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緊急特別企画|クラシック音楽とネット配信:オーケストラの取り組み|能登原由美

クラシック音楽とネット配信:オーケストラの取り組み

Text by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 飯島隆/
写真提供:大阪フィルハーモニー交響楽団

◆ソーシャル・ディスタンシングと音楽動画配信の活況

新型コロナウィルス感染症(以下、コロナと略称)の世界的流行とともに、「ソーシャル・ディスタンシング(=社会的距離戦略)」と言われる様々な感染予防策が講じられるようになった。イベントの中止・延期や学校の休校要請、外出自粛要請など、人々の接触を回避する措置が次々と打ち出されたのである。クラシック音楽界においても、政府が文化・スポーツイベントの中止・延期を要請した2月26日以降、コンサートの開催延期や中止が相次ぎ、人と人とのコミュニケーションでもある音楽文化の存続自体に、深刻なダメージを与え続けている(その主要な経緯については、本誌3月号および今月号のPick up 「新型コロナ対応記録」を参照のこと)。
とはいえ、ウィルスの感染拡大によって至る所に築かれた高い壁を、音楽家達はただ手をこまねいて見ていたわけではない。何とか壁の向こうに音楽を伝えようと、すぐに行動を開始した。つまり、音楽動画の配信だ。劇場やオーケストラなどの団体から個人に至るまで、世界中の音楽家たちが動画を配信し始めた。しかも無料。例えば、オペラで言えば、メトロポリタン歌劇場やウィーン国立歌劇場をはじめ、世界有数の歌劇場が過去の上演映像を無料配信。オーケストラでも、ベルフィン・フィルハーモニー管弦楽団やニューヨーク・フィルハーモニック、ロンドン交響楽団など、欧米の多くの楽団が過去のライブ映像の無料配信を開始している。
日本でも3月に入り、中止になった演奏会を無観客で開催し、その動画を同時配信する動きがいくつか見られるようになった。大規模なものとしては、『びわ湖リング』の最終章「神々の黄昏」の無料同時配信が挙げられるが(その様子については本号の拙論を参照のこと)、その前日の6日には、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が無料動画配信を行っている。この場合、先に収録した動画を配信したもので、いわゆる「同時配信=生放送」ではないが、一連の無観客公演・動画配信の動きの最初期のものであったことは間違いない。その後は、東京交響楽団(8日、14日)、山形交響楽団(14日)、大阪フィルハーモニー交響楽団(19日)、京都市交響楽団(28日)、日本センチュリー交響楽団(28日)などが、予定していた演奏会を無観客で開催するとともに、その動画を同時配信している。
もちろん、動画の配信自体は今に始まったことではない。けれども、ほぼ世界全土が長期間にわたって「ソーシャル・ディスタンシング」の状況に置かれる可能性が高まり、これを機に、クラシック界における音楽動画の配信と受容の動きが一気に加速する様相を見せている。それは、音楽の伝達システムの変容を意味し、長期的にみれば、音楽そのものにも影響を及ぼすことになるだろう。よって、ここでは日本のオーケストラに焦点を当て、音楽動画配信の現状と可能性ついて、関係者に行なった緊急取材(*)をもとに報告したい。

大フィル・3月19日無観客公演動画配信時の様子

(*)今回の取材は、任意で以下のオーケストラと音楽動画配信事業者に対し、電話とメールで行なった。(五十音順に団体名、文中での表記、回答者)
いずみシンフォニエッタ大阪(いずみSO・森岡めぐみ氏)
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル・福山修氏)
京都市交響楽団(京響・柴田智靖氏)
日本センチュリー交響楽団(センチュリー響・柿塚拓真氏)
広島交響楽団(広響・井形健児氏)
ライブストリーミングサービスCurtain Callを運営する株式会社12DO(酒井光一氏)。
なお、文中では、敬称を略して表記する。
以上の方々に対し、公演中止や延期が相次ぐ状況下での突然の取材に快くご協力いただき、心より感謝申し上げます。

◆日本のオーケストラ界における動画配信

先に触れたように、日本のオーケストラ界においても音楽動画配信の動きは、決してコロナによる演奏会自粛とともに始まったわけではない。演奏会のアーカイブ映像の配信について言えば、インターネットの普及とともに徐々に活発化していたものだ。例えば、広響の場合、2014年にyou tubeに専用サイト「広響チャンネル(HSO Channel) 」を設け、著作権などの諸問題をクリアできたものについて、その一部を公開している。また、現代音楽を活動の主軸とするいずみSOでも、2015年より定期演奏会の模様を撮影し、you tubeの専用サイト「Izumi Sinfonietta Osaka」で公開してきた。現代音楽作品ゆえに著作権の処理が古典作品以上に必要となってくるが、その権利認可とともに、出演者の了解が得られたものについては全曲公開している。
アーカイブ映像ではなく、演奏会の同時配信(つまりライブ中継)についても、コロナの影響により始まったものでは決してない。例えば、京響は2019年10月に開催した演奏会《時の響》について、すでに無料同時配信している。その際、2020年度に開催される演奏会の一部についても同様にライブ配信する計画を進めていたという。大フィルも、2020年度の主要主催行事の一つである《チャイコフスキー・チクルス》(計3回)について演奏動画の無料同時配信を行う予定だが、その計画についてはすでに昨年から始まっていたようだ。

◆クラシック・コンサートの動画配信の意義:楽曲、演奏、そして「ライブ」を伝達する

それにしても、演奏会の映像がネットで見られるようになると、ホールにわざわざ足を運ぶ必要がなくなるのではないか。そもそも、こうした音楽動画の配信を始めた理由、つまりその意義はどこにあるのだろう。
「広響Channel」を開設した広響の場合、地方の楽団ならではの課題があったようだ。つまり、広響の演奏を聴いた複数の音楽関係者から、「せっかく良い演奏をしているのにそれが知られていない。動画配信なら、日本全国、あるいは世界へ向けて発信できる」と後押しされたのがきっかけという。実際、公開とともにサイトへの登録者数が増え続け、海外の音楽関係者からの問い合わせも見られるようになった。つまり、遠隔地への伝達も可能なネット配信によって、演奏会に直接足を運べない広範な地域へ演奏を届けることが、大きな理由だったと言えるだろう。
いずみSOの場合も同様に、より広範囲の人々に伝えられる点を挙げる。ただし、同楽団の場合は地理的問題というよりも、「現代音楽」という一般には馴染みの薄いジャンルの問題があったようだ。演奏会動画の配信を提案・主導してきた住友生命いずみホールの森岡めぐみは、2015年当時、「素晴らしい演奏、作品であっても聴いてくれる人が少なく、そのために存在すら知ってもらえない」という状況に頭を悩ませていたという。その打開策の一つとして、映像収録とyou tubeでの公開を思いついた。公開による具体的効果についてはデータの精査が必要だが、視聴者の年齢別内訳をみると、もっとも多い年齢層は18〜24歳、続いて13〜17歳で、明らかに若年層が多い。それは演奏会の客層と比べても若く、「動画の公開は、これら若年層への訴求力としてある程度の効果があるのではないか」とみている。
ただし、広響、いずみSOともに、最終的には演奏会に足を運んでもらうことが目標という。だが、従来のやり方では届かないような潜在的な聴き手に音楽を伝達するための手段、いわば、聴衆の開拓としての役割を動画配信に期待するようだ。
もちろん、その点は他の楽団も同じだろう。大フィルの場合も、新たな聴衆の開拓という点では変わらない。一方で、これまで会員向けにしかやらなかった演奏会映像の配信を、一部の演奏会とはいえ無料で、しかも同時配信することにした理由の一つに、「録音・録画機材の改良や5G(第5世代移動通信システム)の運用開始により、レコード芸術にはない、クラシック音楽の『ライブ』の魅力を伝えることが可能になったこと」を挙げる。ここには、「楽曲」や「演奏」にとどまらない、クラシック音楽の「ライブ」そのものに、伝達対象としての価値が見いだされているといえないだろうか。

◆「同時配信=ライブ」にこだわる

クラシック音楽の「ライブ」の魅力に注目するのは、京響の柴田智靖も同じだ。《時の響》や無観客公演の同時動画配信に携わった柴田によれば、「ライブによって、同じ時間を共有すること」が何よりも重要であり、それは録音・編集されたものとは全く異なるのだという。たとえ演奏にミスがあったとしても、それもライブの魅力。《時の響》について、あえて映像アーカイブを制作せず同時配信だけにしたのも、この「同時性=ライブ性」にこだわりがあったからだ。その当時、加齢によって会場に足を運べなくなった長年のファンが、京響の演奏会が見られず寂しがっているのを耳にしていた。同時動画配信であれば、「自宅に居ながらにして、会場と同じ時間に、京響の音楽と熱量を共有することができる」と考えたのが、大きな理由の一つ。今後も、この「同時配信」を重視するという。
一方で、ネット配信には別の意義も見いだす。つまり、クラシックを知らない人々にとっての「入り口」とする見方だ。それは聴衆の開拓にも繋がるが、ここでの目線はあくまで「クラシックを知らない人々」にある。この点については、大フィルと京響のライブ配信を行ったCurtain Call の酒井光一も同様の考え方を示している。
興味深いのは、柴田も酒井も、元はクラシック音楽とは全く関わりのない経歴をもつことだ。酒井の場合、3年前に知人に連れられ人生で初めて行ったというオーケストラのコンサートに大きな衝撃を受け、そのライブの魅力を伝えたいと思ったことが、事業を始めるきっかけになったという。「クラシック音楽に興味を持っている人々はごく一部。残りの大半は、単にクラシック音楽を知らないだけ」と話す酒井は、クラシック音楽には潜在的な市場がまだかなり残されているとみる。「1+1=2とは違い、決まった答えを持たないのがクラシック音楽。これほど自らの想像力=創造力を発揮できるものはない」と、クラシック音楽の魅力を語る。だが、「今のクラシック音楽界には、1+1=2の考え方が多い」とも。さらに、「これまでのクラシック音楽は、「見せ方」が間違っていた」と指摘する。とりわけ酒井が重視するのが「次世代」、つまり若者への「見せ方」だ。「クラシックを知らない若者にとっては、クラシックのコンサートはドレスアップして出掛ける特別な「イベント」で、そこが良い。まずはその「イベント」を体験するべく、コンサート会場に足を運んでもらえれば」と話す。そのために、動画配信以外にも様々なイベントを企画し、「クラシックを知らない」人々への「見せ方」を追求する。もちろん、動画自体は映像、音声共に質の高い内容を目指し、クラシック音楽の「ライブ」の魅力を存分に伝えることが前提だ。

◆クラシック音楽に変革をもたらす?

従来のクラシック音楽ファンとは異なる人々への伝達を可能とする、音楽動画の同時配信。そこに期待を寄せるのは、センチュリー響でコミュニティ・プログラムを担当する柿塚拓真も同じようだ。ただし、柿塚が新たな可能性として捉えるのは、クラシック音楽における「クオリティ」の多様化である。
センチュリー響の場合、3月28日に予定されていた公演「センチュリー豊中名曲シリーズ」が中止となり、無観客で開催するとともに、そのライブ映像が「ニコニコ生放送」(以下、ニコ生と略称)によって同時配信された。このニコ生の特徴の一つは、視聴者の反応が瞬時に画面に現れること。つまり、入力する文字が画面に即表示されるもので、いわば「双方向」的な性質をもつ。しかも、ユーザーの多くは、これまでのクラシックファンとは明らかに異なる人々。柿塚が特に注目したのは、その従来のクラシックの客層にはなかった人々の反応である。いわく、そこにはこれまでのクラシック音楽が「良し」としてきたもの、すなわち、クラシック音楽が掲げてきた「クオリティ」とは異なるもの、むしろ、そこから排除されてきたものがあるのではないか。クラシック音楽の価値観や判断基準といった既存の「クオリティ」自体、問い直される可能性を秘めているのではないか。
さらに、今回注目を集めた「プレパフォーマンス・トーク」の同時配信にも手応えを感じている。「プレパフォーマンス・トーク」は、本公演「センチュリー豊中名曲シリーズ」に付随するもので、作曲家に委嘱された新作(多くは公演演目に関連したもの)などが披露される人気の催しだ。今回は、作曲家の野村誠による新作とともに、野村と楽団員が出演してトークとパフォーマンスを披露したが、その際、ニコ生ならではの特徴を生かし、視聴者との双方向のやり取りをもとにした即興演奏が行われた。いわば、ネットを通した観客参加型の演奏会である。もちろん、参加型の演奏会自体は決して珍しいわけではない。だが、会場に足を運ばないようなより幅広い「観客」からの反応に奏者が機敏に応答するなど、従来とは異なるクラシック音楽の楽しみ方を味わえたという。
新たな客層の参入と双方向性。どちらが欠けても、今回柿塚が感じたような可能性は見いだせなかったかもしれない。演奏会中止を余儀なくされた中で急遽行なった無観客公演の同時動画配信ではあったが、今後、さらなる展開へと続いていきそうだ。

このように、インターネットが私たちの日常生活の中に入り込むにつれ、音楽動画配信についての関心が高まるとともに、それがクラシック音楽の伝達に少しずつ変化を与え始めている。もちろん、今回話を聞いた誰もが強調するように、ネットによって配信された音楽が生の音楽体験に置き換えられるわけでは決してない。だからといって、生演奏に劣るものと一方的に決めつけてしまうと、予想だにしないような小さな発見を見過ごしてしまうのではないか。残念ながら、現時点ではコロナの終息は見えず、演奏会場に再び足を運べる日を想像するのは難しい。けれども、音楽文化の灯を消してしまわないためにも、絶えず耳を澄ませ、壁を乗り越え鳴り響いてくる音を真摯に受けとめたい。

(2020/4/15)