インタビュアー)「自伝抄」『文藝別冊 伊福部昭』河出書房新社、2014年、54頁。

(3)サイード、前掲書、50頁。

(4)監修・解説:本田安次、萱野茂/協力:文化庁、CD「アイヌ・北方民族の芸能」財団法人日本伝統文化振興財団、VZCG-8395~7。ディスク1、トラック1~7、録音は1954年3月29日NHKスタジオにおいて。ウポポの呼び名と番号と歌詞はブックレットによった。

(5)テトラコルド、核音などの理論は、小泉文夫『日本の音』平凡社ライブラリー、1994年によった。

(6)伊福部昭「アイヌ族の音楽」『音楽芸術』音楽之友社、1959年12月号、20-21頁。

(7)伊福部・片山、前掲書、40頁。

(8)伊福部・片山、前掲書、44-45頁。

(9)片山杜秀「伊福部昭、またはコーカサス的純真」『音楽現代』芸術現代社、2006年4月号、102頁。

(10)伊福部昭「ロマン主義の否定あるいはこれとの訣別」『音楽芸術』音楽之友社、1971年6月号、28-29頁。

(11)14歳から16歳頃の伊福部と『春の祭典』の出会いは様々な文献で言及されているが、この作品がストラヴィンスキーとの最初の出会いではなく、『ペトルーシュカ』→『火の鳥』→『春の祭典』の順番で出会い、「最初の刺激はやっぱり《ペトルーシュカ》なんですね。これが音楽だというんなら自分もひとつ書いてみようという気になりました」とコメントしている文献(伊福部・片山、前掲書、48-49頁)も存在する。

(12)『日本狂詩曲』作曲当時、伊福部は『春の祭典』のスコアを持っていなかったとコメントしている。伊福部・片山、前掲書、60頁。

(13)例えば、富樫康「極東の森から」、相良侑亮編『伊福部昭の宇宙』音楽の友社、1992年、27-49頁。

(14)富樫、前掲書、35頁。

(15)伊福部昭(談)「伊福部昭インタビュー1」、相良、前掲書、154-155頁。

(16)エドワード・W・サイード『文化と帝国主義2』(大橋洋一訳)、みすず書房、2001年、69頁。

(17)2004年5月31日サントリーホール、「伊福部昭九十歳[卆寿]を祝うバースデイ・コンサート」プログラム、2頁。

使用楽譜:『日本狂詩曲』日本近代音楽館所蔵、竜吟社版印刷譜(アレクサンドル・チェレプニン・コレクション)、1937年出版。

     『春の祭典』The BOOSEY & HAWKES MASTERWORKS LIBRARY、1947年改訂版、1967年再印刷譜。