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イブラギモヴァ&ティベルギアン ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会|藤原聡

イブラギモヴァ&ティベルギアン ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会

2019年2月13日 王子ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 藤本史昭/写真提供:王子ホール

<演奏>
ヴァイオリン:アリーナ・イブラギモヴァ
ピアノ:セドリック・ティベルギアン

<曲目>
ブラームス
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 Op.78『雨の歌』
ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.100
ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108
(アンコール)
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.22-1

 

イブラギモヴァとティベルギアンのデュオによる来日公演は既にお馴染みと言ってもよい。このコンビは既にベートーヴェンやモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏、さらにはシューベルトのデュオ作品などで名演奏を聴かせてくれたが、今回は待望の、と形容できるブラームスのソナタ全曲。このラインナップを眺めるに独墺の王道レパートリーを着実に取り上げている印象だが、演奏する楽曲の様式に合わせて対応する幅広い「語彙」を持つイブラギモヴァだけに、より時代が下った盛期ロマン派(そんな言い方はあまりしないだろうが)であるブラームス作品にどう応じるのか興味は尽きない。

果たして、イブラギモヴァはやはりブラームス作品にはそれに応じたスタイルで臨む。この作曲家以前の時代の作品演奏時に比べて大きめのヴィブラートと重い音を用い、これと同時に経過句や和音箇所ではノン・ヴィブラートも適宜織り込み、ピリオドに寄った表現も出現する。また、旋律の歌わせ方はやはりイブラギモヴァの志向性が出て、長いスパンによるレガートを意識させる歌、というよりは短いフレージングを用い、しかしそこに細やかな音色の変化と音量のうねりを盛り込む。これが心持ち速めのテンポと相まって独特のブラームス演奏を形成している印象をもたらす。ロマンティック過ぎず、さりとてブラームスにおもむろにバロックを持ち込んでロマン派の文脈としての「ドライ」な演奏に傾いている訳でもない。この辺りのバランスの取り方の趣味が誠に良く、これが奇を衒ったようなことはしていないにも関わらずどこかこの演奏にフレッシュな息吹を感じさせる要因となっていて惰性とはまるで無縁である。よりウェットな表現を好む方も多い気がするが、このブラームスはそういう観点からするなら明快ではあろう。しかし、一瞬一瞬が音楽性に満ち満ちたこの演奏はそういう聴き方をも覆すに足るものだ。

さて、全般的に感じられる以上の特徴を踏まえつつ各曲ごとにその印象的な箇所を拾って行く。第1番では伸びやかに真っ直ぐ歌われる第1及び第2主題の新鮮な情感、第2楽章での中間部から再現部への移行部で聴かせるどこまでも息を潜め続け沈み込むような表現とピアノとの絶妙の均衡。むしろあっさりと締めくくったコーダに表現の誇張を排した誠実さを感じさせた終楽章。

第2番でもこの2人の演奏に虚飾は全くない。それは特に拍子抜けするほどすんなりと行なわれる第1楽章展開部への接続とその表情に端的に表れている。第2楽章でのアンダンテ・トランクィーロとヴィヴァーチェの交代の移行の巧みさと細やかなヴィブラートの使い分け。そして終楽章ではいつになく豊潤に鳴らされるG線の響きの肌理の細かさ。

第3番では曲調のためだろうがその表現に厳しさの度合いが増す。第1楽章再現部の迫力など凄まじいものだが、ここではそれまでの2曲では感じなかった若干の表現の粗さも感じられる。中間2楽章はたいていの演奏で感じる哀愁というよりももっと現実的でいささか冷めた表現性が前面に出ていたが、対する終楽章では文字通りの「プレスト・アジタート」であって、ここまで荒れ狂った演奏にはそうそう遭遇できるものではなかろう。多少の音の汚さもお構いなし、といった様子で一心不乱に弾き進む様子は鬼気迫るものすらあったが、先の3つの楽章も含めた第3番全曲の演奏を最初の2曲に比べると、もっと抑制した方が曲の奥深さが表出されたのではないか。この第3番ではイブラギモヴァの良さがそこまで感じられなかったとの印象。しかしそれはあくまで前2曲との比較においてであって、その演奏水準が極めて高いのは申すまでもない。

尚、ティベルギアンのピアノは技術的に極めて巧みで、ブラームスの分厚い和音を常にクリアに鳴らすのでその音楽に妙な重さがなくて見通しが良い。この特徴はイブラギモヴァの演奏とも一致するが、何よりもこの2人の呼吸というかちょっとしたニュアンスの合い方は抜群である。例えば第3番の第1楽章、まるで深海へとどんどん潜航していくような展開部後半での完璧な協調ぶり。同じ人間がそれぞれ2つの楽器で同時に演奏しているようだ、と言えばいささか陳腐な表現だろうが、実際そうなのだ。

アンコールで演奏されたクララ・シューマンの穏やかな抒情は、激烈な第3番の直後だからこそ実に心に染み入るものとなっていて、そのコントラストはいかにも鮮やかである。ブラームスとクララの関係を今さら云々する必要もなかろうが、今年2019年はクララの生誕200年の年でもある。

恐らくまたすぐにイブラギモヴァとティベルギアンの名コンビは来日することだろう。その節は何を演奏してくれるのだろうか。それが何であれ、絶対に傾聴に足る演奏を披露することは間違いあるまい。

関連評:アリーナ・イブラギモヴァ & セドリック・ティベルギアン|谷口昭弘

 (2019/3/15)